コウモリ

動物編

勤めていた短大の学長室の天井の隅にコウモリがぶら下がっていた。全く気がつかなかったが、松田知明さんがコウモリがぶら下がっていると教えてくれた。どこから入ってきたのか分からないが、当時校舎の耐震化工事で建設業者が天井裏の配線の変更や鉄筋の斜交い(ハスカイ)を組むために、天井裏を開けたり閉めたりしていた。その騒音から逃れるために天井裏に潜んでいたコウモリが、学長室の天井裏に避難してぶら下がっていたのではないかと思う。

いつも車のトランクにタモ網を置いているので持ってきてコウモリを捕らえようとしたら、そのコウモリは既に死んでいて難なく網に入れることができた。死んだまま天井にぶら下がっていたのである。随分前から学長室にぶら下がっていて、逃げ出そうとしても逃げ出せずに飢え死にしたのではないかと推測している。

コウモリといえば何十年も前に仙台の県営住宅に住んでいた頃、四階の最上階に住んでいた。そこに上がる通路は入り口から階ごとに二軒が向かい合っている。その階段を四階まで上がった奥が私の家だった。秋が深くなってきた頃、階段の上の天井にコウモリが一羽ぶら下がっていた。一時的にぶら下がっていてそのうちいなくなるのだろうと思っていたが、冬期間ぶら下がり続けていた。仙台の冬の寒さは厳しいので大丈夫かと心配した。しかも動いている気配は全くなくじっとしたままだった。

冬を過ぎて三月になったがぶら下がったままの状態は変わらず、動いている気配は全くなかった。多分死んでいるのではないかと予想して長い箒(ほうき)の柄でそのコウモリを突っついてみたら、そのコウモリは動き出して飛んでいってしまった。生きていたのである。冬中ぶら下がって体力を温存するために冬眠状態を保っていたのではないかと思う。

小学校の頃にはトンボ捕りや魚捕りに夢中になっていたが、コウモリ捕りもしたことがある。当時の名古屋周辺は田舎と街のはざまの様相があり、そこでスズメ捕りもしたことがある。夕方になるとコウモリが飛ぶようになる。夕方に友達と一緒に小石を持ち釣り用の一本竿の竹竿を持って畑の中に蹲(うずくま)る。コウモリが近づいた時その小石を真上に投げるとコウモリは急降下してそれを捕らえようと更に近づいて来る。その瞬間に竹竿でパシッとコウモリを叩くのである。コウモリは羽をひろげながら飛んでいるので近くまで来れば落としやすい。小学生だからそのコウモリの敏捷さについていけずに、上手くいかないことが殆どである。何度も何度も繰り返すうちにたまには落とすことができることもあった。

落としたコウモリのネズミのような顔立ちを確認してから、羽を持ってヨシの葉で作った笹舟や大きめの葉っぱに乗せて、近くを流れる惣兵衛川に流した。この惣兵衛川は小さい頃から魚捕りやギンヤンマ捕りをして遊んだ川である。大きな川ではないが今になって考えると、この名称から江戸時代に掘削(くっさく)された用水路ではないかと思う。その頃はそんなことは全く考えたことはなかった、故郷を離れて戻ってから気がついたことである。

コウモリ捕りはそれでお終いである。今考えるととても残酷な遊びだったと思う。コウモリたちは空を飛びながら、空中の昆虫を超音波で捉えながら捕食している。夕方に小石が飛んでくることなど皆無だろう。こうしたコウモリの習性を私たちは小さい頃から自然と学んでいた。

蟹江周辺では最近はコウモリが飛んでいるのを見たことはない。天童では学長室の天井のコウモリを見てから、夕方に飛んでいるか気にかけるようになった。五月の夕方アパートの西側の畑の上をコウモリが二匹飛んでいた。コウモリが昔に較べて減ってきた原因は、きっと家屋が密閉された造りに変わり、コウモリが家の屋根裏等に入り込めないようになってきたからではないかと思う。人間の生き方や住み方によってコウモリの生息数が左右されているのではなかろうか。

私が小さい頃に遊んだコウモリは、アブラコウモリだと思う。日本のコウモリの種類は三〇種位で、哺乳類の三分の一から四分の一程と多い。このアブラコウモリは人家の近くで生活する唯一のコウモリで、夕方になると活動を始め、昆虫類を食べるために活動する。体長は五センチ位、重さは一〇グラム程で小さい部類に入るコウモリである。住宅の天井裏等に数センチのすき間からでも入り込むので、糞や病原体の被害から駆除の対象になっている。地域差もあるようだがあれ程見かけたコウモリがいなくなったのは、住環境の変化と日本人の清潔への潔癖性がアブラコウモリの数を減少させた大きな原因ではないかと思うようになった。これはスズメやツバメの数が減ってきた原因と同様ではなかろうか。(コウモリ目 ヒナコウモリ科 アブラコウモリ属 アブラコウモリ)

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