藤前(ふじまえ)干潟

蟹江に戻ってから、名古屋市港区にある藤前干潟を頻繁に訪れている。ここは伊勢湾の名古屋港の奥にある干潟である。冬になってカモの写真が撮ろうと出かけてみたら、その場所はラムサール条約に登録されている干潟だった。この場所は小中学生の時に遊んだり泳いだりした庄内川、魚釣りやトンボ捕りをした五条川と合流している新川、カモ撮りや魚捕りをしている日光川の三つの河川が入り込んでいる河口に位置している。

藤前干潟のミサゴ

 この藤前干潟に通い続けたのは、そこでミサゴの写真を撮りたかったからである。干潟の真ん中ほどに枯れ木が立っていて、そこにカワウやミサゴが止まったりする。ミサゴが上空から水面に足から飛び込んでいく様子や、枯れ木に止まって捕った魚を啄んでいる姿を見ることも出来る。私の新しい望遠レンズ付きのカメラでは、どんなに焦点を合わせても小さい映像しか撮れず、パソコンで取り込んで拡大するとぼやけてしまう。この干潟では三脚で望遠ズームを取りつけたカメラで撮っている人たちがいる。何時間もシャッターチャンスを狙っている。その人たちのカメラでは、枯れ木に止まっているミサゴは簡単に撮れるらしい。その一人に尋ねたら、夕日の中で飛んでいるシルエットになっているミサゴを撮りたいのだと、構図を含めた良い写真を狙っていると話してくれた。

 藤前干潟に設置してある掲示板

 この場所に設置してある掲示板にはいくつかの情報が記されている。その歴史については「川から流れてきた砂や泥が、河口や波の静かな湾の奥の方などにたまってできた、『潮が引いた時にあらわれる場所』が干潟です。そのため、潮の満ち引きにより、その姿は刻々と変化します。藤前干潟は伊勢湾の最奥部に残された唯一の大規模な干潟で、シギ・チドリ類の中継地として国際的に重要な場所となっています。その面積は約一八〇ヘクタール(ナゴヤドーム三八個分)です。伊勢湾奥部の海岸は、江戸時代から干拓による大規模な新田開発が進められました。第二次大戦後は臨海工業開発のために、埋め立てが行われ、庄内川河口から木曽川河口までの一帯は、西部臨海工業地帯となり、埋め立てはさらに進みました。しかし、藤前干潟だけは埋め立てられることなく自然の姿をとどめてきました。 一九八一年(昭和五十六年)、名古屋港港湾計画によって藤前干潟の一部を廃棄物処理用地として埋め立てることが位置付けられました。これに対して市民たちの保全活動が行われました。名古屋市は環境アセスメントなどを行い、快適で清潔な市民生活の確保と自然環境の保全を両立させるべく、一九九九年(平成十一年)ゴミ処分場計画を中止し、これを契機に、ゴミの減量化に取り組むことになりました。」と記されている。

 これを見ると、臨界工業地帯として名古屋港周辺や飛島から弥冨周辺までに大きな工場があり、H二ロケットなどの組み立てを飛島の三菱重工業で行っていたりするのも合点がいく。また大量生産、大量消費、大量廃棄などの思想が蔓延していた時代には、東京都と同じように埋め立て地として利用しようとしたのだろう。今となってみれば、市民の保全活動によって藤前干潟が維持されたことは良かったと思う。藤前干潟の北側に大きなゴミ焼却場があるが、ゴミを分別しリサイクルすることや、高熱の焼却温度で処理できるようになった技術的進歩で埋め立てないで済むようになったのではなかろうか。干潟の北側に大きなゴミ焼却場がある意味が少し分かったような気がした。

 また藤前干潟を利用する鳥類では、「シギ・チドリ類の『東アジア~オーストラリア渡りルート』の中継地となっています。春秋の渡りの時期には、ハマシギ、メダイチドリなどのシギ・チドリ類がたくさん渡来し、採餌・休息の場として干潟を利用しています。また、冬期にはロシア極東、アラスカなどから多数のカモ類が越冬します。その他、ミサゴなどの猛禽類やカワウ、アオサギのように一年中ここで過ごす鳥も見られます。藤前干潟ではこの一〇年間、毎年一万羽を超える数の水鳥が確認され、周辺地域を含め、近年記録された鳥類は約一七〇種、そのうちシギ・チドリは約四〇種に達します。」と記されている。私はまだシギやチドリの撮ってはいないものの、冬期のスズガモやカンムリカイツブリなどは、何枚も撮っている。

