オニヤンマ

オニヤンマはギンヤンマ程親しくないが、それでも山沿いの林道や山道を歩いていると、近くをオニヤンマが行き来するのを見かける。先まで行って引き返してくる。私がいるとその道から脇に少しはみ出て避けながら飛んで行く。私が待っているとまたこちらに飛んで来るのを繰り返す。

 原崎沼の「網張の里」は沼の周りを取り巻く遊歩道の一角の草叢で、そこには季節ごとの野草が咲いている。人が植えた訳ではないが咲く時期が異なるので、結果的に季節ごとの棲み分けをしている。その草叢の奥から縁(ふち)に沿って、二手に分かれて細い谷川がちょろちょろと流れている。初夏その草叢に植物の写真を撮りに行ったら、その狭く浅い谷川に数匹のオニヤンマが、川の幅に沿って行ったり来たりしていた。数匹いるので谷川の上で出会うと、二匹は絡み合って空中に舞い上がって、そのうち一匹は戻ってくるが、もう一匹は戻って来ない。戻って来ないオニヤンマは、それでも少し経つとまたやって来る。そうして追いつ追われつがまた始まる。縄張り争いと関係があるのではないかと思う。谷川の水面すれすれを何度も行ったり来たりするのは、ギンヤンマと同様に縄張りを守るのとメスが来るのを待っている行動だろう。

  オニヤンマ

 私はこれまでトンボというと止まる時は竿の先や木の枝に水平に止まるものだとずっと思っていた。それはシオカラトンボやアカトンボがそうだったからである。またギンヤンマのオスは四六時中縄張りのテリトリー内を飛びながら監視している。例えば橋と橋の間の川を行ったり来たりしながら飛び続けている。これまで私はオスが止まっているのを見たことがなかった。メスと連結している時は水面に平行か、茎などに縦に止まることがあるが、それらは産卵しやすい体勢だからだと考えていた。

  オニヤンマが止まる そして産卵風景(ぼやけているけど)

山に入って植物の写真を撮っているうちにオニヤンマが止まっているのを見かけて写真を撮った。オニヤンマはススキの葉先にぶら下がるようにして止まっていた。また原崎沼の遊歩道でも偶然オニヤンマを見かけたが、その時もクズの葉の茎にぶら下がって止まっていた。オニヤンマはぶら下がって止まるようなのである。先日岐阜県海津市南濃町の津屋川のハリヨ橋から遠くないハリヨ公園に行った時に、疲れた様子(?)のギンヤンマのオスが、オニヤンマと同じようにぶら下がって止まっていた。どうもヤンマの仲間はこうした止まり方をするらしい。

  ギンヤンマがとまる

 ところがウチワヤンマは枝の先に水平に止まる。実際はヤンマという名前がついているもののサナエトンボ科のトンボであり、ギンヤンマやオニヤンマのようなヤンマ科の仲間と種類が違っている。またシオカラトンボ、アカトンボ、コシアキトンボはトンボ科に入るので、これらは枝に水平に止まる仲間である。

  ウチワヤンマがとまる

 数年前の夏に孫が娘と一緒に山形に遊びに来た。セミ捕りをした後に高瀬の先の村山高瀬川支流に水遊びに行った。そこは街にはない清流が流れていた。石がごろごろしている谷川にカワトンボが飛んでいた。それを追いかけてタモ網で捕ったりしていると、近くでオニヤンマが飛んで来た。私が見ているとそのオニヤンマは水面に直立しながら水中に尻尾を入れたり出したりしていた。このオニヤンマのメスの産卵の様子を見て吃驚した。アカトンボにしてもシオカラトンボにしても尻尾で水面を叩きながら産卵するか、ギンヤンマのように繋がりながら、水中の植物の茎に産卵する姿しか見ていなかった。これまで垂直に立ちながら、何度も尻尾を水中に突っ込んで産卵する姿を見たことがなかったのである。それを見て私はトンボに関してシオカラトンボやギンヤンマの習性を一般化し過ぎていたかもと感じたのである。

 高瀬から紅花トンネルに抜ける道路のトンネル入り口の駐車場に車を停めて、谷川沿いの南に向かう林道に入った。動植物の写真を撮りながらぶらぶら歩いて行った。その季節の野草や小動物に出会うことができるからである。趣味といえば趣味なのだが短大の仕事のストレス解消のためと、もともと小さい頃からそれらに興味があり遊んだこと、そして教材研究の意味もあって、暇があると出かけていた。それは六月半ばだった。

