私が小学生時代を過ごした名古屋の東芝社宅周辺は、町と田舎が入り混じった地域だった。私たち子どもは惣兵衛川(江戸時代に造られた用水路)を越えて、田んぼや畑がある地域に魚捕りや釣りそしてトンボ捕りに出かけたものだった。幼児の頃はシオカラトンボ等を捕っていたが、小学生になると高学年や中学生のお兄ちゃんたちとギンヤンマを捕るようになった。
チョウトンボ
そんなトンボ捕りに夢中になっていた頃、なかなか捕ることができないトンボがショウジョウトンボとチョウトンボだった。チョウトンボは敏捷なトンボでもなく、ユラユラしながら上空を飛ぶトンボで、ギンヤンマのように素早いスピードで飛ぶトンボに較べると、とてもゆっくりと飛ぶトンボだった。翅ががっしりしている訳でないが、翅の色が紫色で光沢があり、太陽の光を受けると輝いているように見える。何故そのチョウトンボが捕りにくいかというと高い所をユラユラフワフワ飛んでいて、私たちが持っているタモ網ではとても届かないのである。しかも止まる場所がキュウリ畑の竹竿の天辺等に止まるので、捕りたくても捕れないトンボだった。ある時タモ網に竹竿を結び付け長くして捕ろうとしたことがあったが、途中の縛ったところが曲がってきて結局捕れなかった。そんなことを印象深く覚えている。
高校生になって名古屋から蟹江に引っ越したが水郷地帯なのでトンボの種類は多かったが、環境が変化してしまっていたのか、その頃には蟹江でチョウトンボを見かけなくなっていた。以来何十年もチョウトンボは見たことはなく、私の中では「幻のトンボ」になっていた。トンボの図鑑にはそのチョウトンボの写真や絵が載っている。そしてその分布図には愛知県に今でも生存しているようになっていた。しかし蟹江周辺や木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域、海津市周辺でも見かけたことはない。
交尾態飛翔と産卵行動
山形県の天童市に住むようになって、山形新聞にチョウトンボが鶴岡市の大山上池と下池では飛んでいるという記事が載っていた。その記事を読んで東北にはチョウトンボがいるんだと懐かしく思った。そんな記事を読んでから天童の山元沼や原崎沼に行くようになった。チョウトンボが羽化しない時期にヘラブナ(ゲンゴロウブナ)釣りをしている人と話した時に、この沼には赤いトンボと黒っぽいトンボが飛んでいると話してくれた。赤いトンボはショウジョウトンボに違いないと思ったが、黒っぽいトンボはチョウトンボかも知れないと思いながらも、私の中では絶滅種に位置づけられているせいか、チョウトンボが本当に生存しているのか信じられない気持ちだった。
七月になって原崎沼に動植物の写真を撮りに行ったら、ヒラヒラと飛んでいるチョウトンボを見かけた。かれこれ四〇~五〇年振りの再会だった。飛んでいる姿を見て懐かしさと共に少年時代のトンボ捕りの想い出が蘇ってきた。チョウトンボがよく生き残っていたという気持ちと昔のチョウトンボがここにいたという感慨だった。
何十年振りかに見かけたチョウトンボは同じチョウトンボに見えても、毎年産卵しヤゴで過ごして、羽化することを繰り返して命を繋いできたものである。ましてや原崎沼ではブラックバスやブルーギルなどが増えてきて、チョウトンボやウチワヤンマのヤゴたちも食べ尽くされる可能性がある。池の西南にはハスが沢山生えているので、その間に隠れながら何とか生き延びてくれれば良いなと思っている。
このようにチョウトンボを見て感激したことが第一だが、毎年チョウトンボのヤゴが羽化して成虫になる繰り返しを考えると、同じチョウトンボでありながら私が昔見たチョウトンボの個体とは異なっている。鴨長明の「方丈記」の前文の「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と同様で、私たち人間は共通性があるものを同一のものと認識する性向を持っている。昔見たモンシロチョウと今見かけるモンシロチョウを同じものと認識してしまう。実際にはそれぞれの個体レベルでは異なる筈であるがそれを同じものと捉えて、同じように感じたり同じように扱おうとする。モンシロチョウとしては共通のチョウで同一に違いないのだが、昔のモンシロチョウと今のモンシロチョウは全く違う存在であることは言うまでもない。鴨長明の「方丈記」は無常観を著していると高校時代に習った記憶がある。チョウトンボやモンシロチョウではその生命力と環境が保持されて、こうした種が存続できていることの素晴らしさや凄さを感じない訳にはいかない。その点で無常観というよりは生命力の継続性の素晴らしさを感じてしまう。
