カケス

動物編

カケスはこれまでの人生の中で四回しか見たことはない。いつか会いたいと思っていたが、そう簡単には会えなかった。こうした野鳥との出会いは、チョウゲンボウのように、天童市の成生の薬師神社境内のけやきの大木の洞(ほら)に巣があり、毎年同じ場所で何組かが産卵と育雛している場合にはそこに出かければ出会うことはできる。しかし殆どの野鳥は偶然に出会うのが普通である。私がカケスに会ったのも、会いたいと出かけていって会ったのではなく、車を走らせたり森の中を歩いている時に偶然出会ったのが全てである。

だからカケスを見かけた場所は鮮明に覚えている。一回目は宮城県の「県民の森」の遊歩道を歩いている時に見かけた。「あっ、カケスだ」と思った瞬間飛んで行ってしまった。二回目は五月半ばに東日本大震災で被害を受けた浪江にある阿武隈山地側の人工の溜池近くの木の梢で見かけた。この時も「カケスだ」と思ったが、写真を撮ることはできなかった。三回目はこれも宮城県の村田から岩沼に抜ける県道二五号線で、うねうねとうねった道の周りの杉林の枝に止まっているカケスを見かけた。その時は車を運転中で、偶然窓からカケスの姿を見かけただけだった。そして四回目はアパートから天童高原に行った帰りに、田麦野から県道二九七号線を猪野沢を経て、東根市の国道四八号線まで走っていた時に見かけた。この道は四月末まで封鎖されていて連休になってやっと通行可能になる県道である。春の新緑が鮮やかに目立つようになって、コブシやユキヤナギを見られるので春の風情と感じようと入ったのだった。東根側の閉鎖されていた門を過ぎて猪野沢の広い道路に出た時に、畑の向こうの金網のフェンス近くでカケスが止まっているのを偶然見かけた。そこで急いでカメラのレンズの蓋を外し運転席側の窓を下ろしてシャッターを切った。一回目のシャッターを切ってから二回目を切ろうとした瞬間に、カケスは飛んで行ってしまった。人生で一回だけシャッターを切って一枚だけ撮ったカケスの写真である。カメラ技術は下手糞なのだが偶然ながらまあまあ良い写真が撮れたのではないかと思っている。そのため、今回の写真は残念ながら一枚だけである。

なぜカケスが気になるか、自分でもはっきりした理由は分からないが、オナガと同じカラス科の鳥で賢い鳥だということと、羽の色が瑠璃色か青色で美しいと感じているからではなかろうか。昔カケスの童話を読んだりカケスの話をどこかで聞いたこともあった。またカケスにはドングリ等をため込む(貯留)習性もあり、そんなことも気になっていた。山に入ってカケスを殆ど見かけないが、ギャーギャーという声が聞こえることが頻繁にあり、きっとカケスの声だろうなと思いながら山に入っている。

先日テレビの動物番組で、カケスが森にある水場にやって来る映像が放映されていた。動物たちに分からないような迷彩色のテントに入ってカメラを三脚に据えて行動を記録する他に、水場などに動物が来ると自動的にスイッチが入って録画できる道具さえある。そんなことから、放送局のスタッフやプロのカメラマンたちは、カケスなどは容易に撮影できるのだろう。私も里山の森に何度も入ったがカケスに出会ったことは殆どなかった。プロたちは情報集めや撮影場所をよく知っているものだといつも感心してしまう。

カケスの童話や物語はどこかで読んだことがあった筈だが、それが思い出せない。調べてみたら「まんが日本昔ばなし」の「カケスと百姓」(一九八二年七月三一日放映)が載っていた。神奈川県の民話らしい。そこでカケスの知恵の足りなさがコミカルに描き出された民話である。少し長くなるが荒筋を引用してみよう。

