メダカ その1

動物編

小学生の頃からメダカを飼うようになって何十年も経つが、当時は野生のメダカが周辺の小川に沢山いた。そこで希少価値の高いヒメダカを金魚屋で手に入れて水槽で飼って育てていた。近年になると野生のメダカがレッドブック絶滅危惧種Ⅱ類の対象になって、そう簡単に手に入れることはできなくなってしまった。

 手に入れようとしても住んでいる場所が分からずに、ホームセンターのペットショップで黒色メダカと赤色メダカ(ヒメダカ)が混在している水槽のメダカを手に入れて、黒と赤に二分して、それぞれで育てていた。当然のことだが黒色のメダカでも産卵すると、その中に赤い稚魚が混じることになる。それでも継続的に育てながら選別していけば黒色の原型種に辿り着ける筈である。山形の冬を越させるため時には、黒色と赤色のメダカを一つか二つの水槽に纏めたので、表現型は黒であるが赤の遺伝子を持った黒メダカと、純系近くなっている黒メダカが混在する羽目になってしまう。ここ数年は厚い氷とマイナス一〇度にもなる野外で越冬させる実験的な試み(どんな容器が、どんな工夫をすれば良いか)もしているので、黒メダカの純系まで辿り着けないのが現状である。

捕ってきた野生メダカ

 田んぼの周りの野生の動植物の図鑑やインターネットを調べていたら、メダカにも土地によって遺伝的な違いがあると載っていて、違った地域のメダカを放流しないようにと警告していた。私は日本の農業形態が大型化し稲作環境が変化していく中でも、メダカが再生できる環境が戻れば放流したいと考えている。当然そこに住んでいたメダカが絶滅してしまっている場合であることは言うまでもない。日本の自然環境にアメリカザリガニ、ブラックバス、ブルーギル、カダヤシ、グッピー、ウシガエル、ジャンボタニシ、カミツキガメ等が安易に放流された結果、現在の日本の自然環境が変化してきたことは周知の事実である。

 いわきで採取した野生メダカ

 そんな時に偶然、福島県のいわき市湯本のある田んぼで何度かに亘って野生のメダカを採取することができた。野生のメダカを手に入れたいと考えてから、かれこれ二〇年位は経つのではないかと思う。いわき産のメダカを天童のアパートのベランダで育てて、黒と赤の混在したメダカと隔離して育てた。

山形で冬期に野外で越冬させる手段を確立したら、今度は黒色メダカの純系を選別する作業をしてみようと考えていた。アパートの二階の私の部屋の入り口の廊下は、メダカの養殖場になっている。大家さんから見れば私は良い住人ではないだろうなと思っている。

この山形の冬を越冬させる方法を見つけ出すのは大変だった。冬の降雪と凍結の中でどうやってメダカを生き延びさせるか。最初はプラスチックの水槽にメダカを入れて、戸外に置いておいたら水槽が全て凍って、全てのメダカが死んでしまった。次にいわきの魚屋で干物を買った際に入れてくれた発泡スチロールの箱にしたが、高さが足りなくてやはり水が凍ってメダカは死んでしまった。そこで発泡スチロール箱に蓋をしたら良いのではないかと考えた。冬中蓋をして水槽を真っ暗にしておけないので、箱の蓋の真中に四角い穴を開けて、ブツブツがあるポリエチレンの包装材を張り付けて置いてみた。それでも外気の寒さで死んでいるものがいた。昼間はブツブツがあるポリエチレンの包装材をホームセンターで数メートル買ってきて二枚重ねて蓋にし、飛ばないように箱の周りを紐で縛っておいた。夜になるとそれらを剥がして発泡スチロールの蓋をして、その上から包装材を巻くようにした。その結果、春まで生き延びるメダカが少しはいるようになった。毎日その作業するのはかなり大変だった。とにかく冬の寒さが厳しいので、発泡スチロールの水槽の表面が凍ると、その厚さで私が乗っても氷は割れない程だった。

  発泡スチロールの容器で冬に備える

次にはホームセンターで底が深い発泡スチロールの箱を買って来て、メダカを入れてみた。冬の寒さで表面が凍結しても、底は凍らない程の深さがあれば良いのではないかと考えたのである。するとメダカの多くは越冬することができるようになった。

