仙台の郊外で小判型の実をつけたイネ科の単子葉植物を見つけた。先端から細い茎が出ていて、穂である小判型の形が重いので結果的に垂れ下がっている。その様子が小判がじゃらじゃら繋がっているようで、初めて見たときにはこんな植物があるのかという感じで吃驚した。初めて見た時のジャイアントパンダのように、白と黒の模様の配置と目の周りが黒い、あたかもケンタウルス(上半身は人間、下半身が馬)のような空想の世界でしか見られない動物に感じたのと同じ驚きだった。
コバンソウ
その後いわきの泉や湯本、天童の短大近くの庭先にも生えているのを見かけた。このコバンソウは明治時代に観賞用で日本にわたってきたが、徐々に生育環境を拡大している。
ヒメコバンソウ
娘が小学校2年の頃、ある偶然から詩のようなものを書きだした。親馬鹿ちゃんりんだがなかなか面白い詩が多かったので、その頃出回り始めた1行しか画面が出ないワープロを打って詩集にしてやった。娘は我が強く親のいう反対をするような子だった。それで私と頻繁にぶつかっていた。私も当時若かったこともあって何度もぶったこともあった。その娘の詩に、詳細は忘れたが「めでたいな、めでたいな、お茶ぶっかけられてめでたいな~」という詩があったことを今でも覚えている。その詩集のタイトルが「コバンソウのうた」だった。私にとってコバンソウがとても印象が強かったからつけたのだが、娘が将来、金持ちになることを期待してつけた訳では全くない。そんなやりあった娘も既に子持ちになり、自分の子育てを私の考えを踏まえてやっている。そうだろうと聞いてもそうだとは全く答えないが、娘とそんなぶつかり合いがあったからこそ、今の私と娘の親子関係ができ上がったのではないかと、私なりに考えている。
この詩集を自宅マンションの書斎の本箱の引き出しに入れておいたが、東日本大震災で自宅マンションは全壊判定となった。大きな被害があったので、私の部屋は足の踏み場がないような状態になり、すべての本棚を処分せざるを得なくなった。それを運び出すのにボランティアの人たちにお願いした。雑然としていた部屋の状況を考えると、本棚の引き出しの中身を確認した上で運び出したとは到底思えず、きっとその時に一緒に持ち出されてしまったに違いないと推測している。
娘の小学2年生の頃の作品であり、私にとっても記念すべきものであったのでとても残念な気持であった。まだ本や資料が沢山あり完全に整理し切れていないので、もしかしたら資料の間から出てくる可能性があるかも知れないと、かすかな希望を持っているところである。
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