小さい頃身近に見ながら捕れないトンボがいた。ウスバキトンボである。交差する道路上や広場の上を飛び交って飛んでいるのだが、タモ網で捕ろうとしても捕れた記憶は殆どない。しかも常に飛翔していて、とまっている姿を見たこともなかった。
とまって陽ざしを避けるウスバキトンボ



蟹江周辺でウスバキトンボを頻繁に見かけるのは真夏が過ぎる頃だが、初夏には樹縁の道路上を飛び交うのはコシアキトンボである。腰の黄色が羽化して間もない未成熟のトンボだと分かる。
私はコシアキトンボを、長い間オスは濃い黄色でメスは白っぽい色だと思い込んでいた。ところが天童で、八月初め原崎沼で見かけたコシアキトンボは全て白っぽい色だった。なぜメスだけでオスはいないのだろうと不思議に思ったのだった。本来メスは縄張りを作らずフラフラと色々な場所を飛び回るが、メスだけしかいないということが解せなかった。オス・メスともに腰の黄色が白っぽく変化してくるのを知ったのは後年のことである。
コシアキトンボの例から類推すると、道路上を飛び交うウスバキトンボは未成熟の可能性がある。最終的には産卵のために交尾相手を探しに水辺に行くのだが、成熟するまではこうした場所で群れながら時間を過ごしていると考えている。
水面上を飛翔、叢の上を群舞するウスバキトンボ



その後ウスバキトンボが止まっている場面を何回も見かけるようになった。特に陽射しが強い午後の時間帯の時が多く、暑さを避けているようだった。トンボは変温動物なので、陽射しが強いと体温が上がって活動しにくくなる。そこで草の陰や止まり木の反対側に身を寄せて直射日光を避けるのだ。
ウスバキトンボは南方系のトンボで、春になると八重山諸島で発生し、それが産卵と羽化を繰り返しながら北上してくると言われている。秋の終わりに産卵しヤゴになっても日本の冬が寒すぎて死滅してしまうらしい。私はまだ納得できないでいるのだが。
NHK特集「トンボになりたかった少年」(一九八四年 NHK放映)の再放送を見ていたら、航空力学が専門の東大教授の東昭さんが、三重県志摩半島の鎧崎に三〇〇〇キロも海面上を飛んで来るウスバキトンボを見たくて探しに行った様子が放映されていた。本人は見られなかったようだが、漁師の中には見かけたという人がいた。また秋の終わりに、北海道からカラフトやカムチャッカ半島にオホーツク海を越えて飛んでいくウスバキトンボが見たくて、網走能取岬まで出かけ探している様子も放映されていた。
ウスバキトンボは「日本のトンボ」(尾園暁 川島逸郎 二橋亮 文一総合出版)には「卵期間三日~一週間、幼虫期間一~二週間程度(一年多世代)。成虫は春から秋にかけて全国各地で見られ、一時的な発生を繰り返すが、ほとんどの地域では越冬できずに死滅する。八重山諸島では幼虫での越冬が確認されている。」と記されている。台湾近くの八重山諸島(西表島など)から北上してくるようだが、その個体がそのまま日本を縦断できる筈がない。
途中で産卵し孵化して幼虫、そして羽化して成虫になりながら北上していくらしい。私は永和の田んぼの水溜まりや弥富市の「海南子どもの国」の池で、連結産卵や単独産卵しているウスバキトンボの行動を見かけている。短い期間で幼虫が羽化していくことを繰り返しながら北上していくのだろう。
単純にウスバキトンボは北上するだけでなく南下している可能性はないのだろうか。南の台湾では気温が高いので、そこで夏になるとウスバキトンボが見られるのではないか。また西側の中国大陸ではどうなのだろうか。もしそこでは見当たらないとしたら、偏西風の影響かもしれないと考えている。
産卵しながら北上するとすれば、その産卵にもそれを可能にする条件がある筈である。
