小さい頃からザリガニは馴染みのある甲殻類だった。まだ幼かった頃父に自転車の補助台に乗せられて、近くの用水路にタモ網を使って捕りに行ったのはザリガニだった。小中学生になるまでの記憶で用水路や畦の小川に沢山いたのは、フナの子とザリガニだったと思う。
子どもの頃、遊んだアメリカザリガニ
ザリガニといえば、すぐ思い出すのは小学校に入るか入らないか頃に、二軒長屋の東芝社宅の裏長屋にいた同じ年の「よしおちゃん」が二歳上のお兄ちゃんと一緒に大量のザリガニを捕ってきて、それを鍋で茹でて尻尾の身をお八つ代わりか、おかずにしていたことである。ザリガニは茹でると殻が赤くなる。その当時父親は東芝に勤務し母親は他で働いていたのかいつも不在だった。その頃よしおちゃんが、父親を「たうたん」母親を「まあたん」と呼んでいたのが印象的だった。まだ幼かったので舌足らずでそう呼んでいたのか、それとも雅(みやび)な呼び方だったのか今もって分からない。でも同じ年の子どもたちは、みな「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んでいたので印象深く覚えている。鍋で茹でたザリガニの殻が、土間に散乱していたのが印象的だった。
その当時庄内川の堤防を歩いているとニワトリの羽が散乱していたり、ザリガニの茹でた後の殻が散乱しているのをよく見かけた。ニワトリは家で飼っていたものをつぶすために堤防に来て羽をむしったのだろう。ザリガニは人が食べていたのか、家畜の飼料にしていたのか今もって分からない。
水の張った田んぼで、穴を掘って入っていた
ザリガニは昔の土のままの用水路では水中の藻や水辺の植物の下に隠れているが、コンクリートの用水路では水面近くで横にへばりついてじっとしている。どんな子供もやったと思うがそのザリガニ釣りを私たちは日常的にしていた。短い竹竿と木綿糸を使ってザリガニを釣るのである。その餌は本などにはスルメをぶら下げて釣るように書いてあったが、私の経験ではとにかく一匹のザリガニをタモ網で捕って、その尻尾を取って殻を剥(む)きザリガニの身を餌にするのが一番よく釣れたのを覚えている。一種の共食いである。他にはトノサマガエルを捕まえてそれをコンクリートに叩きつけて殺してからその皮を剥(は)いで、後ろ足に木綿糸を結んで釣る方法もある。この方法はザリガニの身を使うものよりは釣れなかった記憶がある。
私は小学生から中学生にかけて名古屋市の端(はずれ)の庄内川の堤防、草叢や用水路をぶらぶらしながらトンボ捕りをしたり魚捕りをしたりしたものである。五歳下の弟はそれ程こうした遊びをしていない。その遊びの楽しさを知っているので、今になっても時間があれば魚捕りに行く。その頃のぶらぶらする行動が習性となり今の放浪癖に繋がっているかもしれない。
このザリガニで印象深いのは、田んぼの狭い用水路の水溜りにいたメスのザリガニである。卵を腹に抱えていたが、私がそのザリガニを竹で突っつくとその腹に抱えていたザリガニの孵ったばかりの子がばあっと水溜りに四散する。それも小さなザリガニである。四散した後ちゃんと母親のザリガニまで戻るのか見ないでしまった。今になってみると意識的にどうなるか観察しておけば良かったと後悔している。
死んだアメリカザリガニと、生きているザリガニ
先日も関西線永和駅近くの用水路にメダカを捕りに行った。そうしたらメダカの他にドジョウ、フナ、ナマズ、ザリガニが捕れた。その捕ったザリガニをかなり底が深い発泡スチロールの箱に入れておいた。数日前にも捕っていたので合計で七匹になっていた。その水は透明で底が見えていたが、翌日の朝見たらザリガニは二匹になっていた。多分ネコが狙って捕ったのだろうか。そこで蓋をして餌用のフナなどを入れておいたが、数日したら小さい方のザリガニはいなくなっていた。恐らく共食いで食べられてしまったのだろう。生きていくことは大変なことだと痛感した。
