カッコウ

天童周辺ではカッコウが毎年五月二〇日頃にやってくる。その期日は驚くほど正確でカレンダーを見てやって来るのかと思う程である。東南アジアから夏を過ごし繁殖のために日本に渡って来るのだ。

天童市内で見かけたカッコウ

 短大のテレビアンテナに止まって「カッコウ、カッコウ」と鳴いているのを聞くと、初夏の兆しを感じる。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と詠われるように、カッコウとホトトギスは同じカッコウ目の鳥である。ホトトギスはヒヨドリ大の大きさで「テッペンカケタカ」と鳴くというが、山に入って鳴いているのを聞くと「キョッキョ、キョキョキョー」としか聞こえない。でもこの鳴き声を聞くと夏が来たんだなあと思うから不思議である。

 天童市内には何羽かのカッコウが来るが、朝方外が明るくなると「カッコウ、カッコウ」と鳴き始める。近くの電柱で鳴いているとうるさくて安眠妨害になる。そんな時はカッコウの写真を撮るために早速起き出して、アパートの戸を開けて(部屋は二階)外廊下に出て、西側の畑の周りの電柱を調べる。カッコウのオスは背を低くして尾羽を立てて、懸命に羽を広げて鳴いている。カメラの望遠でそれを撮ろうとするが結局は良い写真は撮れなかった。

カッコウ、ホトトギス、ツツドリなどは托卵する鳥である。自分でヒナを育てずに他の鳥の巣に卵を産んで、その卵が孵ってヒナになり、本来の鳥のヒナや卵を巣から追い落としてその親を独占してしまうのである。

NHKの「日本動物記」では、千曲川で托卵するカッコウの様子を放映していた。それによると、千曲川のヨシ原に巣を作っているオオヨシキリの巣にカッコウのメスが托卵する。近くの木の枝に平行になって何時間もじっと身を伏せている。オオヨシキリが巣から離れた瞬間、飛んでいって巣の縁に捉まって巣の中の卵を一個咥えて飲み込んで、巣に尻を向けてかがんで産卵していた。その間数秒の出来事だった。

カッコウのヒナはオオヨシキリのヒナより数日早く孵化するという。まだ眼が見えないカッコウのヒナは、窪んだ背中に乗るものすべて(ほとんどはオオヨシキリの卵)を巣から押し出し落とそうとする。オオヨシキリの巣はやや壺状の巣だが、それでも必死になって押し出そうとしていた。それが一回で上手くいくとは限らず、何回もそれを繰り返す。自分も巣の縁に捉まって押し出すのだが、殆どカッコウのヒナも落ちそうになる場面があった。巣に戻ったカッコウのヒナは肩で息をしていた。命懸けの作業と言えるのではないかと思う。

そんな行動によってオオヨシキリの親をカッコウのヒナが独占してしまう。その背中に乗るものを巣の外に押し出そうとする行動は三~四日すると消失するという。生得的に仕組まれているのだろう。

カッコウのヒナにオオヨシキリの親は、我が子のように餌を与え続ける。ただ面白いことに、カッコウのメスが托卵して被害を受け続けているオオヨシキリは、カッコウのメスの模型には攻撃をしかけるが、キジバトのメスの模型には全く攻撃しない。オオヨシキリはカッコウに托卵されることを知っていて避ける行動を採ろうとしている。しかし托卵されたヒナを育ててしまうという矛盾した行動をとっている。

托卵され巣に卵がある(刺激)と温めてしまいたくなる(反応)ことと、孵ったカッコウのヒナの大きな赤い喉の色の強い刺激(ある意味の超正常刺激)を見ると、餌を与え続けたくなる(反応)という行動の連鎖が起こってしまう。オオヨシキリがカッコウを攻撃するという学習能力があることと、カッコウの卵を抱きヒナに餌を与え続ける生得的な行動とが一貫性を持たずに混在してしまっているのだ。

オオヨシキリに拒否されているカッコウは、そこでオナガに托卵するようになったという。オナガはカラスの仲間だがこれまで托卵されてこなかったから、カッコウに簡単に托卵されてしまう。放映場面では、そのオナガの巣には、別々のカッコウが托卵して、二羽のヒナが孵った。その前に孵ったヒナが背中のくぼみに触ったオナガの卵を巣から落とそうとするが、その卵が巣から落ちないで巣の縁に押しやられていた。その自分の卵を見てもオナガの親はその卵を巣の中に戻そうとはしなかった。オナガの卵を温める行動にも融通がきかないリジットな側面が見られた。

  盛んに鳴くカッコウのオスと見守るメス

オナガの巣のカッコウの二羽のヒナは、それぞれが相手を巣から落とそうと必死の攻防を行っていた。オナガの親の腹の下でもぞもぞと闘うカッコウのヒナたちの行動をオナガの親はきょとんとして見ていたのが印象的だった。何かおかしなことが起こっているのだがその意味を理解できないという風情である。この行動からオナガの親の行動も生得的な仕組みに左右されていると言って良いだろう。

この「日本動物記」のカッコウの托卵を学生たちに視聴させ感想を書かせると、必ずカッコウはずるい奴だとか、悪い鳥だという意見がかなりの数見られる。私がカッコウの托卵はそれなりの進化による適応的な行動だと話しても、人間に見られる善悪の価値観でカッコウの行動を判断してしまうのである。

ところで「カッコウ、カッコウ」と鳴いているのはオスで、自分の縄張りを主張するのとメスに対するアピールだと思われるが、オスが鳴いている場面しか見たことがなかった。

  鳴いているカッコウのオスの近くにきたメス

六月初旬にカッコウのオスが鳴いている近くのテレビアンテナの上に、メスだと思われるカッコウが飛んできて止まっているを見かけた。鳴いているのをじっと見ている。擬人的に言えば、オスのカッコウの鳴いている姿は私から見るとかなりセクシーな感じがする。背を低くして尾羽を立てて、羽を広げて鳴いている姿はセックスアピール十分だと感じられる。一生懸命鳴いているオスを見ていたメスは、その後飛んでいってしまった。好みに合わなかったらしい。「カッコウ、カッコウ」と聞くと初夏を感じたりする我々とは違って、カッコウのオスにとって繁殖できるかどうかの必死の鳴き声なのである。

看護学院で心理学を教えていた時、カッコウの托卵の映像を見せる前に水禽(すいきん)類の刷り込みの学習をしていた。学生の一人が講義後教壇にやって来て、カッコウには刷り込み学習が起こらないのかと質問を受けた。その時まで別々の問題と考えていたので、その質問を受けた瞬間、その関連性の重要さに気がついた。

刷り込みは主にカモやガンなどの水禽類に多く見られる学習である。初めて見たものの後を追尾する行動ばかりでなく、その種に属するという学習もしてしまう。カッコウは色々な鳥に托卵するが、ヒナは育ての親の種に属するという学習が起こらない。しかも自分がカッコウだという自己認識をどこで学ぶのだろうか。とても不思議である。刷り込み学習の対極にカッコウの托卵があると考えることができる。カッコウの托卵行動と刷り込み学習について、どういう条件で自己認識や種の認識を持つようになるかを理論的かつ実験的に解明することができたらノーベル賞ものだよと、学生たちに言ってきたものである。その位重要な意味がある問題ではなかろうか。(カッコウ目 カッコウ科 カッコウ属 カッコウ)

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