ツグミは私のイメージとしては孤高の鳥である。私が見かけている時にはいつも一羽で耕された畑の中にいるか、木の梢の枝に止まっている姿しか思い浮かばない。仙台の知人宅の餌台でも殆ど餌台に上がっているのを見たことがない。いるとすれば地面の餌台から落ちた餌を啄んでいる姿しか思い描くことができない。
ツグミ
これまで私はツグミの姿を見ると焼き鳥にしたら美味しいだろうなと思っていた。それほどツグミの大きさと雰囲気は、焼き鳥の材料として最適ではないかと思えるのだった。昔はカスミ網で鳥を捕ることが一般的に行われていた。メジロやヤマガラ等の観賞用の鳥とは別に、ツグミもそのカスミ網で捕って食用にしていたのである。
今では焼き鳥といえば家畜のニワトリが中心で、その部位によって美味しさを楽しむようになっている。例えばモモ、ツクネ、カワ、ネギマ、ナンコツ、砂肝、レバー、ハラミ、エンガワ、ササミ等多様な種類がある。私はモモ、カワ、レバーが好きだが全てニワトリの部位の違いに過ぎない。何十年も前には焼き鳥といえばニワトリだけでなくスズメやツグミも焼鳥の材料だった。
仙台の名掛丁の焼鳥屋でスズメの焼き鳥を食べたことがある。美味しいというよりは骨ばかりで美味しいという感じはしなかった。ツグミの焼き鳥は残念ながら食べていないが、メニューの中にあったように記憶している。ツグミと焼き鳥が対連合されていてツグミの姿を見ると焼き鳥にしたら美味しいだろうなという気持ちになってしまうのである。
一九九〇年代に「鳥獣保護法の一部改正」があって、ツグミ等の鳥の狩猟は許可がないと行えなくなった。私がツグミを焼き鳥だと考えていた頃には、こうした法律はまだ施行されていないか、それとも密漁による流通経路があって焼鳥屋の材料として使われていたのかも知れない。こうした法律が施行されてからも密漁は多く行われ、その裁判結果の記録もある。ツグミはシロハラと同じ渡り鳥である。その鳥を一網打尽に捕ってしまうのがカスミ網である。カスミ網は細い糸を網にして、鳥の通り道に何十メートルもの網を何組も張って仕掛け、飛んで移動してくる鳥を網にひっかけて捕まえるものである。そして鳥たちをおびき寄せるために、アユの友釣りのように籠に入れた鳥をカスミ網の近くで鳴き声を聞かせたり、カセットテープで鳴き声を聞かせたりしておびき寄せる。
ツグミの群れ
カスミ網で密漁するものにはメジロ、ホオジロ、ウグイス等の声を聞かせる鳥や、オオルリ、エナガ、キビタキ等の姿が良い鳥、そして焼き鳥などの材料にするスズメ、シロハラ、ツグミ等の鳥が対象になっていた。カスミ網の細い糸は私は絹糸ではないかと考えていたが木綿糸らしい。また捕らえる対象の鳥に合わせて網の目も異なるようである。
こうした法改正から飼う人も許可証が必要になった。国内で捕られたメジロは家庭で一羽と決まっているが、外国産のメジロはこの法の規定が適用されずに沢山のメジロを飼っている人たちもいた。一九九八年になって国産のメジロと外国産のメジロが区別出来るようになって、それまで国内のメジロを外国産だと偽って飼っている人がいたが、ごまかしができなくなった。
こうしたカスミ網による密漁は、何十年にも亘って全国で行われてきたが愛知、岐阜、静岡の東海三県では特に多く行われていた。捕った鳥を家庭で飼うことが制限され、販売ルートの維持も難しくなって密漁も減ってきたのではないかと考えられる。焼き鳥の材料だったツグミも家畜のニワトリの肉の方が柔らかく美味しいこともあって、ツグミの密漁も減ってきているのだろう。
