カワラヒワ

動物編

天童のアパートの西側の畑にはスズメがよく群れて餌を啄んでいた。六軒が住むアパート二階の隣人のベランダの下にはスズメの巣があって、春になると孵ったヒナが明け方からピーピー鳴くので眠れないことも多い。それでもその鳴き声を聞くと春が来たと季節感を感じたことも本当である。

カワラヒワ

 畑に群れるスズメの群れの中に、やや小ぶりのスズメと異なる鳥が混じっていた。その羽の一部は黄色く飛ぶとその黄色が目立ち、加えて羽が透けて見え存在感を印象づけていた。その鳥はカワラヒワである。天童辺りではカワラヒワだけの群れは見かけたことはなく、スズメの群れの中に混じって混群を形成していた。基本的に同じ穀類が餌だから群れになっても良いのだろう。混群を形成する理由はカワラヒワの数が少ないことが原因かもしれないし、一羽だけだと危険を察知できないが群れていれば危険を避けられる可能性も高くなる。マイナス面としては混群だとカワラヒワの同一性(アイデンティティ)が損なわれるのではないかと心配にもなる。というのはカモの越冬場所では何種類かのカモが混在している結果、雑種が多数生まれている。カモの中には自分がどの種に属するかという種の同一性が崩れてしまっているカモもいるようなのだ。他に混群を形成する可能性があるのはカワラヒワもスズメと同じスズメ目に属していて、種的には近い関係であることも原因の一つかもしれない。

蟹江に帰ってカワラヒワを見ることが多くなった気がする。それも天童のように混群ではなくカワラヒワの単独群である。その数は一〇羽前後から二〇羽前後の群れであることが多い。善太川の橋の上の電線や福田川沿いの木々に止まっている。カワラヒワは用心深くスズメに較べると危険を感じると素早く飛び立ってしまう。電線に止まっているカワラヒワを離れた場所から写真に撮ろうとしても、はっきりと撮ることができない。しかも電線で止まっても向こう向きに止まっていることも多く、尻尾だけしか撮れないこともある。最近ではスズメよりやや小さく全身が黄褐色で羽の一部が黄色(初列雨覆と大雨覆、小雨覆の一部)で波打つような飛び方をする鳥を見かけると、一瞬でカワラヒワと分かるようになってきた。

天童のアパート二階の部屋から見える電線に、カワラヒワを見かけていたがとても綺麗な可愛い声で鳴いていた。少し高い調子のピロピロという感じだったが、「キリコロロ、キリキリコロコロビーン」と鳴くと書かれているものがある。私にはそんな風に鳴くかどうか上手く表現できない。基本的に鳴くのはオスだからこの鳴き方に誘われてメスが寄ってくるのだろう。

  群れで行動する

 私はカワラヒワを見ると、何故かブンチョウやジュウシマツの嘴(くちばし)を思い出す。嘴の形が同じで色が肌色で、スズメの黒い灰色でないのでそう感じるのかもしれない。こうし嘴の形の特徴はヒワの仲間(マヒワ、マシコ、シメ等のスズメ目アトリ科)に共通しているが、嘴の色の肌色は全て同じではない。

 ところでブンチョウはインドネシア等の東南アジアに住んでいるが、カワラヒワと同じスズメ目だが、キンカチョウと同じカエデチョウ科に属している。因みにキンカチョウは、ドイツのインメルマンがベンガルヒワとキンカチョウの仮親を使って、刷り込み実験で使用した鳥として有名である。(トピック「刷り込みにまつわる問題」参照のこと)だから、カワラヒワとブンチョウは親戚関係にあるといっても間違いではあるまい。

 ブンチョウには白ブンチョウがおり、セキセイインコを手乗りにする前は白ブンチョウを手乗りにすることが流行っていた。私も小学生の時にいつか白ブンチョウを手乗りにできたらと思ったことがあった。娘が小さい時に結局はセキセイインコのヒナを手乗りにしたことがあっただけだった。セキセイインコを買った頃は小鳥屋で白ブンチョウは売っていなかったような気がする。売っていたとしてもセキセイインコのヒナよりは需給関係からいって高かった筈である。

 冬に見られるカワラヒワの大群

 蟹江町の隣の弥富市は有名な金魚の産地であり、大和郡山、江戸川と並ぶ三大名産地の一つである。このことは昔から私も知っていたし今でも弥冨周辺には養魚場がいたる所にある。加えてブンチョウの生産地としても有名だったことを最近になって知るようになった。

 そのブンチョウの産地になった経緯について、毎日新聞二〇一七年三月に四日のインターネット情報から引用してみよう。「この地で、文鳥の飼育は江戸時代から始まった。明治初期に突然変異で白文鳥が出現し、弥冨はその特産地となった。ペットとして飼うのが子供たちの間でブームとなり、出荷のピークは一九七二~七三年に迎えた。農家二四〇戸で飼育箱数は三万七五〇〇あった。今も往時の繁栄を伝える『文鳥』がいたる所に残る。国道一号に立つ公衆電話ボックスの上のオブジェ。近鉄佐古木駅前の時計塔やマンホールのふたに描かれた絵。市立白鳥小学校は、白文鳥にちなんだ命名だ。しかし、ゲーム機の流行とともにブームは終わった。飼育農家は徐々に減り、飼育組合は二〇〇九年八月に解散した。現在の飼育農家は二戸、八〇〇箱だ。飼育農家の青木光俊さん(七八)は、消される『文鳥』について『寂しいけれど仕方ない。現実だから』と語る。夫婦で飼育しているが、いずれ廃業するという。」と記されている。

 こうした状況を見ると動植物についても時代の流れを感じない訳にはいかない。その昔イヌのスピッツがどの家庭でも飼われ、キャンキャンと鳴く声がどこからも聞こえていた。最近ではそのスピッツの姿を見ることはない。これも人間の勝手な流行によるものだろう。同じことがこの白ブンチョウにも起こっている。一度白ブンチョウを途絶えさせてしまえば、もう同じ白ブンチョウを育てることはできない。人間本位の嗜好の在り方を考え直す必要があるのではないかと思ってしまう。

 この文章を書いている最中に、日本に最強の寒気団がやってきた。夕方に東名阪自動車道の高架脇の道路を走っていたら、数百羽にも上るカワラヒワの群れが寒空の中、電線に止まっていた。そして、数十羽が風の強さで飛び立って、他の電線に移動して止まったりしていた。私はこれほどのカワラヒワの群れを今まで見たことはなかった。蟹江周辺にはこれほどのカワラヒワが寒さの中で生きているのだなあと感じたものである。(スズメ目 アトリ科 ヒワ属 カワラヒワ)

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