ウィキペディアには「ウスバキトンボのメス成虫の蔵卵数約二九〇〇〇は、ほぼ同体長のノシメトンボの蔵卵数約八八〇〇の三倍以上である。~中略~ 産卵数の多さが日本における数か月での個体数急増を可能にすると考えられている。卵は数日のうちに孵化し、薄い殻をかぶった前幼虫はすぐに最初の脱皮をして幼虫となる。幼虫はミジンコやボウフラなどの小動物を捕食して急速に成長し、早ければ一か月ほどで羽化する。ウスバキトンボは寒さに弱く、幼虫は水温四度Cで死滅するといわれる。毎年日本で発生する個体群は、まず東南アジア・中国大陸から南日本にかけて発生し、数回の世代交代を繰り返しながら、季節の移ろいとともに日本を北上してゆくのである。~中略~ 毎年春になると南日本から成虫が発生する。南西諸島や九州、四国では四月中旬に飛び始めるが、本州南部では五~六月、中部山岳地帯や東北地方では七~八月、北海道では九月というように発生時期が徐々に北上する。寒くなり始めるとバッタリと成虫が見られなくなる。現在のところ、南下する個体群なども確認されていないので、寒さで死滅すると考えられている。~中略~ 日本で繁殖できないのは、熱帯性である本種が寒さに弱いことの他にも、冬の日本では幼虫のエサとなる水生小動物がいないことも原因ではないかという説もある。」と記されている。
ウスバキトンボは他のアカトンボに較べて蔵卵数が三倍も多い。また羽化するまでの期間が短いので、日本国内で増えて北上することができるのだろう。なぜ北上するのかははっきりしない。ただアキアカネのように生息しやすい気温があって、夏は山地で生活し、秋になると里に下がって来るように、適正な気温の場所に移動するのかも知れない。北海道までいっても、秋になって気温が下がってきたら南下しても良さそうなのに、余りそうした話は聞かない。
私のこんな疑問に応えてくれそうな本があった。「トンボの不思議」(新井裕 どうぶつ社)である。長いが引用してみよう。「当時勤務場所であった埼玉県秩父市で調べてみることにした。テーマは、秩父ではいつ頃飛来し、何世代繰り返して、いつ頃いなくなるのか。気温が何度まで下がったら死滅してしまうのか、という点である。いつ飛来して、いついなくなるかについては、成虫を初めて見た日と最後に見た日を毎年記録するという方法をとった。一九八五年から一九九四年までの十年間に記録した結果は、最も早く成虫の姿を見たのは一九九四年の六月二十七日、逆に最も遅かったのは一九八九年の七月十七日で、十年間を平均した初見日は七月七日となった。一方、終見日は早い年が十月三日、遅い年が十一月十二日、平均終見日は十月二十五日だった。つまり秩父市の平均的な出現期間は、七月上旬から十月下旬までの三ヶ月余りということになる。またその間の成虫の個体数の推移を知るため、一九九三年と九四年に、勤務場所の敷地内に一定のコースを決め、晴れた日の昼休みにコースを一周して成虫の個体数をカウントした。その一方で、この近辺の水たまりでウスバキトンボの抜け殻を集め、羽化個体数を調べた。その結果、成虫の個体数は七月と八月、それに九月に増加し、羽化は八月と九月に行われることが分かった。これらのことから、秩父地方へは七月上旬に飛来し、それが産卵して幼虫になったものが一ヶ月後の八月に二世代目の成虫となって羽化し、さらに二世代目のものが産卵して、そのヤゴ(幼虫)が九月に羽化する。つまり、当地では、二回世代を繰り返し、三世代目のヤゴは羽化まで成長できないものと思われた。それでは、他の地域ではどうなっているのだろう。手もとの文献でいくつかの地域の成虫発生期を比較してみた。沖縄の八重山諸島では一年中成虫が見られるというので、越冬が可能なのだろう。熊本県では五月上旬~十一月下旬、高知県では四月上旬~十一月中旬、近畿地方では四月下旬~十一月中旬、山陰地方では四月中旬~十月下旬に成虫が見られるという。一方千葉県では五月上旬~十月中旬、富山県では六月下旬から~十一月上旬、北海道では七月上旬~十月中旬に成虫が見られるという。また長野県では六月中旬から、新潟県では七月中旬頃から、青森県では七月から成虫が現れるという。確かに北に行くほど初発生時期は遅くなる傾向があり、おおむね太平洋沿岸地域の発生が早いようである。また意外なことに熊本も千葉も初発生時期は五月上旬と同じである。これらのことから、第一陣は九州、近畿から関東南部の沿岸部までやって来て産卵し、次の世代が一ヶ月後の六月上・中旬に羽化するものと推察できる。さらにその次の世代が七月上・中旬に羽化、その後九月までに二回世代を繰り返し、十月末~十一月に死滅するものと思われる。