考えてみれば自然の状態の池、沼や川等でメダカが生き残れる条件を考えてみたら分かりそうなのに、何年間も無駄な努力をしていたのだ。「何だかなー。」というのが私の後悔だった。

ただこうしたメダカを越冬させる中でも新しい発見をした。水温が下がってくるとメダカの何匹かは平衡感覚が狂って、しゃちほこのように尾の方が上になってしまう。鰾(うきぶくろ)はあるが、そのバランスの調整障害を起こすようなのである。一度そうなると時間が経っても直らないままだった。

 日本のメダカは大きく太平洋型と日本海型のメダカに分かれると言われている。こうした違いはメダカの生態と関係がある。メダカは稲作と関係が深く、秋になって水田の水を落とされると近くの水涸れしない凍らない場所で越冬し、翌年の春の田植え時期に畔の小川に流れ出て産卵して、子孫を残しながら生きている。そこでの生態系は微妙でしかも危うい状態が一般的である。こうしたことが繰り返されると遺伝的にはその地域だけの遺伝子が固定してくるのは当然だろう。

 日本海側の鶴岡のマリア幼稚園で保育の助言を頼まれて訪問した際、下駄箱の上の水槽にメダカを飼っていたので、どこで手に入れたのか、もし手に入れられるなら欲しいと話した。すると羽黒神社の「えぞだて公園」の池にメダカがいると聞かされた。そのうち採取しに行こうと考えていたが、次に訪問したら幼稚園の職員が採取してくれていて、それを貰うことができた。明らかに日本海産のメダカだと思う。こうして天童のアパートには太平洋型(いわき産)と日本海型(羽黒神社産)の二種類のメダカがいることになった。

 蟹江に帰る前の夏休みにいわき産のメダカの子孫(今年産卵し孵化した)をハンディタイプのプラスチック水槽に入れて持参した。蟹江に戻る前にライフワークであるメダカを飼う準備を少しずつしようと考えていたからである。発泡スチロールの箱をホームセンターで買って、ホテイアオイとアナカリスを入れて持参したメダカを飼うようにセッティングした。

 蟹江は元々水郷地帯なので、私が若い頃は自宅からすぐ近くの田んぼ脇の川でご飯粒を餌に釣りをしたものである。フナやモツゴ(クチボソ)などが簡単に釣れた。その当時は川にライギョやウシガエルが沢山いて、夜になると牛声のようなウシガエルの鳴く声を聞いたものである。蟹江は名古屋駅から関西線で一五分位なので、最近は住宅地が増えて田んぼは少なくなっている。それでも町内を二級河川の蟹江川、日光川が流れており、周辺には田んぼもまだ残っている。

蟹江に戻ってからタモ網を買って近くの田んぼの畔の川に魚を捕りに行ってみた。蟹江からすぐの愛西市に入って、日光川の西側の田園脇の用水路でタモ網を入れてみた。最初見た時には小魚が群れて素早く泳いでいくのを見て、きっとフナの子の群れだろうと考えた。そこで逃げる群れを追いかけてタモ網で掬ってみたら一匹が網の中に入った。よく見たらフナではなくメダカだった。こんな近くでメダカに会えるとは思っていなかったので感激してしまった。昔はメダカをよく捕ったものだが、この時代にも蟹江周辺にメダカがいることに吃驚した。

 畔の水路で見かけた野生メダカ

その道を自転車に乗ったおばあちゃんが通りかかり、「何をしているのか。」と尋ねたので、「メダカをとっているのだ。」と答えると、「この辺にはメダカがいてナマズの餌にしている。」と話してくれた。昔は蟹江周辺にはナマズもいて、私もミミズを餌にしてナマズを釣ったりナマズの稚魚を四手網で捕ったりしたものである。メダカを餌にするというのはナマズの親でなく稚魚を育てる時に食べさせるに違いない。蟹江には「なまず屋」という川魚やウナギを食べさせる店がある。ナマズはまだこの近辺に住んでいて捕れるということではなかろうか。

そんなわけで「灯台下暗し」と言えば言えるような、こんな身近にメダカがいることが分かって、これまで野生のメダカを採取しようと苦労していたのは何だったのかと思った。この捕ったメダカは太平洋型に属するものだと思われるから、いつかいわき産と蟹江産のメダカの形態や生態の違いがあるかどうか調べたいと思っている。(ダツ目 アドリアニクチス科 メダカ属)

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