棲み分け

動物では縄張りを作って、他のオスや他の集団を排除することが行われている。動物のオスは尿を縄張りの至るところに吹きかけて、マーキング行動をすることはよく知られている。その理由は、メスを待ち受けて繁殖するための手段だったり、餌確保のための手段だったりする。

  ウツボグサ

 きちんと縄張りを作って他を排除することができない状況では、北海道に住むマスの仲間のように、餌を上層、中層、下層というように種ごとで食い分けて共通の場所で生活するものもある。こうした生活空間で強いものが弱いものより優勢である点では、人間社会のような公正さはないが、ある意味で合理的に空間を分けて生活している。

 野生動物を観察したりメダカを飼育して感じることは、同じ生活環境でも、早く生まれたものや早く成体になったものが、生きる確率が高いということである。どうもこれが自然界の掟(ルール)のように思われてならない。早く成体になることが生存競争で生き残る確率を高め、種の保存に繋がるのである。そのためには弱い個体は餓死したり、死んでも仕方がないと考えているのだろう。そう考えると人間社会のように公平に生きる権利があるという考えは、動物界では特殊例なのかもしれないし、そうした思想を形成してきたのは、人間の知性のなせる技と考えられる。

 ところで植物の世界ではどうかというと、同じ時期に生える植物間では縄張りと言える競争があるにはある。どの種も自分の仲間をその土地にたくさん生やして、たくさんの花を咲かせ子孫をたくさん作ろうとするのである。ところが植物はこうした空間のすみわけや攻防には、動物のような短期間ではなく相対的に長期間の闘いとなる。それが期間の経過と共に攻防の結果が表れるようになる。

 一年を通してその空間を眺めてみると、ある期間はある植物が繁茂しているが、1か月もすると、他の植物が生えてくるということが起こる。天童の原崎沼の遊歩道に「網張の里(あみはりのさと)」という原っぱがあるが、そこにはある時期にはウツボグサが生え、その次にトウバナやネジバナが生え、その次にフジナカマの仲間が生えてくる。それぞれの咲く時期が決まっていて、同じ場所なのに、それを逃すとその植物に出会うことはできない。

   トウバナ

 このように同じ空間でありながら、植物が生える時期が違うのである。同じ時期のすみわけの闘いと、時間経過で生える植物が異なる2つのすみわけを上手く使いながら、多様な植物が生きていることが分かる。

   ネジバナ

   フジバカマ

 私は、天童の丘陵地帯を散歩がてら動植物の写真を撮っているが、一週間経って同じ場所に行くと、もう違った植物が生えていたり花が咲いている。そしてこれまで生えていた植物の花は実になり、枯れ出しているのを何度も見ている。こうした時間によるすみわけも植物が同じ空間を利用しながら子孫を残す戦略なのだろう。ワラビのように、4月~9月まで割りと長期間にわたって芽を出すのもそうした戦略の一部に入るかもしれない。

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