「丹沢の秦野に一人の百姓がいた。ある日、昼飯を食べて一休みしていたところ、石が突然空から落ちてきた。落としたのは、カケスだった。カケスは百姓に詫びながら、石を拾って、どこかに飛んで行った。百姓が一日の仕事を終えて家へ帰ろうとしたところ、土をもってその上に石が置かれているものが何か所もある不思議な光景を見た。何気なく石をどけてみると、その下には立派な栗があった。どこを掘っても、石の下には栗があった。百姓が喜んで栗を掘り返していると、昼間のカケスがそれは自分の栗で、丹沢の山まで行って拾ってきたものだ、と怒ってとり返しに来た。しかし百姓になぜ、栗が隠してあることがわかったのか、と不思議そうに尋ねてきた。百姓が『よく目立つように隠してあった』と笑うので、カケスはひそかに百姓への復讐を誓った。その後、百姓が家の外に魚、米、梅ぼし、柿などを出しておくと、みんなカケスが持って行ってしまうようになった。百姓はしゃくにさわってならなかったが、空を飛ぶ鳥だけにどうしようもできなかった。

ある日百姓が野良仕事をしていると、またカケスがやってきた。しかし今日のカケスは元気がなく、突然泣き出してしまった。カケスは百姓から奪った食べ物を土の下に隠したのだが、その上に石を置いたせいで、キツネやイノシシや鶏やカラスに全部取られてしまったのだという。自分だけがわかる目印はないか……と百姓に相談するカケス。そこで百姓はカケスをこらしめる方法を思いついた。百姓は『雲を目印にするとよい』とカケスに教えた。カケスはすっかり感心して、これからは雲を目印にすることとした。

それからカケスは丹沢の山からとびきり上等の栗をたくさん拾い、それを雲の下に埋めた。カケスが飛び去った後、百姓はカケスの埋めた栗を全て拾い起して家へ帰った。翌朝、カケスが百姓の家を訪ねてきた。目印の雲がなくなってしまったという。それからカケスは今でも雲の下を、ギャーギャー鳴きながら栗を探しているということであった。」

この昔話から、昔はカケスが農作業をする人たちの近くに沢山いたと思われる。ここではクリとなっているが、普段食べているのはドングリだと思われるので、昔話として人間も食べるクリに代えたのだろう。縄文時代から人間はドングリを食べていたが、灰汁(あく)抜き作業が大変だった。それに較べるとクリはそうした作業をする必要がない。また、カケスが貯留したドングリを忘れてしまうことで、種が木の枝のくぼみなどから発芽する等あり、カケスのぼんやり加減や記憶力の曖昧さを当時の人たちは笑っていたのだ。リスでもこうした貯留したドングリの場所を忘れてしまうことで、ドングリが他の場所に展開できるのだから、一種の共生と言えるのではないかと思う。ドングリの子孫を増やす戦略と、カケスやリスの記憶力の不完全さがマッチして、それぞれが得を取りながら進化してきたと言えるのではないか。その意味でウィン・ウイン関係だなあとつくづく思う。

「日本の野鳥」(叶内拓哉 安部直哉 上田秀雄 山と渓谷社)のカケスの項目を見ると「留鳥または漂鳥。環境は平地から山地の林。行動は繁殖期以外は小群で生活するものが多い。樹上と地上のどちらでも、大きく跳ねるように歩くことが多い。主にドングリなどの木の実を採食するが、雑食性が強く、動物質と植物質のどちらも食べる。初冬の頃には、ドングリ類を木のすき間や地中に隠す習性がある。隠したドングリは後で食べるが、食べ忘れも多く、木のすき間から別の種類が芽生えることがある。~中略~ 他の鳥の声をまねするのがうまく、『ピィウィー』とサシバなどのタカ類の声が多い。」と記されている。

これらの記述を見ると、雑食性であるカラスの習性と共に、溜め込んだドングリを忘れてしまうことをカケスの特技や習性として述べられていて面白い。しかも他の鳥の声を真似る賢さも持ち合わせている。こうした能力のバラエティは個々のカケスの能力差というよりは種としての能力なのだろう。こんなことから昔話にもなるだろうなと思ったものである。(スズメ目 カラス科 カケス属 カケス)

                           

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