モズ

動物編

天童のアパート二階の西側の廊下からは下の畑が見える。北側には東久野本公園があり、そこにはサクラ、コブシ、カツラの木が植っている。春になるとそれらの花や新緑が美しい。そんな環境にある電柱の電線には秋口になると何故かモズがよく止まっている。

モズ(オスとメス)

 私は廊下に出て電線に止まっているモズを見ると、部屋に戻ってカメラを持ち出してそのモズの写真を撮ったものだった。決まってモズは電線に止まっている。高い所が好きなんだろうかと思っていた。

 蟹江に戻って夏から秋にかけて小動物の写真を撮りに行くと、その度にモズを見かけて写真を撮った。その鳴き方も「キッ、キッ、キッ」と高く強い声で鳴いている。その鳴き声を聞くとモズがいるのだとすぐ分かるようになった。こちらでもやはり高い電線や木の梢に止まっていることが多い。モズの「高鳴き」と言って縄張りを主張しているのだと言われている。

以前知り合いから鳥の版画を二枚貰った。その一枚はカワセミ、もう一枚はモズの版画だった。そのどちらも鳥が木に止まっていて背景などは描かれていない。両方共その姿の細かな色合いとそれぞれの鳥の特徴と雰囲気が描かれている。野鳥や野草に関心がある私にとっては気にいっている作品である。そのうちモズの版画は友人にあげてしまったので、私の部屋にはカワセミの版画だけが壁に架かっている。

 九月初旬に蟹江の自宅から関西線永和駅までトンボや野草の写真を撮りながら歩いて行った。その歩く距離は四キロ位ではないかと思う。私の住む団地の周りにはまだ田んぼがあって、田んぼと住宅が混在している水郷地帯の一部となっている。その田んぼの中のイネが植えられていない一角の水面上でギンヤンマが回遊飛翔し、ショウジョウトンボがオモダカの植物の茎の上に止まっている。イトトンボの仲間もその近くで見かけた。それらの写真を撮っていたら、近くの電線にモズが止まっていた。いつも通りにモズの写真を撮った。そのモズはすぐ飛び立って、少し離れた高い送電線に止まった。するといつも聞いているモズの「キッ、キッ、キッ」という鳴き方ではなく、優しい小鳥のような鳴き方をし始めた。モズ(百舌鳥)という名前の由来である、他の鳥の鳴き方を真似るということが本当だったと実感した。モズを百舌鳥と名づけた昔の人たちはモズの色々な習性を知っていたのだろう。

  餌を咥えるモズ

 NHKの「地球不思議大自然 モズ」(二〇〇五・六・六放映)には、武蔵野の四季のモズの習性が示されている。モズが真似る鳥の鳴き声にはウグイス、ヒバリ、ホオジロ、コジュケイ等の真似をするという。実際の鳥たちが鳴くのを聞いて学習するのだろうか。こうした鳴き方の技はメスに対するアピールのためということだった。沢山の種類の鳴き方ができることが賢さの証(あかし)で、それをメスは好ましく感じるのだろうか。

 そして秋口に「キッ、キッ、キッ」と鳴く「高鳴き」は縄張りを主張しているのだという。春から夏にかけて武蔵野のモズは高山や北の方に移動して縄張りを持たないが、秋になって戻って来ると、オスは縄張りを持つ習性がある。他のオスを排除して縄張りを主張するために、「高鳴き」するのだという。

「ちいさな秋みつけた」(サトウハチロー作詞 中田喜直作曲)の一番には、「だれかさんが だれかさんが だれかさんがみつけた ちいさいあき ちいさいあき ちいさいあき みつけた めかくしおにさん てのなるほうへ すましたおみみに かすかにしみた よんでるくちぶえ もずのこえ ちいさいあき ちいさいあき ちいさいあき みつけた」と、ここでもモズの秋の「高鳴き」が記されている。私の経験でも、上述のように秋口にモズを見かけることが多いように思う。こうした「高鳴き」で縄張りを主張する習性は、縄張りに入ってくるメスを獲得するために必要だからである。メスへのアピールのために色々な鳥のさえずりを真似して見せ、そしてメスの前で特技を披露して受け入れて貰うためにアピールする。モズのオスが一番にしなければならない仕事である。だから縄張りが決まってメスを獲得できた頃になるとこの「高鳴き」はなくなってしまう。

