クリ

植物編

秋になると私が勤務している大学構内には、クリの木があり、外回りの仕事をする職員が収穫して、その一部を皆に分けてくれる。クリご飯にしたり、人にやることが多いが、甘さからするとそれほど甘くなく、炭水化物なので、小さい頃に食べたサツマイモ同様に、満腹感を感じてそう沢山食べられる訳ではない。そのクリの木は、構内の建物の建て替えや枯葉の問題で、最近になって伐採してしまった。
この時期になると、山寺に行く道の角で、老人が路上に座り込んで、クリを売っている。天童から山形にかけての畑地は果樹栽培が盛んで、その時期になると、リンゴ、カキ、ブドウやスモモなどを無人販売で売っている。そのため路上で座り込んで売っているので印象深い。その値段は一袋五百円位だが、数年続けて販売しているところを見ると、多少は売れているのかも知れない。

また、ヤマグリを採ることもある。ヤマグリは割と小さいクリだが、それをご飯にすると美味しいだろうと思う。でも実際には、自分で作って食べたことはない。ただ採ることが楽しくて採るだけである。最近も、笹屋トンネルに通じる道の脇道に入り、車を停めてアスファルトの道を歩いていたら、道に沢山イガやその中身のヤマグリが落ちていた。先に拾っていた気配があったが、数日建っていたからか、割と沢山とることができた。そのクリは仙台に知人にあげたが、その後食べた兆しは残念ながらなかった。

秋が深まり、天童高原を写真を撮るために歩いていたら、北面白山への分かれ道のところで、沢山のヤマグリが落ちていた。そこに着く前に、ニホンザルの群れが山道わきの木に座っていたので、そっと近づき写真に収めた。ヤマグリを拾っていると、木の上からポトンポトンと、イガやクリが落ちてくる。拾っても拾っても落ちてくる。一つのイガが、私の背中に当たって痛い思いもした。リュックを背負った老夫婦も拾っていたので「どう食べるのか」と聞くと、「クリご飯にする」と話してくれた。「でも小さいから、手間がかかるのが難点だ」とも言っていた。ヤマグリを拾っていると、齧ったものがあり、さっきのニホンザルの群れが食べたのだろう。その日の収穫は、ヤマグリ四百~五百個位だろうか。こんなに多くの量を採ったのは、人生で初めてである。家に帰って、二十個位を茹でて食べたら、灰汁はなく食べやすいものだった。そのヤマグリは、附属の大宝幼稚園に保育助言の仕事で行った時に、幼児たちにと言ってあげてしまった。

クリの花については、昔から、山を散策した時にも見ているし、学校の構内でも見ている。クリの花の匂いは男性の精液と同様な臭いがする。このことを、数人の既婚の女性に尋ねたら、一人は母親からそうした話を聞いており、だから庭に植えたり、近くにクリの木がある場合には、それを避けて住むように言われたと話していた。またもう一人は、「そうですか」と言って、あまり考えたことがないようだった。女性の多くは、クリの花の匂いを男性の精液と感じる人は少ないかもしれないが、男性たちはクリの花が咲き、その臭いを嗅ぐと、そんなことを考えているに違いない。私はクリの花と栗の実の関係について、最近まで深く考えたことがなかった。花は花、実は実というように考えていたのである。考えてみると、あのふさふさした花が、どうしてクリの実になるのか、どう考えてもわからなかった。

春から夏にかけて、東根市の水晶山に、植物の写真を撮りに行き、帰りに脇の農道を歩いていたら、道路の端にクリの木があり、私の顔近くに枝があり、クリの花が咲いていた。そこで写真を撮ろうとしたら、その房状の長い花が咲いている根元に、クリの赤ちゃん(小さい実)があった。それは小さいクリの形をしたものだった。それを見た時とても驚いた。これまで、花とクリの実の関係を考えたことはなく、どんな経緯でクリが育つか興味を持つべきだったと、自分の考えの至らなさを悔やんだものである。原崎沼の遊歩道にもクリの木があり、枝の一部に、いくつかのクリが育っている。既に花の時期が終わり、花はなくなってしまっているが、それがどう大きく育っていくか、写真を撮りつつ観察していこうと考えている。

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