トンボに興味を持つようになったのは小学校低学年からだった。最初は誰でもが追いかけるシオカラトンボとムギワラトンボ(シオカラトンボのメス)から始まって、ギンヤンマ、ハラビロトンボ、キイトトンボやカトリヤンマ等を捕るようになった。それぞれのトンボの生態や習性を学ぶというよりは、ただひたすらトンボ捕りが楽しかった。その捕る瞬間のドキドキ感が忘れられなかったからである。
夏休みになると日誌や宿題をやらないまま、午前中にタモ網を持って家を飛び出して、トンボ探しと捕り(他に魚捕りも)に夢中になっていた。夏休みの宿題は当然のことながら休みの終わる直前になってやったものである。だから毎日の天気の記載は良い加減なものだった。自分の人生の中で夏休みの宿題をきちんと規則通りにやったことは一度もなく、九月の学校が始まる直前になると、規則正しい生活ができなかったことや宿題ができなかったことを悔やむのがいつものことだった。どうしてこんなに大量の夏休みの宿題を出すのだろう。今になってもよく理解できない。今の子どもは、私たちの時代より多くの宿題を出されているようである。こうした宿題が学力を高めることに役立つのか、私のように挫折感を感じる機会にしかならないかは、きっと個人の問題なのだろう。
日本一小さいトンボ(八チョウトンボ)
トンボ少年だった私が、図鑑や新聞で知った最小のトンボであるハッチョウトンボは是非会いたいトンボの一つだった。名古屋近辺の矢田川で見つけられたと言われていたので、近くの池や湿地帯を探し回れば見かけることができるのではないかと考えていた。高校生の時には私の通った高校の奥の長久手地域にハッチョウトンボがいるという噂を聞いて、その丘を歩き回ったことがある。でも全然見つけることができなかった。今ならハッチョウトンボの生態や習性を学んだ上でそこに探しに行くと思うが、そうした知恵がその頃の私にはなかった。
そんなことがあって、ハッチョウトンボがどこに行けば見られるかは気にかけていた。高知県中村(現在の四万十市)にはいるとの情報を聞いたことがあったが、おいそれとは時間と金が用意できる訳もなく、いつか見る機会があるかも知れないという思いでいた。
黒河湿地と逆立ちするオス
二〇一七年六月一〇日付の中日新聞に「ハッチョウトンボ舞う 田原の黒河湿地で羽化」と題する記事が写真と共に載っていた。そこには「国内最小のトンボ『ハッチョウトンボ』が田原市大久保町の黒河湿地植物群落(県指定天然記念物)で羽化を始めている。体調わずか二センチで、一円玉とほぼ同じ大きさ。鮮やかな赤色の雄が飛び回って縄張り争いをしたり、茶褐色の雌が来るのを葉に止まって待ったりする姿が見られる。昆虫撮影が趣味で、五年前から訪れている横浜市西区の会社員鈴木誠さん(五〇)は『関東には湿地帯が少なく、このような場所は貴重』と熱心にカメラを構えていた。例年九月頃まで観察できる。」と記されていた。そこで、何とか時間を作って行けないかと考えていた。
一か月後の七月八日に朝七時半に車で出発した。蟹江の自宅から伊勢湾岸道の飛島インターから入り豊田ジャンクション経由で、東名高速道路の音羽蒲郡インターで降りて国道一号線に入り、そこから豊橋バイパスを通って渥美半島の田原市に入った。何回か人に場所を尋ねながらやっと黒河湿地植物群落に着いた。自宅から目的地までの距離は一〇五キロである。近くの小さい駐車場に車を置いて、気温三五度を超える猛暑の中、その場所まで歩こうと覚悟していたら、その場所はすぐ近くだった。多くの人々が見に来ていると思っていたが人は殆どいなかった。
オスとメス
