冬になってカモの写真を撮っているうちに、少しずつその種類や特徴も覚えられるようになって来た。
カワウ
原崎沼で三脚を使って写真を撮っていたら、防寒具を着て遊歩道を歩いてくる男性がいた。この時期に犬を連れて時々散歩している人は見かけるが、その人が「変わった鳥はいるか。」と尋ねてきたので、私は「いつもの種類しかいない。」と答えた。そして色々話をするようになった。彼は定年後に頼まれてこの原崎沼の監視をしているとのことだった。話によるとこの原崎沼のカモは少なくなっており、昔は倍以上の数が来て沼がカモで被われていたと話してくれた。私からすると今でもかなりのカモの数に思えるが、それでも昔に比べれば数は減っているとのことだった。
この原崎沼はヘラブナ(ゲンゴロウブナ)釣りの名所だが、その釣りができる期間が四月から十一月までで、その後はカモが越冬しに来るので釣りは禁止されている。春から秋にかけて遊歩道を歩いていると、釣り人は本格的な道具を使って釣っている。大きなパラソル、水辺に入り込んで座るための折りたたみ式の台、長い浮きを使って、一~三本位の竿を用意して練り餌で釣っている。釣ったヘラブナはかなり大きなもので食べたら美味しそうに思うのだが、釣った人はすぐに七~八センチ程の細長い道具を使って、魚の口から針を外してキャッチ・アンドリ・リースしている。直に魚に触らない。
産卵するヘラブナ(ゲンゴロウブナ)
以前釣っている人に声をかけて「持って行かないのか。」と尋ねたら、「このヘラブナは会員が金を出して毎年放流しているものだ。」と話してくれた。そんなことを聞いていたので、監視員に「ヘラブナは毎年放流しているのですね。それも立派なヘラブナですね。」と言うと、「ここに放流するヘラブナは東北近辺ではなく、関西の河内や四国から買っている。」という話だった。そんな遠隔地から買っているのかと吃驚した。
小さい魚の魚群を見ないのでその理由を聞くと、日本の湖沼や川で問題になっているブラックバスやブルーギルを密放流した結果、幼魚が食べられていることも原因だと話してくれた。そんな時上空にカモの群れが飛んでいた。それとは別に一羽のウも飛んでいた。私はその飛ぶ姿を見てすぐカワウだと分かった。細い首と尾の長さが同じ位だからである。
その監視員はウについて、以前はこの沼に大量のウが飛んで来て沼の魚を食べ尽くしてしまった。そのカワウは最上川から飛んできたという。関東から東北にかけて川や湖沼でウの被害が問題になっている。最上川ではアユを放流して釣り人のためにアユの数を増やそうとしているが、そのアユをカワウが食べてしまうので被害は甚大だとのことだった。私はこれまで何年間か原崎沼でカルガモやオオバンを見ながらトンボや植物の写真を撮っているが、カワウが水面で魚を捕っている姿は見たことはなかった。
最上川から原崎沼まで遠征してきても捕れる魚の量が少なくて来なくなったのではないかと推測している。また別の場所で捕っているのかも知れない。監視員とウの話をしてから一週間後にまたカモの写真を撮りに行ったら、原崎沼にウがいるではないか。沼に来る途中で上空を何羽か飛んでいるのを見かけていた。カモの写真を撮っていたら、そこへ監視員が歩いてきたので、「今日はカワウがいましたよ。」と話すと、そのまま遊歩道の先まで行って、木にぶら下がっている四角い金属製のドラム缶をバンバン叩きだした。前から何でこんなものが木にぶら下げてあるのかと思っていたが、カモやウを驚かせる道具だったのである。鳴らすとカモとウは驚いて飛び立っていった。
その後、駐車場でその監視員と再会したので、カワウのことを尋ねた。「この原崎沼では小さい魚の群れは見えないが、それでもカワウは魚を捕るのか。」と尋ねると、「一尺(30センチ)位の魚なら平気で飲み込む。」と答えた。また向こうにいるアオサギも魚を狙っていると答えた。「ここにはブルーギルやブラックバスがいて、小魚を食べてしまっているのではないか。」と尋ねたら、「誰かが密放流して増えている。」とも話してくれた。その後ウのことが気になったらしく自分の傘を広げて振り回しながら、遊歩道を歩いて行った。ヘラブナ釣りの名所である原崎沼にとって、カワウは来てもらっては困る存在なのだと実感した。
