カワラバト

蟹江周辺ではカワラバトの群れを見かけることが多い。掘り起こされた畑に降り立ってて餌を啄んでいるのを頻繁に見かけるし、群れのハトの数も多い。これらはドバトとも呼ばれている。善太川の新大井橋の下にはカワラバトの巣があり出入りが激しい。東名阪自動車道の善太川に架かる橋の縁にも、冬になるとシラサギの仲間と離れて沢山のカワラバトが日向ぼっこをしている。

カワラバト その1

 カワラバトの数は天童にいた時に較べるととても多い。NHKの番組でニューヨークの摩天楼が立ち並ぶビルがハヤブサの巣造りに最適で、その狩る獲物には都市に住むカワラバトが狙われているということだった。そして実際に川面に追い込んで狩る映像が流されていた。蟹江周辺のカワラバトの多さから考えると、ハヤブサ等の猛禽類にとっては格好の餌場になると思うが、余りハヤブサは見かけない。どうしてかとても不思議である。

これまでの経験では、繁殖期になるとオスの首の辺りが緑とピンク色の光沢色になり、メスの近くで体を膨らませてク―クーとデモンストレーションを行うのが目につく。そんな光景を小さい時から見ていた。というのはハトとは関わりがあったからである。

名古屋の児玉の東芝社宅は戦後建てられ、二軒長屋が一二棟建っていた。その社宅の真中に広場があり、私たちは社宅の友だちと陣取り合戦や缶蹴りをしたりウマトビをして遊んだものである。私が小学校低学年の頃、中学生の小口さんと久松さんのお兄ちゃんがカワラバトを品種改良した伝書バト(以下 ハト)を飼っていた。社宅の自宅の庭先に掘っ建て小屋のハト小屋を作って育てていた。小屋をつくる材料は隣の西陵商業高校の部室や資材置き場からかっぱらってきたものである。そして小屋の上部に台をつけ、タラップを取り付けてハトが飛んできて小屋の中に入れるようになっていた。私たち下級生は午後に小屋からハトを放して飛ばせて、帰ってきたハトがタラップを押して巣に戻るのを羨望の眼差しで見ていた。お兄ちゃんたちのやっていることを見ながら伝書バトについて色々学ぶことがあった。

 カワラバト その2

学んだことには次のようなものがある。ハトの種類は羽の色で分けていて、茶色い色のチャ、羽の一部が白い羽のサシ、白いハトをハク等と呼んで区別していた。またハトが逃げないように慣れるまで、風切り羽の一部を抜いてしまう。するとその抜かれた羽の部分は時間が経つとまた生えてきてまた飛べるようになる。羽を切って飛べなくするようにはしていなかった。また親に卵を産ませヒナが孵った頃に親を小屋から外に放すと、ヒナがいるのですぐに帰ってくる。だから風切り羽を抜いて飛べなくしておいて、ハトの親を手で掴んで何度もタラップを押して巣に入る練習をさせてから、ヒナが孵った時期に巣から少し離れた屋根に放して台に戻るように何度も何度も繰り返して学習させると効果的なことを知った。

何羽かのハトを午後に巣から放すと、巣の周りの上空を何回も旋回しながら、ある時間が過ぎると屋根に降りて三々五々巣に戻ってくる。ハトを放して飛ばせていると迷いバトやどこかに行こうとしていたハトが、群れる習性から紛れ込んでくる。それらのハトは何回か一緒に旋回しているものの、多くのハトは群れから離れて飛んで行ってしまう。小屋のハトと同じようにタラップを押して入り込むハトもたまにいる。お兄ちゃんたちは喜んでそれを鳥屋に売りに行く。つまり小遣い稼ぎになるのだ。

ヒナが生まれると鳥屋で買ってきた足環をヒナの肢につける。ヒナの時には上手く嵌められるがその後は嵌められない。自分所属のハトだという証明になると言っていた。どこかに飛んで行ってその足輪の所有者を探し出すことは殆ど不可能だろうから、そのハトが飼い主に戻ってくることはないと思うが、足環を嵌める理由はそんな理屈だったように思う。ハト小屋には何羽かの番いのハトがいるから、石膏で作られたハト用の巣を小屋の中に何段かずつ置いていた。当時はお兄ちゃんたちのそんなハトの飼育を羨ましく見ていたのである。

