ニホンザル

ニホンザル(以下サル)について学びだしたのは随分古い。京都大学の研究者たちが宮崎県幸島(こうじま)のサルの行動観察をするようになって、サルの習性や社会についてだんだん知られるようになってきた。その幸島のサル観察の小中学生向きの本「幸島のサル」(三戸サツヱ ポプラ社)を大学生の時に読んだ。その本の中には、餌として与えられたイモを塩水で洗い、味をつけて食べる「イモ洗い」についても記されている。その後、そのイモ洗いが集団内の他のサルにも伝わっていき、文化を持つのは人間だけだと思われていたのが、サルの社会でも同じように存在するというので話題になった。そのイモ洗いを始めたのは若いサルたちで、それが少しずつ集団内の他のサルに伝わっていく。最後に伝わったのは年長のサルたちで、人間社会と同じ伝播の順序なので面白かったものである。

 電線を利用して移動するニホンザルの群れ

 「サルの話」(宮地伝三郎 岩波新書)では、サルの集団には順位があり、それを調べるためにミカン等を二頭のオスザルの間に置いてやると、上位のサルは手を出すが下位のサルは出さないとか、上位のオスザルが下位のオスザルにメスに行うマウンティングする。このように順位を確認し合うことでサル社会はボスザルを中心とした社会構造を持っているという。ボスの下には集団の大きさに合わせて、ヤクザの若頭のような次期ボスザルになるリーダーたちの順位がある。この本には高崎山のボスザルのジュピターの名前が出ていた。当時は今の高崎山のように何群かに分かれていたか定かでないが、それを統率していたのがジュピターだった。若いサルたちに較べると体力的には勝っているとは言えないものの、その知性で集団をまとめていたと記されていた。猿望があったのだろう。

 サルの発情期は秋で成熟したメスはボスザルが占有してしまう。他のオスたちはメスザルを占有できないから若いメスなどに手を出そうとする。それも上手くできない若手のオスザルは自慰行動をする。するとそれを止めることができなくて数日間も続けて行うと示されていた。これは一種の自己強化システムに入り込んでしまった例だろう。自慰することが快感に繋がり、だからまた自慰行動をするというサイクルが出来上がってしまう。子どもが遊んでいる時に、遊びそれ自体が目的であり報酬になることと同じである。別の例は覚せい剤や大麻を打ったり飲んだりして、その快感を体で経験し覚え込んでしまうと、やすやすと止めるわけにはいかないことも同じだろう。裁判で執行猶予になって当初は反省しても結局は再犯する可能性が高いことを考えると、肉体的な快感を消失させることは難しいことなのだと予想できる。

 この本の中で若いメスザルたちが餌付けしている京都大学の男性学生や研究者にモーションをかけてくるという話も載っていた。毎日餌付けのためにサルの周りにいる人間の男性をサルのオスと見間違えるようなことが起こったのである。種のアイデンティティ(同一性)が人間にまで拡大してしまったということだろう。

 宮城教育大学にいた伊沢紘生さんが学生たちと宮城県の金華山の野生のサルを観察しに行った時、サルたちは女性の学生の近くには平気で近寄るが、男子学生には近寄らなかったという。とすればサルたちは人間のオスとメスを見分けているということになる。観光地で土産物を持った女性の土産袋のポリエチレン袋を奪い取る行動でも、女性の場合が多いようである。これらもサルたちが男女を見分けることができる証左といえよう。このことはチンパンジーのビィキイの調査でも見られた。男女別、大人と子供の区別は人間の子供と同じ位の正答率だと言われているから、ニホンザルも男女の区別は可能ではないかと思われる。

 天童公園でヤマグリを食べたニホンザル

 また伊沢さんはこれまでニホンザルの社会はボスザルを中心とした社会であると言われてきたが、白山での野生のサルの調査結果からこれまでのボスザルを中心とした社会でない可能性もあることを示している。集団によって異なるのかサルの社会に対するこれまでの理論が間違っているのか、面白い問題である。

 名古屋に住んでいた頃は野生のサルを見たことはなかったが、東北に来て野生のサルを度々見かけるようになった。一番先にサルがいるのだと思ったのは、冬の降雪期に仙台から天童まで仙山線で通っていたが、窓越しに木肌が剥かれて白くなった木々を見かけたことだった。その剥かれた木々は一本だけではなく、その近くの木が連続的に剥かれていた。サルたちが移動しながら木の皮を剥がして食べたのだろう。そんな経験を何度かしていた。

 その後天童のアパートに住むようになって、近辺を車で走り回ったり、仙台方面に度々行くことがあった。山形道の笹谷トンネルを抜けて午後二時頃に国道二八六号線に降りてすぐの笹谷部落近辺で初めて野生のサルの群れを見かけた。私は降りて写真を撮ったが、そのサルの群れはゆうゆうと歩きながら北側の山の方に移動していった。その山の向うは奥新川や作並方面である。その群れが移動する殿(しんがり)となっていたのは大きなオスザルだった。もしかするとボスかも知れない。私たち人間が近くにいても、恐れる様子もなく堂々と移動していったことを今でも印象深く覚えている。

 その後国道四八号線の関山トンネルを越えて作並温泉を過ぎた場所で、昼頃サルの群れが国道を横断していた。陸送の運転手や乗用車の運転手もそれが分かると、車を停めて全部のサルが渡り終えるまで待っている。この地方の人たちにとってサルやカモシカが横断する時には、そうすることが暗黙の了解になっている。その時に子ザルを抱いた母ザルも横断していたが、渡り切った道路の端で、渡る様子を見ていたのも大きなオスザルだった。全部が渡り終えるとゆうゆうと移動しながら、山の中に消えていった。

 それから度々サルの群れを見かけることがあった。サルの群れを探して会えることは殆どなく偶然に出会うだけである。今までに出会ったのは、山形市の高瀬の道路脇、天童高原、天童高原から東根市に下がった付近、東根市の大滝付近、白水沢ダムの入り口、水晶山への入り口などである。群れの大きさは大体一〇頭前後の時が多かった。その中で印象に残っているのは、天童高原に行った帰りに車で東根市の方へ降りて来た時、道路の電柱とその脇の木々にサルの群れがいた。そこで一度車で通り過ぎたが戻って降りてカメラで写真を撮ろうといたら、電柱から林の方に電線を伝って移動していたサルが、その電線を揺すって私を威嚇するような行動をとった。群れを守るためなのか、単なる偶然だったのか分からないが、私が近くに存在していることと猿のそうした行動には関連があるのではないかと思う。

 道路を横断して移動するニホンザルの群れ

 いつも思うのは、時々見かける野生動物と動物園で見られる動物では、同じ名前の動物でも全然違う。動物園の動物は飼い馴らされていて本来の姿ではない。しかも子どもたちにはそうした動物を擬人化しペット化して愛玩動物であるように見る暗黙の社会教育が行われている。だからみな優しい動物だと思っている。

 勤めていた短大の屋根裏に動物が住んでいるらしく、くさい臭いや糞などが見つかった。病原菌等が拡散される危険性があるので大きなネズミ捕りを仕掛けたら、ハクビシンが捕まった。そのネズミ捕りに入っているハクビシンは恐怖もあったのだろうが、ものすごい攻撃的な形相で、私たちが考えるようなペットの延長線上の動物では全くなかった。野生動物というものはそうしたものではないかと思う。山中でクマに出会って動物園のクマのような存在だと考えていたら、とんでもないことが起こるだろうなと考えてしまう。本来の動物の姿はどちらなのか真剣に考えなければならない。(サル目 オナガザル科 マカク属 ニホンザル)

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