 モズは自分の縄張りで巣を造り他の種類の鳥よりは早めに産卵し子育てする。その餌は縄張り内のトカゲや昆虫等の冬越しして活動し始める小動物たちである。

 メスへのオスのディスプレー

 秋口に永和駅近くの木の茂みに鳥がいたので写真を撮ったが、後ろ姿しか見えなかった。その羽の一部が白かったのでてっきりジョウビタキだと思ってしまった。家に帰りパソコンに取り込んでよく見たらそれはモズだった。紋付鳥と言われるジョウビタキと後ろ姿が似ている。顔を見れば嘴が猛禽類のタカのような形なので間違うことはないが、このような白斑があるのはオスのモズだけである。モズはスズメ目でスズメの仲間だが体はスズメよりは大きい。猛禽類のように足が太くて獲物を掴み運べるような形態でなく足が細いので、獲物を狩ると嘴に咥えて木まで行き、そして木の枝やとげに突き刺してからそれを食べる習性がある。モズの獲物はバッタやカマキリ等の昆虫類、トカゲやカナヘビ等の爬虫類である。テレビではネズミを捕らえて嘴に咥えて飛び立つ場面が放映されていた。余程嘴(くちばし)の力が強いのだろう。

  夕日を眺めるモズ

モズの餌場は稲刈りの終わった田んぼや畑の草叢である。高い木の梢から見ていて獲物の動きを察知して狩りをする。よくそんな高い所から獲物が見分けられるなと感心する程である。カワセミやミサゴも高い所からエビや魚を見つけて飛び込んで狩りをするのを度々見かけるが、こんな高い所から水中のエビや魚をよく見つけることができるなあといつも信じられない思いで見ている。同じようにモズもそうした能力を持っているのだろう。

モズは獲物を見ると狩る行動が抑えられなくなり、それを狩ってしまう。そして木の枝やトゲなどに突き刺して食べるが、腹が満ち足りている時は食べずに突き刺したまま行ってしまう。後になって腹がすいてくるとその獲物を食べるというのである。どこに突き刺したか忘れてしまうことも多々あるようで、干乾びてしまうこともある。こうした獲物を突き刺したそのままにしておくことをモズの速贄(はやにえ)と呼んでいる。小さい頃はこうした速贄を見たことがあったが、蟹江に戻ってからは未だ見ていない。昔はその獲物を突き刺してある高さによってその年の冬の降雪量の多さを占っていた。本当にそうなるかどうかは偶然に過ぎないと思うが、昔の人たちはそうしたモズの習性や速贄の事実をよく知っていたのである。

 モズについていつ頃から、その習性やモズそのものを知っていたのだろうか。遠くは万葉集に「春されば もずの草潜(くさぐき)見えずとも 吾は見やらむ 君のあたりをば」(万葉集一〇巻一八九七首)と詠われているという。また剣豪の宮本武蔵は、古木鳴鵙図(こぼくめいげきず)という水墨画(一六四〇年頃)を描いている。この絵は武蔵の剣豪としての孤高の存在と、モズが獲物を狙う厳しい目つきとが重なったものではなかったかと思う。日本では昔からこのようにモズの存在とその習性が良く知られていたことを著している。

モズと関わりがあると思われるものに、大坂府堺市にある「百舌鳥古墳群」がある。五世紀頃のものと言われ、仁徳天皇や履中天皇陵だといわれる前方後円墳がある。世界遺産に登録しようとしているようだが、モズという名前はその頃に既にあったのだろう。モズが畑や田んぼの近くの草丈が低い場所を餌場として人間世界と隣接しながら生きてきたことが、当時の人々にも知られる理由の一つだったのかも知れない。(スズメ目 モズ科 モズ属 モズ)

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