最近はカモの仲間の写真を撮り歩いているが、ツグミはかなり遅くまで蟹江周辺にいる。シベリア大陸に渡って産卵し子育てするのだろうが、五月の連休を過ぎても畑に一羽でいるものも多い。本当に大陸に渡っていくのか信じられない感じがする。しかし五月の末から六月にかけて田植えの時期になるとどこにもツグミを見かけなくなる。仙台の知人と話していた時、連休過ぎまで庭や畑で見かけていたが、別のツグミも来るようになってしばらく経って見かけなくなったと話していた。カスミ網にかかる数は一羽ではなくかなりの数を一網打尽に捕っている筈だから、大陸に帰る時も群れで帰るのではなかろうか。その帰る時期とか群れる時期をどうやって知るのか知りたいところである。
ツグミのオスがメスに迫る
私が出会うツグミはいつも一羽であり掘り起こされた畑や耕運機で畑を掘り起こしている最中にハクセキレイ、カラス、ムクドリ、ケリやシラサギ等と共に、ぴょんぴょんと跳びながら餌探しをしている光景を何度か見ている。
今年の秋口になってツグミを見かけたのは十月半ばだった。個体差にもよるだろうが五月半ばまで日本にいてそれから大陸まで集団で帰り、半年も経ないうちに日本に渡ってくるのを考えると、日本で産卵して子育てした方が良いのではないかと思ってしまう。
十一月になって海津市の長良川の水門脇の沼にカモの写真を撮りに行った時、近くの畑で来年の種蒔きのための準備なのか、耕運機で土を掘り起こしていた。その様子を何羽かのツグミが並んで電線に止まって眺めていた。一羽ではなかったのである。大陸から群れで渡ってきてそれから一羽ずつに分かれていく直前だったのだろうか。
その疑問の答えになるような経験をした。十二月初旬に福田川の土手にある木の梢に七~八羽のツグミが止まっていた。私が土手をどんどん歩いて行くと、ツグミたちは飛び立ち群れになって飛んで行った。大陸から大きな集団で渡ってきて、一羽ずつになる前の小集団に分かれている状態なのではないかと思われた。一月から三月初旬には日光川ではツグミを土手で沢山見かけるが、それぞれ一羽ずつの行動をとっている。畑で見かけるツグミも一羽である。だが三下旬~四月頃になると一羽のものもいるが二~三羽位で行動しているツグミを見かけるようになった。春先の暖かさと太陽高度がそうした行動を引き起こしているのではないかと思う。感情移入して見ると暖かくなり太陽が高くなると、大陸に帰りたい衝動が高まるだろうなと感じる。
ナンキンハゼの実を啄みにきたツグミ
「野鳥」(柳沢紀夫 家の光協会)には「渡りのときには群れをつくるが、越冬中は一羽ずつでいることが多い。~中略~ 冬には木の実、草の実、昆虫類やミミズなどを食べる。両足をそろえて地上を跳ぶことが多く、胸を張った特徴ある姿勢と合わせると、遠くからもそれとわかる。福井県の県の鳥。シベリア東北部で繁殖し、日本では冬鳥として全国に渡来する。平地、低山地の林のほか、農耕地や市街地にもすみ、明るい開けた場所を好む」と述べられている。
私にとってツグミはヒヨドリと共によく見かける鳥であり、その凛とした孤高の姿が好きである。春にどうやって群れになる時期を察知して集まるのか、どんな島伝いでシベリア大陸の東北部に渡っていくのか、秋に群れで日本に来て、どこで群れが小集団に分かれ一羽になって冬を過ごすのか、そんなプロセスのきっかけとなるシグナルを知りたいと思う。複雑なシグナルの連鎖ではないと思うが、日照時間や太陽高度、そして帰郷するための方向性等、多分生得的なものと学習によるものとが組み合わさって渡りを行なわせているのだろう。どう考えても不思議だとしか思えない。(スズメ目 ツグミ科 ツグミ属 ツグミ)
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