タヌキ

タヌキは里山に住む動物で夜行性なので余り出会ったことはない。出会いがあるとすれば車にぶつかって死んでいるタヌキを見かけるのがいつものことだった。山形や宮城で死んだタヌキを見かけてその写真を何枚か撮ったりしていた。

 車に撥ねられたタヌキの死骸

 タヌキとキツネと言われるが私はタヌキよりはキツネはさらに見かけたことはない。でも一度だけ東日本大震災で被害を受けた福島県のいわき市久之浜から楢葉町を通る国道六号線から山沿いの県道三五号線を走っていた時に、杉林の薄暗い県道脇でキツネを見たことがある。細長い体でイヌではないと直感的に分かったものの、通り過ぎてからキツネではないかと思い直したのである。

 いわきの短大に勤めていた時に、福島の浜通りの学生と話したことがある。彼は阿武隈山地の麓にある農家の子弟で家の周りは田んぼや畑だと話していた。私はその学生に「阿武隈山地にはクマはいない筈だが見たことはあるか。」と尋ねたら、「見たことはない。」と答えた。彼の家の周りではキツネ、タヌキ、キジ等が出てくると話していた。当時は今程イノシシが北上していなかったから、イノシシを見かけたという話は出なかった。またニホンザルを見かけたという話もしなかった。奥羽山系と阿武隈山地の間には東北本線や東北新幹線などが通っていて常磐線よりは交通量が多いので、クマやニホンザルは奥羽山系から阿武隈山地には移動できないのかもしれない。私は阿武隈山地のいわき市の小川郷から川内村(草野心平が住んでいた)までの山道を車で何回も通っていたが、途中でクマやニホンザルは見たことはなかった。

  土手で出会った動かなかったタヌキ

 私のタヌキの経験と言えば、宮城県の秋保温泉から山寺に抜ける県道六二号線(秋保中学校から右折して一般道四五七号線で熊ヶ根まで抜けた)の七ツ森の辺りを夕方に車で走っていたら、突然タヌキが運転席側である右側の道路(それほど広くない)に出てきた。そのタヌキはそれに吃驚して引き返そうとしたが、咄嗟に反転して戻ることができず車に並走して走り出した。私の車とタヌキが並んで走ったのである。数秒間並走してから右側の草叢の中に逃げていった。私にとっては思いがけない出来事だった。もし私の車が数秒でも遅かったら、タヌキを轢いていただろうと思う。そんな忘れられない思い出がある。

 テレビでタヌキは夜行性で人家の近くに住んでいて、夜になって庭に出てきて餌を採っている様子が放映されていることがある。大都会東京のど真ん中の森でもタヌキが見られるという話も聞く。恐らく雑食性で何でも食べ里山に住んでいるタヌキの生態に合った環境なのだろう。確かに山奥でタヌキがいるというイメージは持ち難いし、実際には生きることができないと思う。

 写真を撮れるのは死んだタヌキ以外にはあり得ないと考えていたが、蟹江に戻ってから偶然そのタヌキの写真を撮る機会に恵まれた。それはあま市と清須市を流れる五条川にカモの写真を撮りに行った時のことだった。川の堤防上の道路はコンクリート製で、そこを車が行き来している。川と堤防の間は草叢になっていてヨシ、クズやアメリカセンダングサ等が沢山生えている。そこをぶらぶら歩きながら川にいるカモの写真が撮れる場所はないかと歩いていたら、目の前に黒っぽい動物がこちらを見つめている。私はその動物を見た瞬間直感的にタヌキだと思った。そしてカメラを構えて写真を撮り始めた。タヌキはじっと動かずに私を見つめている。私も動かずにじっとタヌキを見つめたまま、ファインダー越しにシャッターを切り続けた。それでもタヌキは動かないまま私を見つめ続けている。こうした動かずに見続ける行動は、カモシカの場合にも経験している。宮城県の村田から川崎に抜けるススキ原になっている草叢にカモシカがいた。五〇メートル位離れていたと思う。そのカモシカを見続けてカメラのシャッターを切っている間、全く動かずに私を見つめていた。そして私が横を見た瞬間にさっとその場から去っていった。今度のタヌキの場合も同じだった。私がタヌキと対峙した時タヌキは私が危険かどうか、どこに逃げるか等を判断していたのではないかと思った。そのタヌキは危険でないと判断したのか、ゆっくりと方向を変えて草叢の奥に歩いて去って行った。

