ヒメギフチョウ その1

ヒメギフチョウとの初めての出会いは、三〇年程前に遡(さかのぼ)る。四月下旬に宮城県柴田町の雷(かみなり)林道脇の村田町に通じる山道に入った時だった。この山道は三~四キロあって村田町の農家の畑の裏手に出る山道である。私はいつもその途中の三分の二程入った農耕放棄地になっている畑跡まで行って引き返していた。ここ十年位前からはカメラをぶら下げて、カワトンボ、ホタルカズラやアケボノソウ等の写真を撮ったりしている。その当時はカメラ持参しないで、ただただ山道を植物を観察しながら歩いていた。その間殆ど人と出会うことはなく、怪我をして動けなくなったら携帯電話も通ぜず、助けて貰えない場所である。だから怪我をしないように慎重に歩くように注意している。

 カタクリの蜜を吸うヒメギフチョウ

 その山道の途中でカタクリが群生していて花が咲いていた。そこで一匹のギフチョウかヒメギフチョウか分からない小型のアゲハチョウに似たチョウが、カタクリの花の間を飛んでいた。時々止まって蜜を吸っていた。私は直観的にギフチョウだと思って傍まで行って観察したが、少し経つと飛び立って追いきれなかった。こんな山の中にギフチョウがいるとすれば、幼虫の餌になるカンアオイがある筈だと思って見回したが、それらしいものは見つけられなかった。その後何十年にも亘ってこの山道に入っているが、カタクリの花が咲いていても昔のように群生していないせいもあってか、そのチョウを見たことはない。

ギフチョウはカンアオイが幼虫の餌だが、ヒメギフチョウはウスバサイシンの葉に産みつける。何十年も経ってやっとウスバサイシンを同定できるようになった。宮城県ではウスバサイシンが普通だからヒメギフチョウだったのではないかと思う。この山道の脇に沢山のウスバサイシンが生えているのを確認している。

 ヒメギフチョウの幼虫の食草 ウスバサイシン

 天童の若松観音から下がる道路脇に果樹園がある。数年前の四月下旬にスモモの花が満開で素晴らしかったので、それを撮るために車を停めて写真を撮り出した。するとモンシロチョウよりは小さくシジミチョウよりは大きなチョウが二匹花の蜜を吸っているのを見かけた。他にはアブ、ハエや甲虫が蜜を吸ったり花粉を集めていた。私はその瞬間ヒメギフチョウだと直感してシャッターを切った。何枚も写真を撮ったが携帯用のデジタルカメラなのでなかなかピントが合わずに撮れない。それでも何とか姿を同定できる程度には撮ることができた。この天童周辺にもヒメギフチョウがいることを確認できた。これが人生で二回目のヒメギフチョウとの出会いだった。この時のヒメギフチョウの写真を私が出版した「私の植物体験記」の裏表紙に掲載した。その後もその畑にスモモの写真を撮りに行ったが見かけることはなかった。そして昨年になって畑のそのスモモの木は伐採されてしまった。

 短大の元事務局長の森谷信和さんから、東根市の乱川上流にはヒメギフチョウがいると以前から聞かされていたので、そのうち探しに行きたいとずーっと考えていた。アパートから近いこんな場所でヒメギフチョウを見かけたのだから、必ずいるに違いないと確信するようになった。東根市の奥羽山系の麓に行けばヒメギフチョウに会えるのではないかと考えるようになった。

