山菜採りに夢中になりだしたのは20代の後半だったが、最初はワラビよりはゼンマイに注意が向いていた。タラの芽はそれより後だった。ゼンマイはシダの仲間だと知っていたがどんなものかということは分からなかった。
ゼンマイ その1
仙台の鶴ヶ谷に住む藤坂さん(測量士になりたいというので、算数と数学の家庭教師をした)から、月山近くの渓流の岩魚釣りに行かないかと誘われた。現在の月山新道ができる前でそのための工事をしている西松建設の飯場に泊めてもらって、翌日に釣りに行った。山形駅から鶴岡に抜ける旧国道(112号)を何時間もかけて、バスに揺られながら行ったのだが、志津温泉から多層民家で有名な田麦俣に抜ける途中の飯場だと思うが、今では場所がどの辺りだったか皆目分からない。
藤坂さんは岩魚は用心深いから顔を見せないように釣る必要があると教えてくれた。しかし数日前に雨が降って水量が多くて岩魚を釣るような状況でなかった。何ヶ所も場所を変えたが、結局岩魚は釣れず帰ることになった。帰りのバスで西川町まで出て、今度は別のバスに乗り換えることになった。降りてから山形行きのバスが来るまで1時間以上も時間があった。そのバス停の近くに、神社の階段があって周辺は森のようになっており二人でそこに入るとシダがたくさんあって先端部は丸まっている。これがゼンマイではないかということで、二人でたくさん採ってリュックに詰めたのである。
ゼンマイ その2
仙台に帰ってゼンマイに詳しい人に見せると、これら全てはゼンマイでないと言われた。今から考えると、森のような暗い所にゼンマイは生えないことを知らなかったからだと思う。ゼンマイは、日が当たる田んぼの畦や崖の下に生えており、暗い森には生えない。
こうした経験を経てゼンマイ採りに夢中になった。仙台郊外の泉が岳の麓に行く田んぼの畦や荒れ野の湿地帯に近いところにゼンマイは生えている。株になっていて、そこから何本かの茎が出て先端部が薄緑や茶色で丸まっており、場合によっては茶色の綿を被っている。ゼンマイの生えている様子はとても美しいので写真を撮りたくなる。こうしてゼンマイを採るようになったがその後の処理が難しい。ワラビは採って重曹(じゅうそう)で灰汁(あく)抜きするとすぐ食べられるが、ゼンマイは灰汁が強く簡単には食べられない。ゼンマイを採るとそれを手で揉んでから筵(むしろ)で干して、また揉むのだそうである。乾燥して保存食として使用するのが一般的である。確かに煮しめや和え物に出てくるゼンマイは採ったばかりのものではなく、干したものを水で戻したものが殆どである。でもその舌触りなどはやはり美味しいなと感じさせるる。
ゼンマイを採るようになって普通のゼンマイとは違って、先端部が胞子状になっているゼンマイも見るようになってきた。これはヤマドリゼンマイというのだが最初は分からないので同様に採っていたが、少しずつ違いが分かってきた。
ヤマドリゼンマイかな?
そのうちにゼンマイの先端部が丸まっている部分を被う綿状のものを見るうちに、これらを何かに利用できるのではないかと思うようになった。一応繊維状なのだから、量は少ないが織物などに使えないのかと疑問に思ったのである。
調べてみたら、東北地方では一般的にゼンマイの綿毛を使って織物をしていたことが分かった。ゼンマイを採ってから綿の部分だけを取り出し、取ってごみを除いて天日干しをする。そしてそれに他の繊維を組み合わせて使う。ある場合には、縦糸には綿か絹を、横糸にはゼンマイの糸を使って、布を織る方法がある。また、由利本荘市の天鷺(あまさぎ)村の伝統工芸品の「天鷺ゼンマイ織り」では、ゼンマイの綿毛と白鳥などの羽毛を、絹糸や綿糸に織り込む。そうするとゼンマイの防虫効果、防カビ効果、そして白鳥の羽毛の撥水効果で良い織物ができると書いてあった。始まったのは明治時代だそうである。この例から考えると、ゼンマイの綿毛だけで織物にすることは難しそうである。綿や絹糸に色合いをつける役割をしているだけで、繊維としての強さがないからではないかと思われる。
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