セミ

動物編

小さい時からセミ捕りは夏から秋口にかけての遊びの一部だった。私が育った東芝社宅には道路を挟んで西陵商業高校があり、今のように金網のフェンスで仕切られてはいなかった。道路と学校の敷地の間は少し高い土手状になっていて、そこにはサンゴジュの木が数本の幅で塀の代わりにずーっと植えられていた。その木々のすき間から小学生だった私たちは構内に入って、日曜日や夏休みには三角ベースの野球、軟式用テニスボールを使ったハンドテニスや陣取りゲームをして遊んだものだった。西陵商業高校の敷地は広く、学校の周りの南側には高くて太い幹のポプラが何本もあり、高校の正門付近にはヒマラヤスギが植えてあった。夏休みには部活で高校生が野球やラグビーの練習をしていたが、その傍で私たちはそれらの木に登ってセミ捕りをしたものである。ポプラの揮発性の葉の匂いやヒマラヤスギの乾いた匂いを今でも思い出す。

 今なら構内でセミ捕りをしていたら、部活の顧問の先生が来て注意するだろうが、当時は入るなと注意された経験は一度もなかった。捕りたいセミは網で届きそうな高さには止まっていない。必ず届かない高さに止まっているのでそこまでは登らなければならない。

アブラゼミ

 小中学生の頃は、セミ捕りは白い捕虫網ではなく魚を捕るためのタモ網を使っていた。捕虫網は今でも上品そうな感じがして余り好きになれない。タモ網を木に止まっているセミの上に被せて、飛び立つ瞬間にタモ網を横に振って掬うようにしてセミを捕った。捕るための技があったのだ。

その他にトリモチならぬハエ取り紙の粘着性の液体を竹竿の先端に塗り付けて、それでセミの翅にくっつけて捕ったりもした。(ロジンとひまし油を原料にした粘性を持った液体である)やや透明な茶色のハエ取りの液体をセミの翅に押しつけるとセミはバタバタするが、それでも外れることなく取ることができた。その当時家庭でもハエが沢山いたし、汲み取り便所だったことも関係してか、今のように家からハエを完全にシャットアウトすることはできなかった。家庭では手で引っ張って天井からぶら下げて使うハエ取り用の製品や、B五版位の二枚の紙の間にその粘着性の液体があって、紙を剥がして使う製品もあった。家で買ったり小遣いで買ったそれらを使ってセミ捕りもしたものだった。

この文章を書きながら、そのハエ捕り紙の液体の臭いを思い出している。この竹竿を使ってセミ捕りをするのは簡単にセミが捕れて楽しいのだが、捕ってからセミで遊ぶ訳にはいかない。というのはセミの翅がベタベタして結局は死ぬのを待つだけの状態だからである。

 ニイニイゼミ

名古屋周辺では七月の半ば頃からニイニイゼミが鳴きだす。「ジーッ」と一様な音程で低い感じで鳴くようになると夏が到来したと感じる。その後でアブラゼミがニイニイゼミよりは大きな「ジィージィー」と断続的に鳴きだすと夏本番である。名古屋近辺ではこの二種類がセミの主流である。その後日本で一番大きなセミと言われているクマゼミが「シャーシャー」と大きな声で鳴きだすと、うっとうしい感じが強まって暑さを余計に感じるようになる。ツクツクホウシが鳴きだす頃には秋の気配を感じるようになる。クマゼミとツクツクホウシは私たちにとっては高値の花ともいえるセミだった。クマゼミとツクツクホウシは翅が透明で格好良くいつも高い木の幹や枝に止まっている。私たちには簡単には捕れない憧れのセミである。だから小中学生の頃にクマゼミやツクツクホウシを捕まえた記憶は余りない。

  ツクツクボウシ

初めてヒグラシの声を聞いたのは、中学三年生の時だった。クラスの仲間たちと夏休みに三重県菰野(こもの)町奥の朝明(あさけ)か御在所岳(一二一二メートル)にキャンプに行った。その山道を歩いている時にカナカナという声が聞こえてきた。スギ林なので昼間なのに夕暮れ時のような感じだった。私は最初カエルが鳴いているのだと思った。とてもセミが鳴いているとは思えなかったのである。その日は渓流沿いにテントを張って泊まった。その当時出回り始めたコカ・コーラを初めて飲んだ。薬臭い飲み物だという印象を持ったが、今でもその印象は変わらないままである。

東北に住みようになって夏に鳴きだすのはニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシである。一番多くてそこら中で鳴いているのはミンミンゼミである。