産卵するウスバキトンボ



そう考えると、秩父へやって来るのは北海道と同様、第一陣から三世代目ということになる。北海道の方が秩父よりはるかに遠いのにもかかわらず、初発生時期が同じだということは、海沿いの移動は時間がかからないのに対し、内陸部を移動するのは長時間を要するということかも知れない。」と記されている。
また死の原因については、「ウスバキトンボは寒さに弱いというのが常識になっているが、一体どのくらいの寒さになると死んでしまうのであろうか。一九九〇年を例にとって調べてみると、秩父での成虫の終見日は十一月十二日であった。その前日の十一日の最低気温は〇・八度、十二日の最低温度は一度であった。このことから成虫は一度内外以下になると死滅すると考えられる。しかし、ウスバキトンボと同様、真夏に活動するオニヤンマやシオカラトンボはもっと前に死んでしまう。日本産の二百種類のトンボの中で、十一月まで成虫で生きのびるというのは、かなりまれで、大半は秋までに死んでしまう。成虫についていえば、ウスバキトンボは寒さに弱いどころか、逆に最も寒さに強いトンボといえるだろう。では幼虫はどうであろうか。確かに秩父で冬季に幼虫の生存を確認することはできず、寒さの訪れとともに、次々と死んでいった。しかし幼虫は成虫以上に低温に耐えるようで、成虫が死に絶えてからしばらくしても、元気なヤゴを目にすることができた。一九九〇年に秩父で調べたところ、十一月十一日に最低気温が〇・八度となって初氷が観測された頃から死亡個体が見られるようになった。十一月二十二日~二十五日は連日最低気温が氷点下となり、十一月二十四日にはマイナス一・八度まで下がったが、まだ生存しているヤゴが見られた。結局十二月に入って全て死んでしまったが、幼虫も意外に低温に強いようである。九州や四国の南端なら厳寒期の日最低気温は二~三度であり、この程度の寒さには耐えられそうな気がするが、しかしこれらの地でもヤゴの越冬は確認されていない。このトンボの特長の一つに幼虫の成長が極めて速いということがあげられるが、それは代謝速度が速いということであり、それゆえに絶食に耐えられないのではなかろうか。つまり、私は寒さそのものより、低温により摂食行動がとれなくなることが死を招くのではないかという気がしている。はたして真相はどうであろうか。絶食試験をやれば分かることなので、そのうち試してみたいと考えている。」と記されている。
またなぜ北を目指すのかという問いには「毎年毎年、北へ北へと移動をしては死んでしまうウスバキトンボは、ずいぶん無駄なことをしているトンボのように見える。しかし、このトンボは世界中に分布していて、今日繫栄していることを思うと、決して無駄ではないのだろう。温暖化の影響で、そのうち九州や四国で越冬が可能になるかも知れないのだ。環境変化の激しい昨今、いつ住み場所が破壊されるか分かったものではない。同じ場所に固執していては絶滅の危機がやって来る。リスクを覚悟で新しい生活場所で暮らす積極的な生き方が、現代ではトンボの世界でも成功者となるのかも知れない。とはいえ、暑さに向かう季節には北へ、寒くなってきたら南に移動する知恵を働かせればよさそうなものなのに、そうはしない。生真面目に、北を目指して玉砕してしまう。何か哀れなような、空恐ろしいようなトンボではある。