四月二〇日を過ぎた頃になって、毎年ヒメギフチョウ探しに行くようになった。最初に東根市のスキー場がある黒伏高原の方に行ってみた。スキー場の近くはまだ雪が多く春まだ遠しという感じだった。そこから帰る道すがら渓流が流れている脇道があったので、その場所に車を停めて入った。標識には「瀬無沢」と記されていた。ヒメギフチョウを撮るためというよりは、そこに咲いているカタクリ、キクザキイチゲ、エンゴサク、ニリンソウ、コゴミ等を撮るためだった。南斜面の崖っぷちに沢山のカタクリの花が咲いていた。その写真を撮りながら奥の砂防ダムまで行き、またぶらぶら写真を撮りながら帰って来ると、その崖っぷちのカタクリの所を小さめのアゲハチョウのような姿のチョウが飛んでいた。しかもカタクリの花に止まっている。直観的にヒメギフチョウだと思った。そこでじっと近くまで来るのを待った。ヒメギフチョウは一匹ではなく何匹かが飛んでいた。崖の下にもカタクリが咲いているので一匹が飛んできて止まった。ヒメギフチョウはこのカタクリの群生地に留まっていないで、しばらくするといなくなってしまう。それでもずーっと待っているとまた戻ってくるという具合だった。このカタクリの場所とは違うカタクリが咲いている場所に移動しているのではないかと思われた。このことからヒメギフチョウは単なるカタクリの蜜を吸うだけでなく、他の目的もあるのではないかと思えてならなかった。

 初めて見かけたヒメギフチョウ(スモモの蜜を吸う)

 その場所で粘ってヒメギフチョウを撮り続けたがそう簡単ではなかった。それでも何枚かは撮ることができた。これらのヒメギフチョウはカタクリの花以外のニリンソウやエンゴサクには全く止まらなかった。何故かカタクリの花にだけ止まった。ヒメギフチョウの一匹はカタクリに止まらずに地面に舞い降り。季節が早いので太陽の光を浴びて体温を高めるためではないかと思う。これらのヒメギフチョウの中には翅の端がボロボロの状態のものもいた。

カタクリ、ニリンソウ、フクジュソウ、ショウジョウバカマ、フデリンドウ等の植物は春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれているが、カタクリの花と共に生きるヒメギフチョウも春の妖精と呼ばれても何の不思議はない。これらの植物同様、短期間の間だけ羽化して子孫を残して死んでしまう。短い期間に命をつなぐ営みをするために命懸けなのではないかと思う。どの種の動物でも同じだが、個体維持と種族維持が本能として仕組まれている筈で、カタクリという花の命の短さに応じてヒメギフチョウも必死で子孫を残すための行動を取っているのだろう。

その数日後には今度は東根市の白水沢ダムに行ってみた。キャンプ場の奥には東郷林道(一三二七メートル)があって、その付近ではコゴミやゼンマイが沢山採れる。キャンプ場に車を停めて崖の辺りを見やるとヒメギフチョウが飛んでいた。下からは上手く撮れないので、その崖の上に上がれる場所を見つけて上がった。そこで写真を撮ろうとしたがヒメギフチョウは一か所にはいないで移動しながら飛んでいく。全く写真を撮ることはできなかった。林道に沿って歩いて行くと奥に白水川が流れていて、そこに架かる左沢(あてらさわ)橋を渡ると、林道よりは高い台地がある。この辺りも昔は畑や田んぼをやっていた場所でないかと思う。その台地に上がると西側の白水川に近い場所にカタクリが群生していた。そこにはヒメギフチョウが何匹か飛び交っていて、カタクリの花に止まって蜜を吸っていた。いつも不思議に思うのは普通のチョウは花に止まって蜜を吸う時には翅を閉じているのに、ヒメギフチョウはだらりとぶら下り翅を開いている。良い角度で写真が撮れればヒメギフチョウがとても綺麗に撮れる。その場所で撮ったカタクリとヒメギフチョウの写真がこれまで撮った中で一番綺麗に撮れているように思う。白水沢ダムの周辺にヒメギフチョウが沢山いることが分かって、毎年写真を撮りに行くようになった。

  蜜を吸う対象  タニウツギとスミレサイシン

春になって鶴岡の附属大宝幼稚園に保育研究会の講師を頼まれて出かけた。予定の時間よりは早く着きそうだったので山形道の庄内あさひインターで降りて、羽黒神社の方へ抜ける道を北に向かって車を走らせた。その途中に「たらのめ台」という丘陵地帯がある。この「たらのめ台」のタラの芽は春になって山菜の季節になるとテンプラにして食べると美味しい。それよりは鶴岡出身の時代劇作家、藤沢周平の物語の中に出てくる名前としてなぜか憶えている。それは海坂藩(鶴岡)の城下で鋳物や日用品の修理をする人たちが来て、「たらのめ台」から来たという設定だった。多分その人たちは漂流民と呼ばれる戸籍を持たない人たちで、修理等の仕事で生活していた人たちでないかと思う。