交尾態とメスを奪おうとするオス
その後、真夏に仙台にいる小学校二年生の孫が娘と一緒に天童にセミ捕りにきた。天童市役所の構内や近くの公園にはアブラゼミとミンミンゼミが沢山鳴いていた。近くの木の葉っぱにはそのセミたちの抜け殻がそれこそ佃煮にできる程の量がぶら下がっていた。セミ捕りの後おそばを食べてから原崎沼にトンボ捕りに行った。そこではチョウトンボがユラユラフワフワ飛んでいた。小学生の頃のイメージに較べると、それ程ユラユラフワフワという感じでなく、ある速さで飛んでいたので驚いたことを覚えている。
チョウトンボの一匹が遊歩道に飛んで来たので、私がタモ網をさっと横に動かし掬ってそのチョウトンボを捕まえた。昔取った杵柄というのか、昔からトンボ捕りは上手だった。孫はトンボでもバッタでも捕る時は、網を上から被せて押さえつけるようにして捕まえようとする。それではトンボは上手く捕まえられないのである。タモ網をさっと横に振りながらトンボを一瞬で網に掬いとるのが、トンボとりの技術である。娘が小さい頃はその素早さがもっと早かったらしく、娘に「お父さん、腕(わざ)が衰えたね。」と言われてしまった。その捕まえたチョウトンボを網から出して、トンボの掴み方を孫に教えて、渡してあげた。そうして表の翅の形や色、裏の様子を見てから、孫は逃がすと言って放してやった。私がチョウトンボを直(じか)に掴んだのは、何十年振りのことだった。
翌年の六月初めに原崎沼に写真を撮りに行ったら、「網張の里」の草叢にチョウトンボが一匹止まっていた。多分翅の模様からメスではないかと思われた。私が毎年見かけるチョウトンボは七月の半ば過ぎから八月の上旬までである。お盆過ぎになると全くチョウトンボは見かけなくなる。どのトンボでも羽化し交尾産卵して子孫を繋ぐ時間はそう長くない。なのにこのメスのチョウトンボは、一か月以上も前に成虫になってしまった。これでは子孫を繋げることはできないのではないかと心配してしまった。一週間後に行った時も原崎沼でチョウトンボは全く見かけなかった。あのチョウトンボは子孫をきっと繋げなかったと思う。成虫になる時期が早い個体は結局は淘汰されて同じ時期に成虫になるものだけが子孫を繋いでいくのだろう。
私のチョウトンボのイメージはユラユラフワフワと飛んでいるものだが、原崎沼のチョウトンボは風がない日には割と活発に飛んでいる。ただ風が強い日にはハスの葉の上で風に吹かれて、四枚の翅がそれぞれの方向に揺られて安定していなかった。この翅の動きの柔らかさが、私の持っているイメージのユラユラフワフワを作り出しているのではなかろうか。
「日本のトンボ」(尾園暁 川島逸郎 二橋亮 文一総合出版)のチョウトンボの項目には「生育環境は、平野~丘陵地の、浮葉植物や抽水植物の繁茂した池沼、河川敷の淀みなど。生活史は、卵期間五日~一週間程度、幼虫期間は八か月~一年程度(一年一世代)。幼虫で越冬する。形態は、美しい黒藍色の翅をもつ、チョウのようなトンボ。独特の色調や形から多種と容易に区別できる。オスの翅は青紫色に輝き、メスは翅の着色部が金緑に輝く個体が多いが、オスと同じように青紫色の個体も見られる。備考として、成虫は移動性が強く、浮揚植物や抽水植物があれば都市部の公園の池でも見られることが多い。交尾はメスを見つけたオスはつかみかかって連結し、空中で交尾態となる。交尾中は終始飛び続けることが多いが、数秒間静止することもある。交尾の継続時間は数十秒間程度と短い。またオスの縄張り争いでは、成熟オスは水辺の枝先など止まり縄張りを占有するが、頻繁に巡回飛翔する。縄張り争いは長く激しい。産卵は、メス単独で浮葉植物の多い水面で打水産卵する。交尾直後はオスが警護飛翔することもある。また分布図を見ると、西日本や九州地方では沿岸部、本州でも沿岸部となっている。関東地方や宮城、山形では内陸にも分布している。」と記されている。
上述のように愛知県にも分布しているようだが私は全く見かけていない。どこかで見てみたいものである。産卵しやすい池や沼などを探してみようと考えている。都会化に伴って自然環境が年と共に減少し変化していると思われるので、チョウトンボが子孫を繋ぐことは容易ではないだろうなと思いながら心配してしまうのである。(トンボ目 トンボ科 チョウトンボ属 チョウトンボ)
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