 ぶらぶら歩いて行くと植物ではアザミ、マムシグサ、フタリシズカ、イラクサ、ウワバミソウ(ミズ)が見られた。そんな植物の写真を撮りながらどんどん先に進んでいくと、開けた草叢になって石だらけの道になっていた。するとそこにオニヤンマのようなトンボが、石ころの道路に止まっていた。一瞬オニヤンマではないかと考えたが、オニヤンマはこんな石ころの道路上に止まる訳はない。多くは草叢の葉先や木々の枝にぶら下がって止まる筈なのでオニヤンマではないと考えた。そこで考えられるのはサナエトンボ科のコオニヤンマではないかと考えた。家に帰ってパソコンに取り込んで見てみたら、複眼の二つが接近していないで隙間があることから、サナエトンボ科のトンボであることは確かだった。ところが頭が体に較べて小さいことや六本脚の三列目の肢が長いという特徴を、そのトンボの画像からは確認することができなかった。

 その後六月末に定点観測地である原崎沼の「網張の里」に出かけたとき、草叢の草の上にオニヤンマらしいトンボが止まっていた。こんな所にオニヤンマがこんな状態で止まっているのはおかしいと思いながら、シャッターを何回も押して写真を撮った。写真を撮っている時、体は見えるのにその頭が草叢の中に入り込んで写っていない。胴体だけが写っていて違和感があったが、目の錯覚に違いないと思いながらもシャッターを押し続けた。頭が草陰に隠れて見えなかっただけだったのだが、こんな経験は初めてだった。

  コオニヤンマがとまる

 家に帰ってパソコンに取り込んで拡大してみたが、やっぱり頭の部分がはっきりと写っていなかった。それでも草陰に写っている頭の頭部の様子から、その複眼が離れていること、そしてその間に突起状のものが見られるので、コオニヤンマに違いないと判断した。こうしてオニヤンマとコオニヤンマの違いが分かって、ひとまずそれぞれを同定できるようになった。そこで紅花トンネルから入った林道で見かけてトンボは、サナエトンボ科の何だろうと今考え中である。図鑑にはコオニヤンマと似たトンボもいてはっきりと同定できないものの、オナガサナエのメスではないかとも考えている。

 ところがこれまでオニヤンマだと思って撮っていた写真を整理している中に、コオニヤンマの写真があった。原崎沼のハスの花の蕾の天辺に止まっていた。頭が小さく六本脚の三列目の脚が長いのである。割と綺麗に撮れている写真だった。それを見つけた時とても嬉しかったことを覚えている。

 トンボにしろチョウにしろ本当に似たものがいる。そんな微妙な違いは相同的な違いなのだろうが、自然がこんなにも色々な種類を作り出していることに驚嘆してしまう。人間社会だけの問題だけを斟酌する私たちの多くは、もっと自然の造形の微妙さやその素晴らしさを学ぶべきでないかと思う。

 トンボといえば、昔から「勝虫」と呼ばれて戦国時代には兜(かぶと)や刀の鍔(つば)の意匠に使われていた。それはトンボが前にしか進まないことから、退却しないで前進あるのみという勇猛心を奮い立たせることによるものである。その結果、勝利に導かれるという言霊信仰にも依存しているのだろう。その縁起が良いと思われるようになったのは、雄略天皇が狩りに出かけた時、アブに刺されたのをトンボが咥えて飛び去ったことに由来する。

 前に勤めていた短大ではアメリカから留学生が来ていたので、私はアリ、トンボやワシの絵を描くようにお願いしたことがあった。トンボについては日本と違って良い意味はなく逆に悪い意味だとの話だった。トンボは英語で「ドラゴンフライ」というが、ドラゴンという意味が良くないのだろうか。

 古くは日本を「秋津島」(あきつしま)と呼んでいた。その「あきつ(蜻蛉)」はトンボの意味もある。広辞苑の「あきず(つ)」の項で、「神武天皇が大和国の山上から国見をして『蜻蛉の臀呫(となめ)の如し』と言った伝説がある」と記されている。日本の形(その当時は本州)がトンボの姿に似ていることによると言われている。

 また谷村新司の「忘れないで」の歌詞に、トンボのことをアキツ(蜻蛉)と呼んでいた。アキツという言葉で、歌詞の意味が情緒的に深くなるように思う。トンボよりはアキツの方が風情を感じるのはどうしてだろう。トンボは昔から私たちの生活に深く関係し合っていたことを示している証なのだろう。トンボを見かけるとなぜか愛しく感じてしまう自分がいるのはとても不思議である。(トンボ目 オニヤンマ科 オニヤンマ属 オニヤンマ)

                            

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