この「たらのめ台」近くの丘陵地帯に入ってワラビを採っていたら、近くに生えているタニウツギの木の花の蜜を吸っているヒメギフチョウを見かけた。そこで早速写真を撮った。日本海側の庄内にもヒメギフチョウがいることを知って何故か嬉しくなった。その翌年の同じ時期にも鶴岡に行く用事があった。前年と同じようにワラビを採りながら歩いていたらまたヒメギフチョウを見かけた。その日は強風が吹いていたので、ひらひらとは飛べずに地面の大きな葉にしがみついていた。そこで写真を撮った。割りとこの周辺では頻繁に見かけるので、地元の人たちにとってはヒメギフチョウはありきたりのチョウかも知れないと思うようになった。

そこでギフチョウとヒメギフチョウについて、生息場所、形態と食べ物の違いについて調べてみた。

(1)生息している地域

 ギフチョウとヒメギフチョウは住み分けている。ギフチョウが本州の中央(ホッサマグナ)から西なのに対して、ヒメギフチョウはその北で北海道でも分布している。幼虫が餌にしているウマノスズクサ科のカンアオイとウスバサイシンの分布によって区別される。ギフチョウは主にカンアオイに卵を産み、ヒメギフチョウは主にウスバサイシンに卵を産むことから、分布の境界線がはっきりしている。その境界線をリュ―ドルフィアライン(ギフチョウ線)と呼んでいる。この境界線付近ではそれぞれが混在して住んでいる。山形県はこの混在地域に該当している。庄内、最上、長井や小国等の二九市町村に分布している。個体数が多い所があると書かれているが天童周辺の地名はなかった。森谷信和さんからは東根の乱川の上流には生息していると聞いたから、収集家や観察者の行動範囲が生存場所とされている可能性も高い。現実に私が天童の若松観音に行く道路脇の果樹園で見ているのだから、割りと周辺には多く生息しているのではなかろうか。

  (2)ギフチョウとヒメギフチョウの区別

 ①大きさはギフチョウの方が大きく、ヒメギフチョウは小振りである。小さいことからヒメという名称がついたとのこと。(ギフチョウの開張が五~六センチ、ヒメギフチョウが四・五~五・五センチ程)

 ②前翅の縁についている黄色の斑紋の列がなだらかの弧を描いているが、その一番先が、カクンと一つだけずれているのがギフチョウで、なだらかな線のままになっているのがヒメギフチョウ。

 ③後翅の縁の斑紋のところが赤橙色があるのがギフチョウで、地の黄色のままのものがヒメギフチョウ。

 ④後翅の突起が長く先が丸いのがギフチョウで、突起が短く先が尖っているのがヒメギフチョウ。

  これらのことから、外見はとても似ており、区別する指標が非常に微妙なことを考えると、進化の過程で分化したのではないかと思われる。それは食性の違いからくる気候への耐性等の違いにより住み分けが起こってきたと思われる。混在地ではヒメギフチョウの幼虫の餌であるウスバサイシンをギフチョウの幼虫が食べることもある。こうした地域ではギフチョウとヒメギフチョウの交雑が起こるようである。ギフチョウの受胎嚢に赤褐色のものをつけていた個体もあるので、現実に交雑は起こっているらしい。

 ⑶食べ物

  日当たりのよい林地をゆるやかに飛翔し、カタクリ、スミレサイシン、ショウジョウバカマ、ハルリンドウ等の背丈の低い草が多い。私の経験した例のように蜜があれば寄って来ることから、サクラ、リンゴ、スモモやタニウツギ等も対象になるだろう。幼虫は上述したようにギフチョウがカンアオイ、ヒメギフチョウがウスバサイシンで共にウマノスズクサ科の植物である。

愛知県の蟹江に帰ってから、いつかギフチョウを探しに金華山や養老の滝あたりを探索してみたいものだと考えている。(チョウ目 アゲハチョウ科 ギフチョウ属 ヒメギフチョウ)

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