 タヌキの溜め糞

 こんな町の真中の堤防と川の間にある草叢にタヌキがいるとは全く思っていなかったので、生きたタヌキの写真が撮れてとても嬉しかった。この五条川の草叢には、大水の時にはプラスチックゴミや色々なゴミが流れてきて、とても綺麗とは言えない場所である。写真で見るとこのタヌキの毛並みはつややかとは言えないものだった。この草叢だけで生活を完結しているとは思えず、夜になると堤防を越えて、人家の近くまで餌を取りに行くのではないかと想像している。

 これまでタヌキが道路脇に死んだまま、放置されているのをよく見かけていた。そんなことと山形県鶴岡市(旧朝日村)の鷹匠の松原英俊さんのことが私の中で関連づけられている。この人は現在日本で唯一の鷹匠と言われており、白川郷の建物のような多層民家で有名な田麦俣に住んで鷹狩を行っていた人である。今は天童市の田麦野に移り住んでいるという。この人が最大の猛禽類の仲間のクマタカ(全長八〇センチ 体重三キロ 翼長一・五メートル)を育て狩りができるように訓練する様子を、私は記録映画「奥羽の鷹使い」(文化庁制作 一九八八年)で見て、心理学の観点からクマタカの訓練の仕方に興味を持っていた。その中でクマタカを飼うための餌を確保するために、ニワトリや道路に死んだ動物の死骸を餌にしていると話していた。その餌の中にタヌキも含まれていると私は考えていた。彼の公式サイトを見てみたら、クマタカの獲物は大体はウサギだが交通事故で死んだイヌやネコも拾ってきて餌にすると記されていた。そこにはタヌキの名前は出ていなかった。タヌキが周辺にいない訳ではないと思うが、田麦俣は奥羽山系に深く入っているので里山に住むことが多いタヌキ等は多くないのかもしれない。鷹匠とはタカ狩りとは違うのだと思う。松原さんは生活の全てをタカ狩りで生活している。私たちのような文化的な生活ではなく、山奥に住んでいることから貧乏に近い生活振りである。それでもタカ狩りの伝統を受け継いでいく使命に燃えているように思われた。

 皮膚病になったタヌキ

 今はクマタカの他にロシアから手に入れたイヌワシ(コンロン号)も育て訓練していると記されていた。イヌワシ(全長七五~九五センチ 重さ五キロ 翼開長一六八~二二〇センチ)の方がクマタカよりも大きい。中日新聞に滋賀県米原市の伊吹山(私が卒業した浄心中学校の校歌にも、伊吹下ろしという文言がある)で、イヌワシがコジカを掴んで飛んでいる姿が掲載されていた。こんな大きなものを狩るのもイヌワシだからだろう。

 タヌキといえば思い出すのが、滋賀県甲賀市の信楽にある信楽焼のタヌキの置物だろうか。徳利と勘定帳をぶら下げて笠を被っている姿を目にした人も多いのではなかろうか。タヌキは福を呼ぶといわれて作られているそうだが、残念ながら信楽焼を見に行ってはいない。近いうちに訪ねたいと考えている。

 ところでタヌキの習性に「溜め糞」がある。どうも決まった場所に糞をする習性があるようなのだ。善太川の永和中学校の脇の土手の一か所に数年前から「溜め糞」があった。犬の散歩で歩く人はいるかも知れないが、今では犬を紐で繋いで糞の始末することがエチケットになっている。こんなに固まって大量の糞が溜めてある原因が犬にあるとは到底考えられない。数日すると新しい糞がこれまでの糞の上にしてある。どう考えても犬の糞ではなさそうでタヌキの「溜め糞」ではないかと考えるに至った。五条川の環境とも似ていることもそう推測した理由である。

 他にも日光川河口の善太川との合流地点のヨシ原が沢山生えている場所近くの土手にも、「溜め糞」があった。それも日を追うごとに少しずつ増えている。雨風に晒されてその糞は白くなっている。その内容物の中に茎のようなビニールのようなものが含まれていた。ヨシ原の中のゴミではないかと思われた。この糞もタヌキではないかと思っている。どうも夜行性のためだろうがこうした人家の近くの草叢やヨシ原でタヌキがひっそりと生きているようである。(食肉目 イヌ科 タヌキ属 タヌキ)

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