アサガオと言えば、名古屋市西区の東芝社宅の二軒長屋にいた頃を思い出す。私自身は小学校に入る前からそこに住むようになったが、その社宅の前には庭があって、父が色々な園芸植物を植えていた。その中に、アサガオもあったのである。
庭に植えられているアサガオ
私の小学校や中学校当時は、家の8畳間の南側に縁側があり、玄関とは別に庭から子ども達は出入りしていたものである。夏になると、当時はエアコンもなく扇風機で暑さを凌いでいたので、父が縁側のある庭先に長い竹を地面に何本か刺し、その途中で横に竹を交差させて格子状にして、日除けのために、アサガオを植えて蔓が伸びていく準備をしたものである。最近も同様に、暑さと日除けのために日が当たる南側でゴーヤなどを育てている風景を見かけるが、当時も同じようにしていたのである。
毎年アサガオは植えていたが、ときどき一部にへちまやヒョウタンを植えていた。へちまの実は、収穫してバケツの水の中に入れっぱなしにして、皮や実が朽ち果ててから、その網目状で立体的な繊維を取り出して、風呂で体を洗う道具にしていた。銭湯に行っても、そのへちまの道具を使って、大人たちが体を洗っていたものである。またへちまが植わっている根元の茎を切って、そこから出てくる透明な汁を集めて、母が美容液として顔に塗っていたことを思い出す。今から考えると、美容効果があったかどうかは疑問であるが、その当時はそんなことが流行っていたのである。
また色々の形や大きさのひょうたんも獲れたが、その中を空洞にするために中身を繰り抜くのが難しく、釘などで首の部分に穴を空けてしまって、光沢のある酒や水を詰めて持ち歩ける風情のものを期待しながらも、殆ど完成品ができなかったと記憶している。
そんなアサガオであるが、毎年、園芸店でアサガオの種や苗を買ってきて植えるのではなく、秋に種を採集しておいて、それを5月頃に蒔くということを繰り返していた。最初は赤や青のアサガオを植えたのだが、翌年に種を蒔くと、その花びらの一部に赤や青の色が混じっているアサガオになっている。私の小さい時のアサガオの花の色は、そうした色々の色が混ざったアサガオが、私にとってはアサガオなのである。だから、アサガオの花弁(はなびら)が一色だと、アサガオではないという気になってしまうからおかしなものである。
12月頃まで見かけるのアサガオ
アサガオは短日植物で、日周が短くなる(夜が長くなる)と花芽を形成すると言われている。書名は忘れてしまったが、アサガオの双葉が出て本葉が出かかったところに、花の蕾がついているのを見たことがあった。双葉が出た頃に段ボールの箱で覆うと本葉が出た頃に花芽がつくというもので、小学生の夏の理科課題の実験だったような気がする。
そこで調べてみたら、アサガオは13~14時間を境にして、日周が長いと花芽を作らず、それより短くなると花芽を形成するようになると記されていた。この限界の時間を越えて長い日周時期は5月の下旬から7月中旬までであり、その間は花芽を作らないことになる。その後になると、限界時間に足らなくなる(夜が長くなる)ので花芽を形成することになる。温室で2月頃にアサガオの種を蒔き発芽させると、日照時間が13~14時間より短い(夜が長い)ので、双葉が出て本葉が出た頃に、花芽がつくという。実験的に箱を被せないでも、時期によっては花芽をつけることができることを知った。アサガオの蕾などの花芽形成も、随分と機械的な条件に左右されていることが分かって、吃驚したものである。
こうした時間を感じる感受性の仕組みをアサガオなどの植物が持っていることも本当に不思議なことである。常々不思議に思うのは、サクラでも同じ季節になると、同じように花が咲くが、こうした季節や時間を感じる仕組みは、どこにあるのだろう。例えば、枝を切って花瓶に入れておいても花芽はつく。植物の一定場所で時を感じているのではないことは容易にわかるのだが、木や植物全体に、どの部分でも時間や季節を感じる仕組みを持っているのだろうか。本当に不思議なことである。
こう考えると、毎年行われている東京入谷の鬼子母神の朝顔市は、7月の上旬に行われているが、ここで売られているアサガオは、全て日周を調節して育てられていることが予想される。アサガオの季節を先取りしているから価値があるのか、それとも旧暦の日程を太陽暦に合わせて行うようになったのか知りたいところである。
入谷の鬼子母神の朝顔市の由来は江戸期(「アサガオ 江戸の贈りもの」米田芳秋著 裳華房には1830年となっている)だが、その頃になってアサガオが庶民に好まれ親しまれるようになってきた。当時は随分と品種改良も行われたようである。書名を覚えていないが、その当時には黄色いアサガオがあったと言われ、絵が描かれているという。
帰化植物の小型のアサガオたち
米田によれば、「アサガオの花弁の色素には、青、紫、赤などのアントシアンと、薄い黄色のカルコンやオーロンなどのフラボノイドがあるが、濃い黄色のもとになるカロチノイド系色素はもっていない。」と述べている。カロチノイドを持ったアサガオが絶滅したのか、それとも薄い黄色っぽいものを強調して描かれたのかはわからない。
今住んでいる蟹江でも、山形や仙台でもアサガオがこれまでと違うものを見かけるようになった。以前、大学の佐藤事務局長とお茶飲みの時間に雑談していたら、アサガオを買って育てていると話してくれたが、西洋アサガオと言っていた。どんなアサガオなのか実物は見ていないので分からないが、大きな花だということだった。そんな積りでアサガオを見ていたら、これまでのアサガオとはやはり違うのである。一つは、アサガオの花弁(はなびら)が濃いブルーで、蕾のついている場所にいくつも蕾がついている。これまで私が知っているアサガオでは一輪だけだったと思う。またこのアサガオは昼過ぎになっても大きな花びらが咲いていて、萎れても良さそうな時間なのに咲き続けている。
11月になって山形や仙台に出掛けたが、ある家の前で、その朝顔が沢山咲いていた。しかも翌日の朝に見かけても、その花たちは萎れないで咲き続けていた。アサガオの花は、朝だけ咲いて午後には萎れる中に、儚さなどの風情を感じていたのだが、そうした生態ではないのである。
確実に同定できないのだが、どうもケープタウンブルーという品種ではないかと思う。見かけた場所が一か所ではないので、同じものに見えているに過ぎない可能性があるが、2日間も咲き続ける特徴などが記されているところから、佐藤事務局長が話していた西洋アサガオは、これではないかと思う。最近見けるこうしたアサガオは、大輪で綺麗であるが風情がないと私は思うのであるが、私が親しんできたアサガオとて、昔に日本に薬草として入ってきた牽牛(けんご)という帰化植物なので、新しいアサガオだからと言って、排除するのは理にかなっていないことなのだろう。
堤防や畦の端に、とても小さいアサガオの仲間(ヒルガオ科)も何種類か見掛けるようになった。それぞれどんな名前で生態なのか同定できていないが、小さくて可愛い花たちであり、一種類ではないようである。植生を含めてそれらをこれから学びたいと考えているところである。
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