アオサギ

サギといえばシラサギをすぐ思い出す。シラサギの項目でも述べたが、シラサギという名前はおらず、羽が白いサギの総称である。シラサギは天童周辺でも山形市内を流れる馬見ヶ崎川の河原でも、天童市から寒河江市に入る最上川の村山橋近くの河原の木々のコロニーでも見かけていた。シラサギの中で一番大きいサギがアオサギである。サギの写真を馬見ヶ崎川に撮りに行って撮ったのが初めてだった。

蟹江周辺は水郷地帯でサギの仲間が多い。ゴイサギ、シラサギ(ダイサギ、コサギなど)、アオサギなどが飛び回っている。シラサギは善太川の東名阪自動車道の橋梁の南側に風を避けて日向ぼっこしている。その中にアオサギも混じっている。善太川脇の土手をカモの写真を撮るために歩いていくと、前方の土手に数羽のアオサギが降り立って日向ぼっこしている。私が近づくと飛ぼうかどうか戸惑っている様子だが、そのうちにゆったりと羽ばたきながら飛び立っていく。その飛翔の仕方はアオサギの体が大きいためかゆったりしたもので、サギの仲間では一番大きいと言われるのも頷ける飛び方である。

インターネットを視ていたら、関東地方の一部ではアオサギが見られないと記されていた。蟹江周辺ではどこでもアオサギが見ることができる。善太川、福田川、日光川や木曽川でも見かける。田植え前に関西線永和駅の北側の田んぼの用水路脇に沢山のアオサギが並んで立っていた。傍らでは数羽が田植え前(六月初旬)の水を張った田んぼに入って餌を採っていた。この頃はオタマジャクシが卵から孵ってそこかしこで泳いでいる。そうした獲物を狙っているのだろう。水を張った田んぼでは、田植え前にトラクターで掘り起こしを三度行う。その時にはシラサギたちが飛んできてトラクターの後をついて回っている。堀り起こした土の中の昆虫やミミズを獲るためである。そこにアオサギもやってくる。この地域は川ばかりでなく田んぼ周辺も昆虫類、オタマジャクシや小魚などの餌が豊富な場所である。

田植えが終わって暫くするとイネの根の活着のために田んぼの水を抜く。すると用水路の水が少なくなって、その水溜りにドジョウやザリガニ、フナやカダヤシなどが集まってくる。その場所はサギたちにとって格好の餌場になる。その結果用水路はサギたちの足跡が沢山残っているのを見かけることができる。

干潮になって浅くなった善田川や日光川のウォーターパークでも、アオサギが餌を採っている様子を見かける。水面を見つめて首を伸ばして水中の獲物を狙っている。そして素早く首を突っ込んで獲物を獲る。その時の緊張感と首を突っ込む瞬間がまた美しい。見ているといつも獲れる訳ではなさそうである。蟹江周辺はスジエビが多くそれらを獲っているいることが多い。

アオサギはどんな獲物を獲っているのか。大きなサギだから大量に食べる筈で大きな獲物も獲らないと生きていけないのではなかろうか。調べてみたらドジョウ、フナなどの淡水魚、カレイやハゼなどの海水魚(藤前干潟で度々姿を見かける)、エビやカニなどの甲殻類、バッタやトンボなどの昆虫、カエルやヘビ、オタマジャクシなどの他ネズミや水鳥のヒナなども対象にしていると書かれていた。

私が見かける時にはのんびり日向ぼっこをしたり悠々と飛んでいる場面が多いので、それ程の大食漢には見えない。実際には相当の悪食なのではなかろうか。先日日光川と善太川の合流する河口のヨシ原で、アオサギがヘビのような大きな細長いものを咥えて飛んでいた。そしてヨシ原に降り立ったので、カメラに撮った。ヘビにしては赤っぽく何だろうと思った。家に帰ってパソコンに取り込んで拡大したらヘビでなくタウナギだった。その獲物のおこぼれを頂戴しようと、一羽のアオサギが傍まで飛んできたが、それを無視してタウナギを咥えたまま他の場所に移動していった。こんな大きな餌を本当に腹に収めるだろうかと不思議な感じがしたものである。

ところがアオサギと言いながら、体色が青色や緑色という訳ではなく灰色である。嘴と足は橙色で頭には黒い筋があり、羽も風切羽に黒い部分があり、飛んでいる時には黒の部分が目立つ。アオサギはヨーロッパ、アフリカ南部、日本の他、ユーラシア大陸にも夏鳥として分布している。このアオサギは英語名では灰色のサギ(Grey Heron)と呼ばれているが、日本ではそれをアオサギと呼んでいる。名称の仕方は異なるが、色についての呼称の違いによるものである。このアオサギは奈良時代からそう呼ばれていた。そこで広辞苑で灰色も青の色に含まれるかどうか調べてみた。青について「(一説に、古代日本語では固有の色名としては、アカ、クロ、シロ、アオがあるのみで、それは明、暗、顕、漠を原義とするという。本来は灰色がかった白色をいうらしい)」と記されている。古代には灰色も青の呼称の中に入っていたのである。

同じように私たちが交通信号で使う青信号の青は、どう見ても青ではなく緑であるのに、なぜそれを青と呼ぶのかという問題に似ている。「人はなぜ色にこだわるのか」(村山貞也 ワニ文庫)によれば、「古代の日本の色名には、アカ、クロ、シロ、アオの四色しかなく、アカは明るい、クロは暗い、シロは顕(しろ)く、そしてアオは漠(アオ)であるとする説がある。明・暗は明度であり、顕・漠は彩度であるから、いずれも色相を意識することが少ない。しかし、文化が進むにしたがって、アオは青という色相を表す言葉になる。しかし、日本の文化において青といわれた色は、今日直訳されるブルーだけでなくて、緑から藍あたりまでも含んで総称していたと思われる。日本で青信号と言って疑わない交通信号の色は、緑色であるように。」と記されている。

もう一つ面白いエピソードとして、ギリシア生まれの小泉八雲の本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Hearn)だが、地元では「ヘルンさん」と呼ばれていたそうで、彼はそのためか、着物に「鷺丸」の紋をつけていたそうである。遊び心の話である。特に特徴がないと言えそうなアオサギであるが、こうした言葉の呼称の成り立ちや小泉八雲の紋の謂(いわ)れなどを見聞きすると、アオサギと人との歴史的な関わりを感じて何か親しみを感じるようになるから不思議である。

「日本の野鳥」(叶内拓哉 阿部直哉 上田秀雄 山と溪谷社)のアオサギの項目には「留鳥、または漂鳥。環境は海岸、干潟、湖沼、池、河川、水田、湿地など。行動はコロニーをつくり、高木の枝上に皿型の巣を作る。場所によっては、低木や地上でも営巣する。繁殖中は雛に食べ物を与えるために、日中でも盛んに採食する。非繁殖期は、日中は群れで休息することが多く、主に夕方から朝まで採食する。食べ物は魚類のほか、両生類、爬虫類、小型哺乳類、鳥類の雛などいろいろで、嘴で挟みとるだけでなく、嘴で突き刺すこともある。」と記されている。

これらの記述を見ると、アオサギとシラサギの仲間は似た習性ではないかと思う。蟹江インター近くのコロニーでは、春先になると一本の木に、ゴイサギ、アオサギ、シラサギが営巣しているのを見かけるのも似た習性によるからではなかろうか。

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