 また別の掲示板には、「潮の満ち引き」について「潮の満ち引きとは、海面が規則的に高くなったり、低くなったりする現象です。海面が高くなった時を満潮、低くなった時を干潮といいます。これは月と太陽の引力が、海面を引っぱるためにおこります。また、月に面していない側では遠心力の方が大きくなり、海面が引っぱられます。この引力と遠心力によって、海面が上昇し満ち潮となります。逆に、この二つの満ち潮の中間の海では、海水が減ってしまうために引き潮になります。潮の満ち引きは、地球が自転により一日に一回転するために、一つの場所で一日に二回おこります。」と記されている。

カモ類やカワセミなどの写真を撮ろうとすると、採餌時刻が重要で、干潮のときには餌を見つけやすい。だからその時間を見計らって写真を撮りに行くようになった。そこで、インターネットで名古屋港の干満時刻を調べて行くようにしている。何日分かの干満時刻を見ていたら、干潮になる時刻は前日より四〇~五〇分程度遅れることがわかった。この時間の遅れは、毎日の月の出の時刻の遅れと同じである。この月の出の時刻のズレと干満の時刻のズレは関係があると予想できる。そんなことを考えた。

 また「天然の浄化フィルター」では「海から蒸発した水は雨となり、森の養分とともに川に流れ出します。私たちは、有機物を多く含んだ生活排水などを川や海に流しています。これらの有機物を干潟の小さな生き物が取り込み、その生きものを魚などが食べます。魚は鳥や人間に食べられ、フンなどに含まれる養分としてまた海に戻ってきます。このつながり(食物連鎖)が干潟における天然の浄化フィルターとしての役割を果たしています。干潟を守ることは、人間を含めた食物連鎖をつうじて多くの生きものと環境を守る働きを果たしているのです。」と記されている。

 蟹江に帰ってきて、山形県の川と比較すると川の水が汚れている感じがしてならない。しかも善太川等ではゴミが捨ててあり、汚いなーと実感する。その川にも四〇~五〇センチのコイが何匹も泳いでいるのを見かける。またカワエビも沢山いる。藤前干潟ばかりでなく干潟に入り込む三つの川の水中は全く見えない。こんな汚れている川が綺麗といえるのだろうか。フナや鯉、ボラなどにとっては好ましい環境かもしれないが、一般的に魚にとって好ましい環境といえるのだろうか。そんな水質について、上述の「天然の浄化フィルター」の機能が働いているという説明に心の中で納得することが出来ないでいる。

 ラムサール条約は、宮城県に住んでいた時にガン、カモ、ハクチョウの飛来地である伊豆沼が有名だった。また私も観察に出かけたこともある。山形県では大山上池・下池がラムサール条約に登録されている。そんな知識があって、藤前干潟がラムサール条約に登録されていることで親しく感じるようになった。

 環境省の資料によると、ラムサール条約は一九七一年にイランのカスピ海に面するラムサールで行われた国際会議で採択されたことによるもので、正式名称は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」である。この条約で「湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水(海水)であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地または水域をいい、低潮時における水深六メートルを超えない海域を含む」(条約一条一)となっている。

また条約にいわれる湿地の基準には九基準あるという。少し長くなるが記憶のために記しておこう。基準一:特定の生物地理内で代表的、希少、または固有の湿地タイプを含む湿地 基準二:絶滅のおそれのある種や群集を支えている湿地 基準三:特定の生物地理区における生物多様性の維持に重要な動植物を支えている湿地 基準四:動植物のライフサイクルの重要な段階を支えている湿地。または悪条件の期間中に動植物の避難場所となる湿地 基準五:定期的に二万羽以上の水鳥を支えている湿地 基準六:水鳥の一種または一亜種の個体群の個体数の一%以上を定期的に支えている湿地。基準七:固有の魚類の亜種、種、科、魚類の生活史の諸段階、種間相互作用、湿地の価値を代表するような個体群の相当な割合を支えており、それによって世界の生物多様性に貢献している湿地 基準八:魚類の食物源、産卵場、稚魚の生息場として重要な湿地。あるいは湿地内外の漁業資源の重要な経路となっている湿地 基準九:鳥類以外の湿地に依存する動物の種または個体群の個体数の一%以上を定期的に支えている湿地 となっている。

  藤前干潟で大群で行動するカワウ

 藤前干潟に出かけて、冬期にカワウの五〇〇~六〇〇羽を超える大群が干潟内の場所を移動する、長い列になって飛翔する光景が忘れられない。こうした条約によって守られているからこそだろうなと感じたものである。

                             

コメント