ウチワヤンマ

少年期のトンボの採集経験からすると、価値あるトンボといえばギンヤンマとウチワヤンマが代表的だろう。ギンヤンマについては別に書いたので控えるが、蟹江に戻ってくるまでの何十年間の間で、人生で一度だけ捕ったのがウチワヤンマだった。名鉄犬山線の上小田井駅近くの「ミツカン酢」の会社裏の池で、枯れたアシの上に止まっていたのを偶然捕ったのだった。池の周りを飛んでいることはあったが、子どもがタモ網で届くような近さに来ることは殆どなかったのである。

ウチワヤンマ

止まっているウチワヤンマに近づいて逃げる瞬間とさっと捕るタイミングの兼ね合いが問題で、どきどきしながらタモ網をさっと振ったら、偶然に網の中に入った。小学校六年生の頃だったと思う。今でもこの時の情景は脳裏に焼きついている。私のトンボの採集経験のうち、人生の一大事といっても良いほどの大事件だったのだ。その当時は木で展翅台を作って、捕ったトンボを硫酸紙を細長く切って、翅を挟みピンで留めて綺麗に延ばしていた。トンボの胸が腐食するのを避けるために、裏側を切ってナフタリンを砕いて入れた。本にはホルマリンを注射針で胸に注入するように記されていたが、当時の私にはナフタリンしか手に入らなかった。しかし時間が経つうちに、ナフタリンが溶け出してシミになってトンボの胸が茶色になってしまう。博物館で展示されたトンボの標本は、胸が茶色にならないホルマリンが使われているのだろう。

 天童の丘陵地帯を二時間程かけて、動植物の写真を撮りながら時々散歩していた。その地域には沼が二つあって一つは山元沼で、もう一つは原崎沼である。五年前に散歩の途中に、脇に入ると大きい沼があるのを見つけた。それが山元沼だった。沼の水深は浅いようだが、周辺に茎が三角のミズカヤツリが群生しているので、その写真を撮ったりしていた。夏のある日、写真を撮っていたら、水面をコシアキトンボが沢山飛んでいた。そしてヤンマと思われる大形のトンボも飛んでおり、その瞬間オニヤンマではないかと判断した。でもこれまでの経験だとオニヤンマは山の渓流で見かけており、沼で見たことはなかった。沼のヨシの端に止まったのを見たら尻尾が膨らんでいたのですぐウチワヤンマだと分かった。高校時代に名古屋から引っ越した郊外の蟹江周辺は水郷地帯でトンボの種類も多いが、そこでもウチワヤンマは見たことがなく五十年振りの再会だった。

  暑さを避けるため 逆立ちするウチワヤンマ

止まっているウチワヤンマは沼の端からは離れたアシの先に止まっていたので、カメラに収めようとシャッターを切った。デジタルカメラを望遠にして撮ったが、機能が良くないのか殆んどピンボケだった。でもウチワヤンマだと同定することだけは何とかできた。

 その後原崎沼の遊歩道をぶらぶら歩きながら写真を撮っていたら、沼にウチワヤンマ、ショウジョウトンボ、チョウトンボ、コシアキトンボ、コフキトンボが沢山飛んでいて驚いた。ショウジョウトンボはそれ以前にも立谷川の上流の堰周辺や、農家の裏の池などで見かけていた。チョウトンボとの再会も五〇年振りだった。そこでも写真を沢山撮った。これらのトンボとの再会は少年時代のトンボ捕りを思い起こさせるきっかけになった。デジタルカメラが故障して仕方なく新しいカメラを買って、山元沼でウチワヤンマの写真を撮っていた時、水面に出ている枯れ木の天辺にウチワヤンマが止まっていた。すると下の部分にシオカラトンボが止まった。その下にコシアキトンボが飛んできて止まった。一本の木に三種類のトンボが止まったのだ。私はその瞬間、必死に何枚もシャッターを切った。望遠にしてカメラのシャッターを切ると手振れして画像がトンボの一部しか写らない。倍率を上げれば上げる程そうなってしまう。それでも何枚かは撮れた。更にトンボたちが飛び立ってまた止まった時、真ん中にコシアキトンボ、一番下にシオカラトンボが止まった。偶然だがこれらの三連のトンボの写真は奇跡的に撮れたものであり、私にとって大事な宝物となっている。