では、なぜそのような移動をするのだろうか。ある図鑑には『南方では個体密度が過剰になり毎年四~五月頃季節風に乗って若い個体が大群で北上する』と解説されている。しかし、昆虫は発生数の増減が大きい生物なので、毎年過密になるとは限らないし、日本本土に到着した頃には、そんなに過密でもないだろう。それにもかかわらずさらに移動するということは、過密説では説明がつかない。このトンボは九州では田んぼに多いというが、私が住んでいる埼玉県では田んぼより、水泳プール、水たまりなどトンボにとってあまり良い環境とはいえない、一時的な水たまりに多く見られる。田んぼも稲が育つときだけ水が入るので、一時的な水たまりといえよう。
一時的な水たまりは、すぐに干上がってしまう恐れがあるし、いつまた水が溜まるかもわからない不安定な場所である。だからヤゴの成長速度を速め、干上がる前に飛び立ち、次の新たな水辺を求めて移動するという生活が備わったのだろう。このトンボの起源は、雨季と乾季とがある熱帯地方で、雨季のあいだに育って、乾季が来ると別の場所に移動して繁殖するという生活をしていたのではないだろうか。北の方向は水辺のある希望の地を意味し、その先祖の血が、北へ北へと駆り立てるのかも知れない。
ところで、毎年南方から北を目指しては結局は死んでしまい、元も場所に戻ってこないなら、そのうち、南方の地からウスバキトンボがいなくなってしまうのではないか、という素朴な疑問が湧いてくる。しかしそんなことがないところを見ると、移動する個体と移動しない個体とがいるのだろう。何はともあれ、ウスバキトンボの大きな羽は浮力を高め、風に乗って労力をかけずに長距離を移動する術を備えているようである。ご先祖様の使いならぬ、南方からの使者である。」と記されている。
ウスバキトンボは蟹江周辺で八月後半に多く見かけるので、私の感覚では山形、青森や北海道では九月~十月頃ではなかろうか。まして北海道では十~十一月になると思われる。そろそろ気温が下がり始めている時期である。ただそれよりは早い時期に見られるとすれば、八重山諸島から九州経由ではなく、関東や東北南部へ直接やってくる個体もいる可能性もあると思われるのだ。
秋の終わりに網走能取岬にウスバキトンボを探しに行った東昭さんは、どこからそんな情報を得ていたのか知りたいものである。
ところでアサギマダラは長い距離移動すると聞いている。先日山形の知人が「山形でマーキングしたアサギマダラの個体が二千五百キロ離れた台湾で見つかったそうです。」と連絡をくれた。ウスバキトンボが毎年日本を北上しながらも子孫を繋げないのを繰り返しているのを知って、地球温暖化が進めば、定着できるようになるのかもと考えた。
トンボを知るようになって、それぞれのトンボに発生時期と期間があることが分かってきた。晩春から秋まで発生し続けているのはわずかで、ギンヤンマやシオカラトンボなどはそれにあたるが、ハラビロトンボ、チョウトンボやコノシメトンボなどは二~三週間に限ってしかか見られない。でもウスバキトンボも一見すると発生時期と期間が決まっているように見えながら、他のトンボとは違っている。
八月初旬に日光川の日光大橋近くの土手の道路と土手の間でたくさんのウスバキトンボを見かけた。道路上から土手の上に、また逆に土手から道路にと移動しながら群れて飛翔していた。ウスバキトンボを見ると暑い夏と対連合されている。
その後土手下の鍋蓋新田の用水路で、縄張りの巡回飛行しているウスバキトンボを見かけた。同じ範囲をホバリングしながら何回も巡回飛行している。しばらくすると近くの枯れた茎にとまって休憩していた。同じウスバキトンボでも未成熟個体と成熟個体の違いによって行動が違うのである。
地球温暖化が進めば、ウスバキトンボが産卵した卵が国内で冬を越し羽化できるようになるかも知れない。自然はこうした壮大な実験を、ウスバキトンボで行っているように思えてならない。それは種を残せるかであって、個体の命を考えていないのは、他の動物の例と同じである。自然はある意味でとても残酷な試みを当然のごとく行っているのだとつくづく思ってしまったのだ。
(トンボ科 ウスバキトンボ属)
コメント