五月半ば過ぎに天童のアパートからジャガラモガラに行こうと車を走らせていた。山沿いの道の周りはリンゴやスモモの果樹園になっている。途中で車を停めて、面白い植物がないかと見回しながら写真を撮っていた。畑の放棄地にはワラビが出ていたので、写真を撮って何本かを採取した。採ったワラビは家に帰って重曹で灰汁(あく)抜きして、酒の肴にするのがいつものことだった。
奥の畑と草叢の方に入って行くと、これまで見たことのない翅は白いが黒い筋が入っているチョウを見かけた。モンシロチョウの中には少し黒い筋が入っているチョウを見たことはあったが、こんなに鮮明に黒い筋が入っているチョウは見たことがなかった。そのチョウの翅はなぜか薄い硫酸紙のような半透明だった。そのチョウの胴体の黄橙色は毒々しい感じがする上に、その胴体とその周りにも毛が生えている。モンシロチョウに較べると少し大きい感じで、一見するとガのようにも見えた。でも飛び方は明らかにチョウそのもので、モンシロチョウと同じ飛び方をしていた。近くに別の個体もいて草叢のあちこちを飛び交っていた。
ウスバシロチョウ その1
五月末になって東根市の沼沢地区に写真を撮りに出かけた。そこは国道四八号線の仙台方面に行く道から右手に曲がって入り込んだ地区である。そこは奥羽山系に繋がっている麓の部落である。その地区はいくつかの集落が点在するが、その奥の山沿いに墓地がある。その墓地の広場に車を停めて南の方角に向かう山道を歩いて行った。
車を停めてから歩きだしても誰とも会わなかった。これはいつものことである。名古屋に住んでいた頃は森の中に入ると必ず人に出会ったものである。それが普通だと思っていたが、東北では山に入ると全く人に会わないことが多い。一番怖いのがクマに出会うことであり、それも子連れのクマなら尚更である。そんな危機感を持ちながらいつも山道を歩いて行く。その山道を歩いて行くとフタリシズカ、オドリコソウ等が咲いていた。その写真を撮りながら歩いているとヒメジョオンかハルジオンか不明だが、その花に先日見かけたチョウが止まって蜜を吸っていた。中には交尾中だと思われるチョウもいた。他にも同じチョウが何匹か頻繁に花から花へ移動しながら飛んでいく。しばらくするとまた戻って来るを繰り返していた。多分オスがメスを探して交尾する機会を狙っているのだろう。どの種でも同じだが、こうした光景を見ると種を繋ぐことが大変な作業であることを実感する。
山道を奥まで進んでいく途中で、キツツキが木を突いている音を聞いたり、春ゼミのセミしぐれの声を聞いたりしながら写真を撮った。一時間半程経ってその山道を戻ってきた。その帰りの途中でまたこのチョウがいた。そこでまた写真を撮った。
二か所で見かけたチョウはどんな名前のチョウなのか調べてみたら、ウスバシロチョウだった。岐阜大学の昆虫生態学研究室の資料によれば、このチョウはウスバアゲハとも言われ、モンシロチョウではなくアゲハチョウの仲間だと記されていた。また「半透明の白い翅を持つ美しい蝶で、岐阜県下では、東濃地方を除く広い地域に生息しています。本種は年に一回、レンゲやツツジが咲く頃に成虫が発生します。~中略~ この蝶は、幼虫の餌となるムラサキケマンやジロボウエンゴサク(ともにケシ科)の生える草原や路傍に生息し、岐阜県では四月下旬から六月上旬に成虫が羽化します。成虫の発生時期は標高などで大きくずれますが、発生時期の二~三週間程度の間には、至るところで成虫の乱舞が見られます。交尾を済ませた雌は、食草付近の枯れ草などに卵を産み付けます。産卵された卵はそのまま夏・秋を過ごし、年明けの一月下旬~三月上旬頃に孵化します。厳寒期に孵化した幼虫は、食草の芽をかじりながらゆっくりと生長し、老熟した幼虫は地表や石の下などで蛹化し、次いで羽化します。この蝶の特徴は、交尾を終えた雌の腹端に『交尾付属物』と呼ばれる付属物を雄が分泌します。交尾後の雌が付属物をつけられる意義はまだ明確になっていませんが、メスが何回も交尾するのを防ぐためであると言われています。また幼虫が石の上で日向ぼっこをすること、蛹が蛾のように繭を張るなど、蝶としては珍しい習性を数多く持っています。」と記されている。
