セキレイ

動物編

セキレイは勤務していた短大のグラウンドでも見かけていたし、蟹江周辺の善太川でも沢山見かける。これらのセキレイはどちらもハクセイレイだった。セキレイにはハクセキレイ、キセキレイ、セグロセキレイがいるが、私たちが頻繁に見かけるのは殆どがハクセキレイである。私の経験ではキセキレイは天童の丘陵地帯の原崎沼に行く途中の山の道路で見かけたことがある。ハクセキレイのように運動場や広場で普通には見られない感じがする。その時キセイキレイを車のフロントガラスを通して撮ったのでぼやけてしまった。また体が黒っぽければセグロセキレイだとぼんやり考えていた。善太川のセキレイを見てどう考えても背中が黒っぽくセグロセキレイに違いないと思ったものの実はハクセキレイだったこともある。ハクセキレイは眼のところに嘴から横に一本の黒い線(過眼線)があるが、セグロセキレイは眼の周り全体か眼の下が黒くなっている。そんな違いがあることで一応区別している。でも二羽を見てどちらがハクセキレイでどちらがセグロセキレイかと問われたら、瞬時には答えられないと思う。

 ハクセキレイ

 善太川のハクセキレイは川べりにいることが多く、長い尾羽を上下に振りながら歩いている。どんなものを食べているのか分からなかった。しかし川の堤防を隔てた畑で、農家の人が大きな耕運機で畑の土を掘り返していた。六月になって田植えをする準備の土起こしである。その土起こしをしている傍で他の鳥と一緒に多くのハクセキレイが掘り起こされた土を突いていた。掘りこされた土中の虫、ミミズや昆虫の幼虫等を食べるためだと思われる。それを見てハクセキレイの食性は雑食か肉食ではないかと思った。

 ハクセキレイといえば、新聞やテレビで長く使わない車のエンジンルームのラジエーターの上に巣造りして子育てしているニュースを見たり聞いたりしたことがある。そのニュースではヒナが巣立つまでそのままにしておくと持ち主がコメントしていた。このようにハクセキレイは人間社会の中に溶け込んでいる鳥という感じがする。短大のグランドでもしょっちゅう見かけるので、学生たちにも馴染み深い鳥ではなかろうか。

 サイドミラーをつつくハクセキレイ

 ある時短大の私の部屋から附属幼稚園の駐車場を見ていたら、停まっている自動車のドアの脇のサイドミラーにハクセキレイが止まって鏡に向かって羽ばたいていた。それも何度も何度も繰り返している。よく見るとその鏡に映っている自分の姿を他のハクセキレイと見間違えて敵だと思って攻撃しているような素振りだった。

 そんな光景を見てから何か月か経って今度は短大の駐車場でも、停まっている自動車のサイドミラーに向かってハクセキレイが何度も羽ばたいていた。

 こんな光景を見るとハクセキレイは映っている相手を自分であるという認識はないのではないかと思う。鏡に映る自分を認識できるかという問題は、自分という存在を客観的に知ることを意味している。人間以外にどの程度の知能の動物なら認識できるのだろうか。

 キセキレイ

 「チンパンジー読み書きを習う」(A.Jプリマック 中野尚彦訳 思索社)には、次のような記述がある。「動物が自分の名前を学習したり、『私』という代名詞を覚えるためには、『自分』というものの概念がなければならない。チンパンジーのイオニイは、毎朝自分の体を細部にわたってくまなく調べあげる。そしてひっかき傷とか、小さなゴミとか、汚れた部分とか、ちょっとでも欠点をみつけると、それが本物であろうとなかろうが、ただちに傷跡をなめたりゴミをとったりして毛づくろいを始める。ルディも一歳頃、自分の体にたいへんな興味を示し、熱心に調べあげた。おへそをつついたり、吹き出物とか、その他なんでも興味をそそるところをいじった。はじめて鏡を見たとき、チビさんたちは両方とも、まずほほえんで、ついでに鏡に映っている像にさわろうとした。

 セグロセキレイ

二人とも映っている像の『残りの部分』を探そうと鏡の後に手をのばした。とうとう彼らは、鏡につばを吐きかけて、ひとしきりしかめっつらをやってみせてわめきたて、最後に怒って鏡に映っている像をぶった。しかし、二歳になると、ルディは鏡に映っているやつにつっかかることはしなくなった。鏡の中の自分がわかっているらしい徴候が見えはじめた。ルディは顔を鏡に近づけ、その像にキスをした。そして『だれがいるの』ときかれると、『ルディ』と答えた。~中略~ 鏡の認知について、最近では、G.Gギャラップ・JRがチンパンジーの小屋に全身の映る姿見を常時おいて研究したものがある。初めて鏡を見てから二十時間後、鏡に映っているのは自分自身の姿だということをチンパンジーが理解していると考えられる行動が観察された。チンパンジーの体の、鏡なしでは見えない部分に絵の具を塗っておいたところ、鏡を補助に使ってそれをぬぐいとったのである。これと同じ状況で猿をおいてみても、猿が鏡の像を理解しているという証拠になりそうな行動は、けっして観察されない。類人猿と猿を分かつ相違点はいくらも見つけることができるが、これもまた相違点の一つである」と述べている。この本には、「密林から来た養女」であるヴィキィについても「六歳のヴィキィは鏡の中の自分を調べ、自己認識のあることを示した」と述べられている。

 このような記述から鏡に映った自分を、自分であると認識できるには高い知能が要求されることが分かる。サルといっても色々な種があるので何とも言えないが、ニホンザルでも困難なのだろうか。それを考えるとハクセキレイが何度もサイドミラーを突く行動が学習によって自己認識に至るように変化するとは思えない。そんなことを考えながら、ハクセキレイの行動を微笑みながら眺めたものである。

 「日本の野鳥」(叶内拓哉 安部直哉 上田秀雄 山と渓谷社)のハクセキレイの項目では「漂鳥または留鳥。環境は海岸、河川、農耕地など。行動は繁殖期以外は一羽で生活し、食物の多い場所には何羽も集まることがある。常に尻尾を上下に振りながら歩く。地上にいる昆虫類や水中の昆虫類を採食し、ときどき飛んでいる昆虫類も空中採食する。やや長距離を飛ぶときは波状飛行になる。工場や橋などの建造物の棚や街路樹などを集団でねぐらにする。」と記されている。

 善太川や日光川の土手を歩いていると、必ずといって良いほどハクセキレイを見かける。見慣れてしまったので写真を撮ることも少なくなってしまった。天童では秋になって、ハクセキレイが集団で電線に止まって夜を過ごす光景を何度も見かけたことがある。カラスやムクドリと同様に、秋から冬になって集団で過ごす習性が見られる。集団で過ごすことの利点が何かあるのだろうが今のところ私は分からないままである。(スズメ目 セキレイ科 セキレイ属 ハクセキレイ)

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