数年前から興味を持つようになったのはミョウガである。家々の庭の端や家の北側にミョウガを植えてあるのを見かける。私はそれがミョウガだとは思わず、初めはショウガだと思っていた。例えば、スーパーなどで売っているショウガの根に葉がついているのを見ると、いつも見かけている葉と同じである。
ミョウガの葉と花
スーパーで売っているミョウガといえば茶色の実のようで、葉がついているのは見たことがない。私が一番勘違いしていたのは、そのミョウガが茎につく実だとばかり思っていたことである。実際はそうでないことを後から知った。
ミョウガはショウガ目ショウガ科ショウガ属で、ショウガとは兄弟である。ショウガといえばジンジャーで、ジンジャーエールなどの飲み物で知っている。ニンニクは何だっけといつも連動して考えるがガーリックという名前がなかなか出てこない。ヨーロッパでは人々が良く食べるとか、ソビエトの宇宙船にはガーリックを載せていったとか、そんな情報はすぐ思いつくのだが名前が出てこないのだ。
小さい頃は強い香りの野菜は食べられなかったが、今ではそれらを美味しいと思うようになった。ミョウガですぐ思いつくのは冷奴に乗せる刻んだミョウガだし、冷やしそうめんのタレに薬味としてミョウガを入れて食べるのも好きだ。他にも、天ぷらや酢の物、味噌汁や吸い物の具として使われている。
ホームセンターでミョウガの苗を一本買って植えてみたがうまく育たなかった。その後短大の用務の須貝さんにお願いして、構内に生えているミョウガを数本貰って、知り合いの家の庭に植えさせてもらった。翌年から少しずつ増えていった。そして秋口になってミョウガの実が地面から顔を出したので、それを採って冷奴の上にかけて食べた。やっぱり自分で育てて採ったミョウガは美味しい。その家には高齢者がいて、自分の好きな草花(花屋で売っている園芸種)をその場所に植えたので、ミョウガは駆逐されてなくなってしまった。野生の草花や伝統野菜に対する現代人の感覚は、奇麗だったり華やかなものに惹かれて冷たくなる傾向があるようだ。そんな思いを持つ私は古い感性の持ち主かもしれないとつくづく思う。
ミョウガの花 その1
諺(ことわざ)に「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」と言われている。本当にそうだろうか。ミョウガの成分には知能を低下させるものは含まれていない。それがはっきりと分かれば、知能を高めるための方法も見つかるかもしれない。その由来は、お釈迦さんの弟子に物忘れしやすい人がいた。自分の名前さえも忘れてしまうので、名札(名荷)を首からぶら下げさせたが、それさえも分からなくなってしまったというエピソードである。この話を聞いて中島敦の「名人伝」を思い出した。弓の名手が更に弓の修業を深めるために山に入る。名人というのは心身全て自然体になる無我の境地を得る必要がある。その名手が数年後山から下りてきたが、その時には弓が何かも分からず、それの使い方さえも分からなくなっていた。それこそ自然の無我の境地そのものである。無我の境地と認知症との区別は何だろう。今風に考えれば山に一人でいるので刺激が乏しくなって、結果的に感覚遮断状態になってしまったか、認知症になってしまったかであろう。
ショウガもミョウガも大陸から持ち込まれたらしいが、香りが強いのをショウガ、弱いのをミョウガという説もあるようだが、ショウガとミョウガは同じショウガ科だとはいえ、根や実の形が全く違い香りも随分違うように思える。私自身は納得できない説である。
ミョウガの花 その2
ミョウガの生えている所を天童周辺で探してみると、市内の家々の庭ばかりでなく山に入っても見られることを知った。ジャガラモガラの先の山道の端にも、笹谷トンネルの脇道の奥の森林が生える奥深い所にもあった。秋の季節になるとミョウガが生えている所の根元を見ると、スーパーで売っている実のようなものが地面から突き出しているのを見かける。そしてその実から白っぽい花が咲いていた。暗い地面に花が咲いているのは不思議な光景であるが、それでもだんだんとミョウガは、私の心の中に馴染んでくるようになってきた。
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