カタツムリは子どもの頃には梅雨期の六~七月頃には沢山いたように思う。その頃は植えられていたダイズの葉が食べ尽くされている光景を何度も見かけた。最近ではそのカタツムリを殆ど見かけないようになってしまった。何故だろう。当時のカタツムリは小さい種類のものが多かったように思う。農薬や駆除剤の使用の影響で少なくなってしまったのだろうか。
当時は小学校や幼稚園で梅雨期にカタツムリを捕ってきて、教室のプラスティック水槽に蓋をして飼うことが一般的に行われてカタツムリの生態観察をしたものである。教室で飼うために当番を決めて野菜や草を採ってきて入れてやるのだが、最初は真面目に当番としての仕事をしているものの、だんだんとそれを忘れて野菜や草を入れてやらなくなってしまう。するとこれらのカタツムリは飢餓状態になってくる。その時にはどんなものを食べるのだろう。
カタツムリ(イセノナミマイマイかな?)
そんな状態のカタツムリに小学生が色々なものを食べさせてみた。その結果普通に食べたものを挙げると、ジャガイモ、イチゴ、ダイコンの葉、パン、木の葉、キャベツなどがあった。他には、ゆで卵、ソーセージ(食べたと言う子もとそうでないと言う子がいた)も食べた。さらに飢餓状態にしてやるとノートの紙、障子紙、ティッシュペーパーも食べるようになった。本当は好きではないのだが生き延びるために食べるのである。私たちと同じでカタツムリも好きな食べものと、いざとなったら食べるものがあるという訳である。この例から「動物には好きな食べ物とそうでないものがあること、また生きるためには普段食べないものも食べる」という法則(規則性)を定式化することができる。
クロード・ベルナールの「実験医学序説」の医学を実験的に実証しながら進める例として、ウサギを絶食させると肉を食べるようになるという事例があったように思う。ウサギは草食動物で腸が長くウンコはコロコロウンコである。セルロースを分解できるように腸は長く分解する細菌を消化器官に持っているのだが、そうした食べ物がなくて肉を与えられると仕方なく命をつなぐために肉食する。ウンコはベシャベシャウンコになるに違いないと思うのだが実際どうなのかは分からない。こうした極限の状況に追い込まれると、動物は生き延びるために普段食べないものも食べるのだ。
センダンの実
こうしたことは野鳥たちでも同じである。秋になって餌がなくなると木の実を中心に食べるようになる。善太川の土手近くには柿、センダン、イイギリ、トキワサンザシ(ピラカンサ)、南天、ノイバラの実がなっている。それでも最初になくなるのは柿の実である。ヒヨドリ、ツグミ、ムクドリ、スズメが来て果実を啄んでいく。十二月中旬になると柿の実はあらかたなくなってしまう。その次は沢山なっているセンダンの実を食べるようになる。蟹江周辺には川や池の周りにセンダンが多く、秋になると実をつける。そのセンダンの実も三月頃までには善太川周辺ではなくなってしまう。鳥たちは好きなものから食べていき、冬の真っ最中には余り好きでもないイイギリ、トキワサンザシ(ピラカンサ)、南天、ノイバラの実を食べて命を繋いでいくのだろう。モズの速贄(はやにえ)やリスのドングリ等の堅果の貯蔵のように食料を取っておく知恵は殆どの鳥はないと思われるので、早い者勝ちで食べ尽くしてしまい、その後は好物でないものに移っていくのが一般的ではないかと思う。
カタツムリという呼称について歴史的に古いものから新しいものへと変化していく可能性について考えたことがあった。というのは私が行った研究「腐る、腐れる」の時間経過に伴う語彙の変化について検討する際に、民俗学者の柳田国男の「蝸牛(かたつむり)考」による周圏論を引用したことがあった。「文化の高いところから、低い所へ言語は流れる」という一つの仮説である。柳田は、「蝸牛(かたつむり)」と呼ばれる陸生の殻を持った軟体動物の呼称に、地方差が認められること(①富山県では昭和初期まで二三~二四の呼称があり、他地方ではせいぜい二~三だった。②東日本では、概して呼称は多く、西日本では呼称が少ない。)から、「蝸牛」の方言差の発生と経過について、民俗学的視点からの仮説を提出している。
小さいカタツムリ
特に東京方言に限定して、(一)東京で認知されるカタツムリ、デンデンムシムシ、マイマイツブロの発生順序 (二)蝸牛の呼称名の分布とその歴史過程 (三)呼称名の変遷の生起する事情 の三点について問題にして、「語源発生」について、その渦巻き状の殻が「渦巻」や「糸巻」との類似性を認めた民間伝承によって、はじめにマイマイツブロを想定し、次にデデムシが後続したというのである。その論拠として、(一)デデムシの領分の外側を、マイマイツブロが取り囲んでいること(周圏論)(二)マイマイツブロは語の結合変化を、ダイロよりも複雑化していること(複雑化の原理)(三)古いツブロという語彙と手を結んでいること(古語との連結原理)を挙げている。このように、マイマイツブロは、デデムシ(デンデンムシ)よりも古く、その発生の順序に従って周辺部に広がっていき、デデムシよりは周辺にあるものが古い言葉だというのである。
柳田のこの仮説と証明の仕方には問題はあるようで批判的な意見はあるが、なかなか面白い考え方である。因みに広辞苑によれば、ダイロは「山形、福島県、中部地方などでカタツムリ」となっている。カタツムリは「マイマイ目の陸生有肺類巻貝の一群の総称。オナジマイマイ、ウスカワマイマイ、ナミマイマイなど種類が多い。五~六階から成る螺旋形の殻があり、大部分は右巻き。頭部に二対の触覚を具え、長い方の先端にある眼で明暗を判断する。雌雄同体、卵生。湿気の多い時、または夜、樹や草にはいあがって若葉などを食う。でんでんむし。ででむし。まいまい。まいまいつぶろ。」と記されている。ナメクジと同じように、塩や砂糖をかけると浸透圧の関係で、体の水分が外に出て死んでしまうだろうなと思いながら、何故最近はみかけないのだろうと、やっぱり不思議に思っているところである。(軟体動物門 腹足綱有肺亜綱 柄眼類の総称)
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