蟹江は水郷地帯である。育ったのは名古屋市西区だったが、高校三年の時に蟹江に引っ越して来た。年末から年始にかけて周辺のカモの写真を撮るために近くの川を車で走り回っている。関西線永和駅の近くの善太川にはカワウがいる。川の真ん中に出ている杭の上に一羽が止まっていて、ここは俺の領分だという感じである。また川に入り込む用水路の堰の水門を開け閉めする鉄のハンドル状の天辺でも、数羽のウが止まっている。どうも習性として高い所が好きなようなのである。川の中の魚の様子を見ているのかもしれない。善太川は自転車が捨ててあったりゴミが流れていたりと、決して綺麗とは言えない川である。それでも泳いでいるカワウは度々潜っていき、数十秒経つと随分離れた場所に浮かび上がってくる。恐らく水中で羽を鰭(ひれ)のように動かして魚を追っているのだろう。そんなカワウが川辺の木や岩に止まって、せっせと羽繕いしたり羽ばたいたりしているのを何度も見かけた。
私はウミウとカワウの区別が今のところ全くできない。どうも嘴部分の黄色の大きさや羽の雰囲気が違うようなのだが分からないままである。恐らく習性も違うのではなかろうか。
昔民放でウ飼いの番組をやっていた。それは長良川のウ飼いの話ではなく、ウ飼いに使うウを捕ってウ飼いのウとして訓練する話だった。そのウ飼いに使うウはウミウだという。ウミウは渡り鳥で太平洋岸を南下するものを、茨城県十王町の伊勢浜海岸の岬にある断崖によしずを掛けて小屋を作り、ウミウが休むために止まるのを気長に待つ。その場所には紐で繋がれ目が見えないようにしたおとりのウミウを何羽か止まらせておく。すると仲間がいると思ってウミウが飛んで来て止まる。そこをよしず掛けの後ろから、そっと鳥もちがついた竿を伸ばしてウミウの羽にくっつけて捕獲する。その竿を一メートル伸ばすのに五分もかけるという。ウミウをくっつけてよしずに引き込む速さは、逆にとても速い。そう言えば福島県いわき市小名浜の照島(東日本大震災で形が変わったが)にも、季節になるとウミウがいたのを想い出した。そのウ捕りの名人は一週間も一〇日間も捕れない時があると言っていた。捕ったウは鳥籠に入れて岐阜のウ匠宅まで送る。全国のウの調達はここだけとの話だった。
調べてみると日本のウ飼いが行われているのは愛知県、岐阜県、京都府、大分県、愛媛県など西日本が中心で、岐阜県では一二〇〇年程昔から行われている。
鳥籠に入れて送る時には嘴を傷つけないように嘴がけを挟ませ、首には首結いで縛って送る。そして五五〇キロのウの旅が始まる。このウが着いたウ匠宅は一八代続くウ匠で、岐阜市には六軒のウ匠いがいる。着くとすぐにそのウに長良川の水を飲ませ、翌日には嘴がけを外して、ナイフで嘴を削り他のウを傷つけないようにする。そして湯の中に入れて体を温めた後、羽の鳥もちを落とすために壁土の粉を体中に刷り込んでから籠に入れる。こうして人から色々やられることがウにとって体験になると話していた。その後庭先に籠に入れたまま何日間も放置しておく。これも人間社会の環境に慣れさせるものだということだった。
ウは基本的に二羽がペアになってウ飼いをする。その相手との相性も重要らしく、長良川に連れて行き、その二羽を泳がせてから陸に上げて見合いをさせる。この場合は羽を広げたことから上手くいったと話していた。
ウ匠は五月一〇日頃のウ飼いの始まりに間に合うように色々準備をする。槇(まき)の木で作ったウ船を洗いウ匠の衣装の他に、ウ籠、ウかがり、手縄(てなわ ウに結び付ける)などを準備する。そして二羽がペアになっている六組を、ウ船の上から操作しながら操る。この番組の主人公であるウはウ飼のウに選ばれたが、アユを捕ることはできなかった。他の熟練したウたちはかなり大きなアユを捕まえ、それを嘴でさばいて頭からアユを飲み込んでいた。ウ匠はその新しいウがアユを捕れなくても、そうした経験をさせておくことが重要だと話していた。野生のウミウをウ飼いに合うように少しずつ慣れさせていくことはウを教育していることになる。これから十五年間一緒にウ飼いをする相棒だとの考えからだった。
番組の中で中国の浙江省でもウ飼いが行われている様子が放映されていた。手縄を使わずに放し飼いによるウ飼いである。そのウはカワウだった。そのカワウはヒナの時から育てて訓練するという。ウミウの大きくなったものを捕えて訓練してウ飼い用にするのとは随分違っていた。国の違いによってウ飼といっても様々であることが分かる。
ウの立場からすると自分たちの習性を人間に利用されて、人間のために奉仕していることになり、飲み込んだ魚を絞められた首結いで胃に落ち込まないまま、必死に魚を追いかける自分の姿を対象化して見た時、自分の人生(鳥生?)をどう思うのだろうかと考えてしまった。(カツオドリ目 ウ科 ウ属)
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