 クマゼミ

ミンミンゼミが天童のアパート近くの公園で鳴きだすと夏到来という感じになる。夏休みになると、例年仙台にいる娘と孫がセミ捕りと谷川での水遊びに来ていた。天童市役所前の東本町公園と市役所食堂の前庭にはミンミンゼミが多数鳴いている。そのセミの抜け殻が木の枝や葉にくっついている。公園に入った時には「セミの抜け殻があるよ」と孫に話して「仙台の友だちやクラスの子に見せてあげたら。」と助言したが、その数の多さに吃驚してしまった。佃煮ができそうな程の量なのである。私もこれまでセミの抜け殻を随分見てきたがこれ程の量は見たことはなかった。セミは七年間地中にいて地上に出て羽化すると言われている。今回の抜け殻が例年よりも多かったのかどうかは分からないが、それほどの多さだった。アパート近くの公園では小学生がセミ捕りをしているのを何回か見かけたことはあるものの、夏休みに小学生がセミ捕りを恒常的にしているのを見たことはない。遊びの中にセミ捕りは入っていないらしい。これ程多くのミンミンゼミが鳴いているとわざわざ捕ることさえしなくなるだろうなと思うようになった。

 ミンミンゼミ

昨年になって同僚の松田水月先生が、国道一三号線沿いの山形県総合運動公園で妹さん夫婦がジョギングしていると話をしていた。その中で運動公園内の木の幹に殻を被ったセミの幼虫が出てきて羽化していると話していたことを教えてくれた。水月先生も羽化しているのを見に行ったという。その時刻は八時頃だったとの話だった。私はそれを聞いて朝方の八時頃だと勘違いして、羽化する幼虫を探しに出かけた。私は小さい時に西陵商業高校の構内で朝方六時頃にアブラゼミが羽化しているのを見ていたからだった。その時刻に羽化しているセミは一匹もいなかった。そこで水月先生に詳しく話を聞いてみたら夜の八時頃だというのである。私はてっきり朝方に妹さんがジョギングしていると思い込んでいたので、勘違いしてしまったのだった。それを気の毒に思ってか水月先生が羽化途中の写真をメールで送ってくれた。

今住んでいる団地の用水路に沿った桜並木には、アブラゼミやクマゼミが止まっている。その姿はすぐ見られるしアブラゼミに至っては手で捕まえられそうな所にもいる。先日も写真を撮りに行ったら、クマゼミの多さは私の予想以上だった。温暖化によってクマゼミの数が増えて、大阪城公園でも多くなったとか、東日本や北日本まで北上しているとかの情報を本で読んだことがある。団地の桜並木のクマゼミも多くなり、アブラゼミと同じ位簡単に捕れそうな状況になっていた。

「蝉しぐれ」というのは、セミの声が時雨のように鳴きたてる様子をいった言葉であるが、ずーっと夏の暑い時期のアブラゼミやミンミンゼミが盛んに鳴き合う時のことだと考えていた。作家の藤沢周平の「蝉しぐれ」は彼の名作の一つであり、内野聖陽や水野真紀出演でNHKで何度も放映されていた。その「蝉しぐれ」のタイトルは夏の暑い季節のセミの鳴き声を著したタイトルのように思えるものだった。

 エゾハルゼミ

東北に来て五月の連休に国道四八号線の山形と宮城県の県境にある関山峠の旧道を入って行ったら、木々の間からセミの声が聞こえた。こんな季節にセミの声が聞こえてくるとは思っていなかったので、本当にセミなのか疑問に思った。鳴いている木に近づくと、その鳴き声がやんでしまう。そんな時偶然に近くの木の葉にセミが飛んできて止まった。確かにそれはセミだった。その瞬間にエゾハルゼミではないかと判断し写真を撮ったが、いつものことながらピンボケになってしまった。五月半ば過ぎに水晶山の駐車場から林道を登っていくと周りは大きな太い杉林になる。そこでもセミの声が聞こえてきた。一匹だけが鳴いているのではなく何匹かが鳴いている。杉に近づくとその鳴き声は止んでしまう。セミがどこにいるのかと探してみるがどうしても探すことができなかった。同じ時期にジャガラモガラにも行ったが、そこではホオノキの幹にエゾハルゼミだと思われるセミが止まって鳴いていた。登山道から上に伸びている木に向かって鳴いているセミの写真を撮った。このように五月に山に入るとセミが鳴いているのを経験するようになった。

翌年の五月末に東根の山形と仙台をつなぐ国道四八号線の山形寄りの、国道から外れた沼沢地区に動植物の写真撮りに行った。林道の入り口にある墓地の駐車場に車を停めて歩き出した。土曜日だからかその道をどんどん奥まで歩いて行ったが、誰も人とは会わなかった。片道一時間半程歩いて、クマに出会わないかと心配になってきたので折り返すことにして戻ってきた。その途中キツツキが木の幹をつつくコンコンという音の他に、セミが木々の間で鳴き競っていた。その鳴き方は「蝉しぐれ」としか表現できないような鳴き方であった。それまでセミが鳴くのは夏の時期であり「蝉しぐれ」は俳句の夏(晩夏)の季語だとばかり考えていたが、五月末に奥羽山系の山懐でエゾハルゼミの「蝉しぐれ」を聞いたのである。春にも「蝉しぐれ」を聞くことができるのだとそれまでの認識を改めることになった。多分一生この時期にこの場所には来られないと思うので、私の心の中の映像として焼き付けておこうとその時に考えたものだった。(アブラゼミ カメムシ目 セミ科 アブラゼミ属 アブラゼミ)

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