入り口の掲示板には「黒河湿地植物群落は、植物学上きわめて貴重な植物がみられ、愛知県における『植物群落』として天然記念物第一号に指定されました。貴重な植物の一つは寒冷地の植物であるヤチヤナギです。ヤチヤナギは寒冷地の北海道や東北地方、尾瀬ヶ原で見られる植物で、渥美半島のような温暖な低地で見られることは非常に珍しく、本湿地のヤチヤナギが生育地の南限といわれています。また、伊勢湾周辺のみに分布する貴重なシデコブシ、シラタマホシクサなどの湿地植物も自生しています。湿地にはハッチョウトンボやカスミサンショウウオなどの珍しい小動物も生息しています。」と記されていた。道路から入るとすぐに木道になっていた。湿地帯なのでかなり広い面積に違いないと思って入っていったら、何のことはない二〇メートル位の長さしかなく、湿地帯といっても、水たまりや低い植物の間を水がさらさらと流れている狭い場所だった。こんな場所が天然記念物に指定されているのかと思った。田んぼの一反(三〇〇坪)位しかしなかった。
木道に入ると右側に水溜りがあって、そこに小さい赤いトンボが何匹か飛んでいた。その中にオスとメスと思われるトンボが連結して輪になって飛んでいて、湿地の植物の先端に止まったりしている。また赤いトンボが葉の先や枯れた茎の先端に止まっているが、これまで見てきたトンボに較べると確かに小さいトンボだった。これが私が初めて見た念願のハッチョウトンボだった。自分の縄張りがあるのか、飛んではまた止まっていた葉の先に止まることを繰り返す。木道の近くにも止まっているトンボがいるが、近づいてもすぐには逃げない個体もいた。そこで座り込んで写真を撮った。私の技術の低さからか、はたまたカメラ自体の性能が悪いからかピントが合わずに良い写真は撮れなかった。私は二台のカメラを持っているが、そのどちらでもうまく撮れない。そこでスマホのカメラで撮ったがやはりぼんやりした写真しか撮ることができなかった。何十枚かの写真を撮ったが、使えそうなものは殆どなかった。
オスのせめぎあいと、オスの警護産卵
木道を歩いていると木道の端の縄を張ってある付近の葉の先端に、まだ黄色いハッチョウトンボが止まっていた。まだヤゴから羽化して間もないのだろう。じっと動かずにいる。時々飛ぶことがあるがすぐ戻ってくる。面白いことに尻尾を上に立てていてシャチホコのような形である。そこには何匹か同じような姿勢のトンボが止まっていた。その日は陽射しが強く暑さを避けているのではないかと思った。それらをカメラで撮ろうとしたが、背景の植物にピントが合ってしまう。接写用に切り替えても殆ど撮れなかった。財布に五〇〇円玉があったので、指で掴んでトンボの横に並べて撮ったがやはりピンボケになってしまった。どうしたらうまくピントを合わせて写真が撮れるのだろう。つくづくプロのカメラマンたちは凄いなあと感心するばかりである。
家に帰ってからウィキペディアで調べてみたら、「日本一小さなトンボで、世界的にも最小の部類に入る。分布では東南アジアからアジアに見られ、オーストラリア北部で見みられるが、東南アジアの熱帯域を中心に分布する。形態はオスは羽化直後は橙褐色だが成熟すると体全体が赤味を帯び、羽化後二〇日ほどで鮮やかな赤色になる。メスは茶褐色で、腹部に黄色や黒色の横縞がある。翅の大半は透明であるが、付け根付近は美しい橙黄色になる。生態は平地から丘陵地・低山地にかけて水が滲出している湿地、休耕田などに生息しているが、時には尾瀬ヶ原のような高層湿原でも見られることがある。いずれも日当たりがよく、ミズコケ類やサギソウ、モウセンゴケなどが生息し、極く浅い水域がひろがっているような環境を好む。名前の由来は尾張の本草学者によるもので、発見された矢田川付近ではないかと言われている。」と記されている。
私は湿地帯といっても池よりは水が少ない程度の湿地と考えていたが、ハッチョウトンボが生息する場所は、湿っていてちょろちょろ水が流れる場所が良いようなのである。黒河湿地にはモウセンゴケも生えていて、上述の記述と一致する環境である。しかし水が枯れてしまうのではないかと心配してしまうような環境でもあった。しかし羽化したトンボがシャチホコの姿勢で止まっている理由については記述されていなかった。
帰って来てからそのハッチョウトンボを見た感動をフェイスブックに写真と共に掲載した。教え子の人たちがこれを見て何か感想を載せてくれたら嬉しいなと思っている。(トンボ目 トンボ科 ハッチョウトンボ属 ハッチョウトンボ)
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