サンゴジュ

植物編

サンゴジュは私にとって思い出深い木である。この木はスイカズラ科ガマズミ属に属していて、小さい頃住んでいた東芝社宅の近くに植えられていた。その実も小さいブドウのような実で、今から考えるとガマズミの実と似て赤橙色の房状の実をつける。

チャンバラごっこで利用したサンゴジュの茎

 小学校入学頃から18歳になるまで住んでいたのは、名古屋市西区の児玉にある二軒長屋が何棟も立っている社宅だった。その当時は周りにはまだ畑があり、ちょっと遠征すると田んぼがあるという町と田舎の境だったところである。その社宅を挟んで道路の向かいに名古屋市立西陵商業高校があり、その垣根としてサンゴジュが何十本も植えられていた。それもまばらではなく密生して植えられていて、その幅は1メートル以上あったので、道路から構内の様子はほとんど分からなかった。

 この西陵商業高校はラグビーが盛んで、今でも県代表になって花園ラグビー場に出場している強豪校であった。本当かどうかわからないが、指導する先生はラグビー経験者ではないのに、ラグビー部を育てたと聞いたことがある。頻繁にラグビーの練習をしている様子や二本のポールを今でも良く覚えているし、そのポールで遊んだ記憶さえある。

 この西陵商業高校の思い出はたくさんあるが、余り健全な想い出でないものが多い。私が小学校入学前にも、年長の人たちと徒党を組んで構内に遊びに行っていた。その構内に用務員室があり、私たちはその用務員の容貌から「鬼だ」と言って外から囃したてたのである。戦争時の鬼畜米英という考えがまだ残っていたのかもしれないし、その用務員が外人のような容貌だったのかもしれない。私たちが何度も囃したてると、用務員が我慢できなくなって出てくる。そうすると蜘蛛の子を散らすように私たちは逃げる。そして暫くすると、用務員は用務員室に入るが、また私たちが近くまできて囃したてることを繰り返した。そんな囃し立てに用務員も我慢の限界にきたのだろう、子供たちを追いかけてきてとうとう私が捕まって、その手首をガシッとつかまれたのを覚えている。多分泣いたのではないかと思うが、その捕まった場面だけを覚えていて、その後どう処分されたのかの記憶はまったくない。

 その高校には大きな講堂だった古い倉庫があって、学校の古い椅子だの机などが入れられていた。私たちはこの学校の校庭で夏休みや日曜になると、三角ベースの野球や缶けりや陣取りなどのいろいろの遊びをしていた。ある年の夏休みに誰が提案したのか分からないが、その倉庫の窓ガラスに石をぶつけて割ろうということになった。窓ガラスを順番に割っていくのだが、なかなか順番通りには割れない。テレビで野球のボールやサッカーボールで決められた番号のボードに当てる番組があるが、それと似たような悪戯である。そして窓を割ってから一目散に逃げた経験がある。窓に当たった時の快感はなぜか今でも覚えている。今だったら全国放送される事件だと思うが、当時は小学校にも連絡もなく済んでいた。

 サンゴジュの実

 高校の構内は私たちの遊び場そのものだったのだが、このサンゴジュも遊び道具の材料として重要なものであった。私たちの時代にはチャンバラをして遊ぶのは誰でもやっていた遊びだった。鞍馬天狗の頭巾をどう作るかというと、風呂敷を三角にしてそこに顔を入れ、眼だけ見えるようにして頭の後ろで結ぶのである。今から考えると格好の良いものではないが、眼だけで見えるようにして顔全体を包むという感覚からすると、頭巾そのものという感じがしていた。今度は剣をどう調達するかだが、その時にサンゴジュが最適なのである。春になるとサンゴジュは古い枝から真っ直ぐに若い枝を垂直に伸ばす特性を持っている。その若い枝は太さも長さもちょうどチャンバラするには丁度よく、剣の部分の皮をはいで柄のところだけを残すと、チャンバラをする剣に最適なのである。この剣が作れるのは春が終わる頃で、私たちはサンゴジュの垣根の恩恵を受けながら子供時代を過ごしたのである。天童でもサンゴジュを生垣にしているのを見かけるが、それを見ると私の少年時代が鮮明に蘇ってくる。

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