ウスバシロチョウ その2
天童周辺では、幼虫の食草としてムラサキケマン、ミヤマキケマン、ミチノクエンゴサク、ヤマエンゴサク等のケシ科の花が丘沿いに沢山咲いている。岐阜県に咲くというジロボウエンゴサクは見たことはないが、ケシ科の仲間の植物がウスバシロチョウの食草だということは納得できた。また面白いのは蛹を作る時に繭を張るという習性だが、胴体の少しけばけばしい特徴からすると、ガとチョウに分かれる系統進化の間に位置づけられるのかも知れないなあと思ってしまった。
ところでメスが交尾後に「交尾付属物」を付けられるのは、オス側の戦略なのだろうがとても面白い現象である。チョウの仲間では、一度交尾したメスは他のオスが交尾しに来ると、尾を下げたり上げたりして交尾を拒否すると言われている。
ウスバシロチョウのオスがメスに付着させる行為から、昔読んだムササビの交尾のことを思い出した。ムササビのオスはメスと交尾すると、メスの陰部に交尾栓という栓をするという。その部分を「新釈どうぶつ読本」(別冊宝島一一九 川道武夫担当分)で改めて見てみると、「交尾後にメスの陰部につめられた白い栓(交尾栓)がしばしばみられる。この栓はオスがつめたもので、射精後に精液と同じく尿道口から送り込んだものである。この栓物質は肛門の両側にある直径三センチの丸い腺で作られる。~中略~ 栓はちょうど『わらび餅』くらいの硬さなので、次のオスは栓があっても挿入できる。しかも前のオスがつめた交尾栓は、たいてい次のオスの第一回目の交尾のときに抜きだされる。~中略~ ところが、後のオスは交尾栓だけでなく、精液までもしばしば抜きとる。精液も射精後、メスの体内ですぐ固まる。(最短時間で十一分後には固まっている)。精液の塊は交尾栓より硬く、石鹸くらいの硬さである。精液の塊は半球状をしているので、膣の最奥部にあったものらしい。固まった精子はたぶん第二の栓として子宮口の入り口をブロックしているのだろう。すると、交尾栓はどんな役割を果たしているのだろうか。まず、交尾は垂直の幹で行うので、射精直後の精液の流出を防ぐ効果があるだろう。次に、交尾栓物質は液状の精液を膣の最奥部まで押しやるポンプの役割を果たすだろう。また交尾栓は多量にメスの体内に残されるので、次のオスが完全に抜かないで一部が残れば、次のオスの精子は栓によって阻止されるかもしれない。交尾栓のもっとも重要な役割がポンプ説とすると、交尾栓は次のオスが挿入できないほど硬くなる必要はなく、むしろ練り歯磨きをしぼり出すように膣をびっしり埋めるような可塑性があった方が、液状の精液を奥へ押しやるのに都合がよいだろう。」と記されている。
自分の精子をメスに残し子孫を繋げることが、動物のオスにとっての生きる価値であり使命なのだろうか。もし神がいればどんな精子と卵子であっても、ムササビという種が繋がっていけば良い筈だから、そのムササビの種レベルではなく個体レベルで自分の種を繋ぐための戦略をもって闘わせるのは、神のちょっとした遊び心のような気がしてならない。
ミヤマシロチョウ
山道を戻ってきた時に、ウスバシロチョウだと思っていたチョウの中に、姿が似ている少し小さめのチョウがいた。そのチョウも調べてみたらミヤマシロチョウだった。翅の根元に黄斑があることが特徴である。かなり希少なチョウだと記されていた。まだそんなチョウが東北のこの地域には生存しているのだなあと感慨深く感じたものである。(チョウ目 アゲハチョウ科 ウスバシロチョウ属 ウスバシロチョウ)
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