  偶然撮れたウチワヤンマ、シオカラトンボ、コシアキトンボ

子供向けの動物図鑑を見ていたら、ウチワヤンマはサナエトンボ科に属しヤンマ科ではないと記されていた。サナエトンボは五~六月頃の田植え時期に出てくるトンボで、その仲間なのだと載っていて吃驚した。そこで調べてみたらトンボは、動物界、節足動物門、昆虫綱、トンボ目で、その下の亜目の中でイトトンボのように翅が四枚とも同じ形の均翅亜目と、翅が異なる不均翅亜目に分かれている。その不均翅亜目の中に、サナエトンボ科、ヤンマ科、トンボ科があることが分かった。(別にムカシトンボ亜目がある)

 ヤンマ科とサナエトンボ科の違いについて、今の私が理解できるのは、顔の複眼が離れていないのがヤンマ科で、複眼が離れているのがサナエトンボ科であることである。私はこうした顔の複眼の位置関係をじっくり見たことはなく、こんな違いがあるのかと吃驚した。またオニヤンマや他のヤンマの仲間は、止まるときにぶら下がるように止まるが、ウチワヤンマ等のサナエトンボの仲間はシオカラトンボのように平らな姿勢になって止まる。こうした止まる姿勢の違いも区別するのに使われている。昔からトンボの代表は私にとってはシオカラトンボだったから、トンボは水平に止まるものとばかり思っていた。ギンヤンマのオスは昼間はずーっと飛んでいて止まらないから、止まる姿勢が分からなかったのである。

コオニヤンマという名前のトンボは、この分類からするとヤンマ科でなくサナエトンボ科に属することになる。こうした形態や行動習性の違い、発生する時期や生息環境の違いから、ウチワヤンマではないか、あれはオニヤンマの筈だ等と推論できるようになれば楽しいだろうと思う。

蟹江に戻ってから、岐阜県の養老公園(養老の滝がある)方面に出かけることも多い。その途中にはトゲウオのハリヨが生息する南濃町の清水池(北部浄水公園)がある。最初はハリヨがいるとは分からずに、県道五六号線(南濃町から関ヶ原まで 通称薩摩カイコウズ街道 カイコウズはマメ科で鹿児島県の県木)の徳田という交差点で右折して養老電鉄線の踏切を越えて津屋川を渡ると、すぐ大きな沼が三つある。トンボや植物の写真を撮りたいので、インターネットで沼があると当たりをつけて行ってみたのだった。三つの沼のどちらにもウチワヤンマが飛んでいた。その数もギンヤンマよりは多い感じだった。天童の山元沼や原崎沼にはウチワヤンマがいて、それが五十年振りだったので感激したのだが、この木曽三川近くの岐阜県海津市の沼にもウチワヤンマがいるのを知ってとても驚いた。その沼にいるギンヤンマのオスは殆ど止まらないで沼周辺の縄張りをぐるぐると飛び続けている。ウチワヤンマは飛んで少し経つと水中から出ている枝の先に止まる。どうも縄張りの範囲がギンヤンマに較べて狭いようなのだ。このように習性に違いがある。先日もウチワヤンマの写真を撮りにその沼に行くと、写真を撮っている近くの枝に止まった。

私はいつも車の中にはタモ網と四手網とプラスチックのバケツを入れてある。写真撮りの時にタモ網も持ちながら写真を撮っていた。ウチワヤンマが近くに止まっているので、そのタモ網を横から素早く掬うように動かしたら、そのウチワヤンマが網に入った。そこで翅の付け根を指で挟んで持ってみた。尾の部分が思っていたより細い感じがした。私の感覚では尾はもう少し太い気がしていたのだ。このウチワヤンマは異なる種の、例えばコウチワヤンマというのではないかと思った。そうだとすると二種類のウチワヤンマに出会ったことになる。帰って調べてみたらやっぱり同じウチワヤンマだった。

指で挟んだウチワヤンマをカメラで撮ってみたが、パソコンに取り込んだら殆どピンボケだった。ウチワヤンマを捕ったのはこれで人生で二回目となった。当然のことながら写真を撮ってからそのウチワヤンマを逃がしてやった。

帰りに津屋川を渡ろうとした時、その橋の名前が目についた。それには「ハリヨ橋」と記されていた。橋の端には「トゲウオ科。別名ハリンコ、ハリウオ。ハリヨの仲間は北半球に広く分布するが、南濃町のハリヨ生息地は世界の南限に位置する」と記されていた。そのことがきっかけでハリヨがこの近辺にいることが分かって、その後ウチワヤンマと共に、これらを探検するようになった。(トンボ目 サナエトンボ科 ウチワヤンマ属 ウチワヤンマ)

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