自家受粉と他家受粉

その他編

植物の多くは雄しべと雌しべを持っていて、それが受粉して新たな種を作る。それは人間と同じ有性生殖による子孫の作り方である。この有性生殖では、遺伝子をなるべき自分のものでまかなおうとする自家受粉というよりは、他の株の遺伝子を組み込む他家受粉をする仕組みが基本のようなのだ。

というのは、他家受粉する仕組みはこれから起こる環境の変化に対応するために、その遺伝的な条件を多様にして適応可能性を高めるように、進化してきたものだと考えられている。同じ花でも雄しべと雌しべがある場合には、自家受粉を避けるために、雌性先熟(雌しべが先に熟して雄しべが後から熟す)や雄性先熟などで自家受粉を避ける仕組みを持っている。

ところで有性生殖が進化の過程で、無性生殖より高度で適応的な生殖方法であると断言できるかという問題がある。塚原裕一「植物のこころ」(岩波新書)には、面白いことが記載されている。その概略を述べると「有性生殖と無性生殖を述べる際に、無性生殖の欠点をあげつらうことがある。イネなどのように単一品種が害虫などで一網打尽に全滅するなどである。しかしそれらは人為的な例の場合に過ぎない。逆にクローンで純血なのに春を謳歌しているものがある。ヒガンバナ、ニホンスイセンやシャガなどである。軍事戦略に喩えて、偶然の機械部品の組み合わせから最善の戦闘機が開発された(他家受粉)としよう。今度は他の部品を組み込めば最善の戦闘機よりは低品質の戦闘機になってしまう。最善の戦闘機を維持するにはどうするか。それはコピーする(自家受粉)のが最善の策である」と。私の理解力の足りなさから、塚原の言いたいことと異なっている可能性があるが、無性生殖から有性生殖へと進化が進むというよりは、植物の適応戦略の一部として対等のものと考えた方が良いのではないかと思う。

   ヒガンバナ

植物は環境の変化に対応し適応するために、自家受粉と他家受粉の二つの戦略を採っているものが多い。先日(2013年10月にNHKで放映)岩手県宮古港近くのアマモが東日本大震災でなくなってしまい、それの再生についての番組をやっていた。津波で海の森であるアマモが根こそぎ持って行かれたのである。2年後でも多くの海底では砂地のままであった。アマモは根茎が伸びて、そこからアマモの芽を出し葉を伸ばして増えていく。しかし幸いにも、割りと浅い砂地に数か所別々にアマモが生えている所があった。それは根茎ではなく種から生えてきたアマモだった。ある研究者が、アマモはこうした戦略を持っているから、何度でも来る三陸の大津波でも生き残ってきたのだろうと話していた。

ツユクサは花が一日で萎んでしまう植物だが、咲いた当初は雌しべを長く伸ばしているが、夕方になるとそれが曲がってきて、自分の雄しべの花粉をつける仕組みを持っている。本当は他家受粉したいのだが、最後は仕方なく自家受粉で我慢すると考えていたが、種を作るには、どちらで受粉しても良いのではないかと思うようになった。こうした戦略を採っておけば、環境がこのままでも変化しても対応できるからである。

   ヘラオオバコ

オオバコのように花序が長く、下から花が咲くものは雄性先熟と考えられているが、それだって必ず他家受粉が成功するわけではなく、自家受粉との併用の戦略をとっていると考えた方が良さそうである。

   スミレ

スミレは花が開かずに根の部分に自家受粉する閉鎖果を持っている。この部分は全くの自家受粉であるが、地上では花を咲かせ種を作る。ヒガンバナは花は咲けども種はできない三倍体なので、球根でしか増えない。多くの植物が持つ二段階の戦略のうちの一つの機能を失ってしまったと考えられる。

   リンゴ

リンゴやナシなどの果樹栽培の自家不和同性は、有性生殖を極めた植物ともいえる。リンゴのサンフジであれナシのコウスイであれ、基本的には一本の木だから、それ以外のリンゴやナシの種の花粉がつけば実になる。我々が食べているリンゴやナシは花床の部分なので、美味しいからといってその種を蒔いても同じリンゴにはならず、同じリンゴの種でも中身は違っているのである。ただ受粉すると種ができ、その結果花床が厚くなってくる。それが私たちが食べる部分なのである

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