ザリガニを捕った時に掴み損なって左の薬指をハサミで挟まれてしまった。その痛いこと痛いこと、こんな小さな体でこんな力があるとは思わなかった。小さい時にも挟まれた経験はあるが、この体でどうしてこんな力が出せるのか不思議に思った。薬指が少し血で滲んでいた。
私が小さい頃から遊んできたザリガニは、アメリカザリガニである。それ以外のザリガニは見たことがなかった。日本には昔からザリガニがいた。本来はザリガニといえばそのザリガニを指したが、アメリカザリガニが入ってきたことからニホンザリガニというようになった。このニホンザリガニは東北地方の谷川等の冷水に住んでいるザリガニである。NHKの「ダーウィンが来た」でこのザリガニについて放映されていた。ニホンザリガニの生育域は限られていることから、二〇〇〇年に環境省から「絶滅危惧Ⅱ類(絶滅が増大している)」に指定されている。私自身は、このニホンザリガニを捕った記憶もそれで遊んだ記憶も全くない。それ程私の周りはアメリカザリガニだらけだったのである。
インターネットのニコニコ大百科には、日本に持ち込まれた経緯について次のように示されている。「昭和初期、日本はアメリカから食用としてウシガエルを輸入した。しかし、このウシガエルは環境の変化のせいか、日本についてからえさを食べなくなり、このままではいずれ餓死してしまうことが予想された。そこで『アメリカで食べていた餌を持ってこよう』と考えられ、アメリカではウシガエルのえさであったアメリカザリガニが持ってこられることになったのである。そしてはるばる太平洋を越え、アメリカはミシシッピ川から日本へと食われるために連れてこられた二〇匹のアメリカザリガニ。しかし、アメリカザリガニが食われる覚悟を決めてウシガエルの前に連れてこられた時、ウシガエルたちは既に日本の環境に慣れ、アメリカザリガニ以外のものも食べられるようになっていたのである。かくして日本に来て早々に食べられるという危機を脱したアメリカザリガニはついでに飼育池を大雨に乗じて脱走。そのまま各地の田んぼや小川に潜伏し、仲間を増やし、水辺の人気者となる。~中略~ 原産地のアメリカや、フランス・オーストラリアなどで料理され食べられている。フランス料理では高級食材として扱われるほか、中華料理でも食材のひとつとして使われている。日本では釣ってきたアメリカザリガニをそのまま食べることは少ないと思われる。生育域が田んぼや水質の良くない川などの場合、釣ってきたザリガニを食べてはにおいなどが残ってしまうためと思われる。食べようとするならせめて数日は泥抜きなどをしてからにしたい。」
これらの記述から、食用として日本に輸入されたのではなく、食用のウシガエルの餌として持ち込まれたものである。このアメリカザリガニは、アメリカやフランスでは食材として扱われていることから、裏長屋に住んでいた「よしおちゃん」兄弟が食べていたというのも異常だという訳でもなさそうである。
食用のザリガニとしては、ウチダザリガニがある。このザリガニは、ニホンザリガニ(六~七センチ)、アメリカザリガニ(一二~一四センチ)に較べると大きく一五~二〇センチ程になる。これも昭和初期にオレゴン州のコロンビア川流域のものを北海道の摩周湖に持ち込んで養殖するようになった。現在でも北海道、福島県、長野県などの湖での繁殖が見られるが、主に東日本に偏っている。冷水域に合う種類なのだろう。民放の番組でこのザリガニを使ったフランス料理を扱うレストランを紹介している場面を見たことがある。フランス料理では、煮たり焼いたりソテーやスープにしたりしているという。このように外来種のザリガニを移入することで、日本ザリガニの数が少なくなってしまったという話を聞くにつけ、単純に輸入すればよいと考える発想は、元々あった生態系を壊してしまうという点からも考え直さなければならないと考えるのである。(エビ目 アメリカザリガニ科 アメリカザリガニ属 アメリカザリガニ)
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