私もハトを飼いたくて親にねだってハトを一羽買って貰った。狭い小さいハト小屋で一か月位餌をやっていた。そこに台を取り付けタラップを作ってハトが戻れるようにした。私は外に放したらまた帰ってくると信じていた。ハトを飼う醍醐味は放したハトが小屋に戻って来ることである。とうとう我慢できずにそのハトを放してみたら、そのハトは旋回もせずにそのままどこかに飛んで行ってしまった。考えてみればこんな狭い小屋に閉じ込められていたら早く逃れたいと思うのは当然だろう。しかも小屋にヒナがいる等の帰る必然性は全くない。解放されて飛んで行ったのだろうと思う。その当時の私はそうしたハトの思いを感じることができないほど幼かったのだと、今から考えると思う。

今でも家が広く周りに糞の被害を与えなければ、ハトを飼ってみたいものだと思っている。新沼謙治はハトを飼育していると聞いたことがある。そしてハトレースにも参加しているとのことで羨ましいと思う。

  カワラバト その3

昔テレビで福岡から東京までのハトレースの番組があった。その際ヘリコプターでそのハトの一部を追跡していた。ハトは福岡までハト専用のトラックで運び、その一匹ずつ入っている駕籠をその場所で一斉に開けて放す。するとそのハトたちは上空で数回旋回してから一目散に東京方面に向かって飛んでいった。恐らく二四時間以内に巣に帰ると思われるが、放された場所から自分の巣までの方位がどうして分かるのかとても不思議である。帰巣本能と言ってしまえば簡単だが地磁気や太陽高度等で方位を決定できるのだろうか。これはミツバチや鮭の帰巣と同じ仕組みかどうかはっきりしないが、目的地を設定できそこへ飛んでいこうとする能力があることは間違いない。その放たれたハトを追いかけていたが、そのハトたちは途中に飛んでいるハトの群れに混じることなく、一直線に東京方面へ飛んで行った。そうした特性が強いハトが伝書バトとして品種改良されてきたのだろう。

NHKの番組でスペインからフランスまでの伝書鳩レースの番組を視た。一〇〇〇キロ近い距離を飛ぶ国際ハトレースである。その間ピレネー山脈の最高峰のアネト山(三四〇四メートル)やボセッツ峰(三三七五メートル)近くの山脈を越えていく。この山脈越えがレースの最大の難所である。ハトレースに参加させるハトの所有者は、そのハトレースに優勝するために色々な工夫をしていた。まずハトの血統を重んじて、これまで入賞したオスとメスをかけ合わせて生まれた雛を育てて、その成鳥になった鳥を選ぶとか、番いになって仲良くなっているオスとメスを数日間離しておいてレース直前に一緒にさせておくとか、またヒナを産んで世話をしている親を参加させるとか、色々な戦略を立ててレースに出していた。血統を重んじるのは競馬でも行われていることと同じである。番いのオスとメスの関わりやヒナへの関わりを利用するのは、言ってみれば心理的な働きを利用して帰巣本能をより強める作戦だろう。恐らく日本のハトレースよりはピレネー山脈を越える困難さと猛禽類等の天敵からの危険性を考えると、ハトにとっては生死に関わる程の難しいレースに違いない。そのテレビを見てそんな感慨を持った。

蟹江周辺のカワラバトは自由で良いなと思うが、善太川の新大井橋下の巣には産卵時期になると、カラスがやってきてじっと巣を伺っている。巣の中にある卵を狙っているのである。そのカワラバトの卵の殻が土手の道に散乱していることもあるし羽が散乱していることもある。一見するとのんびりそうに見えるカワラバトにも天敵や生きるための危険があることを知った。野生動物が生き延びることは、我々が考えている以上に大変なのだろうなと思ったものである。(ハト目 ハト科 カワラバト属 カワラバト)

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