サトウキビと言えば、NHKのみんなの歌で「サトウキビ畑」(森山良子 歌)が歌われて、太平洋戦争の沖縄戦と絡んで反戦歌として知られている。
サトウキビ畑 その1
サトウキビは砂糖を採るために植えられているが、世界の生産量の多い国を挙げてみると、ブラジル、インド、中国、タイと続いており、ブラジルが40,000万トンであるのに対し日本では82万トンで500分の1に過ぎない。それでも日本国内では主に沖縄周辺の島々で生産されており、沖縄といえばサトウキビと連想するほどである。
私のサトウキビ体験といえば、小学生の頃、夏休みのおやつでサトウキビの茎を齧ったものである。サトウキビは節になっていて、とにかく齧っているとだんだん甘い汁が出てくるので、ちゅうちゅうそれを吸ったのだった。母がどんな経路で手に入れたのか分からないが、八百屋で売っていたのではなかろうか。名古屋には沖縄辺りのサトウキビが運ばれて売られていたのではないかと思う。サトウキビの茎は固くて竹のような感じで、すぐ噛み解せる(かみほぐせる)訳でなく、なかなか手ごわかった記憶がある。それでも挑戦しているとだんだんサトウキビの繊維がほぐれて、噛むと甘さを感じるようになる。その当時は甘いものが十分になかった時代で、子どもたちはサッカリンなどの人口甘味料の他に甘いものを自分が挑戦して手に入れる、そんな時代だったように思う。
サトウキビ畑 その2
その時に食べたサトウキビは節ごとに切ってあったように記憶している。サトウキビの葉っぱは小さい時に見たことはない。きっとイネ科だからトウモロコシと同じような葉っぱではないかと推定している。いつか直に植わっているサトウキビ畑を見てみたいものである。おやつのサトウキビを齧っているうちにだんだんと疲れてきて、最後はそれを放り出すことになる。最後まで十分に味わい切った経験はない。
仙台の人間開発センターで、教材開発のためのバウハウスで宮城教育大学の先生だった高橋金三郎さんが、小学生相手にサトウキビを使って砂糖を取り出す活動をさせたことがあった。その際に、まず金槌などでサトウキビをバラバラにさせたあと、それを水に入れた鍋で煮た。煮た後にサトウキビの残骸と水分の部分を分けて、水分の部分を火で煮立てて乾燥させたのである。乾燥してきて水分が少なくなると、だんだんと甘い香りが漂って砂糖ができるという訳である。子どもたちは、ただサトウキビを切ったり叩いたりするだけで、結果的に出来上がるので割りと喜んでやっていた。
沖縄での砂糖を取り出す工程は最初にサトウキビの茎を洗ってから、搾り機でその茎を押し絞って液を取り出し、それを鍋で煮詰める。絞った後のサトウキビにも砂糖の成分が残っている筈だから、それからも砂糖を採る工夫がなされているのだろうか。それでも搾りとった茎は、きっと細かくして、牛や豚などの飼料にしたり肥料にしたりするのではなかろうか。バウハウスでの活動は、溶解の原理の学習だったと思う。水などに溶かして、必要なものを取り出す作業の学習だったのだと思う。
私が小学生の頃、夏休みに食べたサトウキビを、齧りつかれると捨ててしまっていたが、今になると砕いて煮詰めて、砂糖水を作っていたらなぁと後悔しているところである。
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