高校の生物の授業で今でも印象深く覚えていることがある。生物は担任の村井先生だった。最初の時間にはソメイヨシノの花を持ってきて形態的な特徴を説明してくれた。
アラブ系か サラブレッドか不明
その村井先生がある時、面白い話を授業中に聞かせてくれた。それは第二次世界大戦の時、ある夫婦のご主人が満州に出征して行ったそうである。ご主人が留守の間に奥さんの腹が大きくなってきた。とてもご主人の子どもとは思えない。その家では大きなオスイヌを飼っていて、世間ではその奥さんの大きな腹の原因はオスイヌとの間の子ではないかという風評が立ったそうである。村井先生は当時学生で、それを見に行ったという話だった。その産まれた子どもが、どんな姿をしていたかについては教えて貰えなった。私はその授業を聞いて、人間とイヌの間の子どもとはどんな姿をしているのだろうかと真剣に考えた。今になってみると、村井先生が冗談でそんな話をしたのか、本当に信じて話してくれたのかは分からない。でも私にとって「種」というものを考えるきっかけになったような気がする。当然のことながら、生まれてきた子供は人間の姿であろうことは間違いがない。
小型馬(ファラベラ種)
大学に入ってから種の定義の一つとして、同じ種なら子供ができ、その子どもがまた子どもを産んで子孫を作っていかれる時、同じ種であるというのを読んだことがある。現代の日本人とアフリカやニューギニアの原住民との間に子どもができると思われるので、同じヒトという種に入ることになる。一見するととても同じようには見えなくても子孫を作り続けることができれば同じ種なのである。
でも考えてみるとチンパンジーと人間の間にも多くの共通の遺伝子があると言われている。しかし今では両者間に子どもはできない。染色体数は人間が四六個、チンパンジーが四八個であることを始め、精子と卵子が接合する時の卵子の外側を覆っているゼリーを溶かす酵素がチンパンジーの精子にはない。また体を構成していく設計図が違っていることから子どもはできないという。何百万年前には人間の祖先とチンパンジーの祖先は同じ祖先だった可能性がある。その後別れてまもなくは、近隣で生活し似た遺伝子だから子どもを作ることも可能だったのかもしれない。
同じことがホモサピエンスである現代人とネアンデルタール人との間の遺伝子にも一~四%程の共通部分があると言われている。その時代には両種が共に生きて住んでいたが、だんだんとその生活場所が異なってきた。ネアンデルタール人は大柄で鼻筋が通っている種で山沿いに残ったが、ホモサピエンスの方はイヌを友とし、ある時はイヌを食料としながら草原に出ていった。それが環境適応という点でホモサピエンスが繁栄する原因になったのではないかという仮説がある。だからある時代には共通の場所で交流し、両種間の子孫も生まれた可能性があり、それが今の私たちの遺伝子の中にネアンデルタール人の痕跡として残っているのではないかと思われる。その年月はチンパンジーとヒトが分かれるよりは最近なので、もしネアンデルタール人が今でも生存したとすれば両種の子孫が生まれてくる可能性はチンパンジーの場合よりはあるかもしれない。
この種の定義によればオスライオンとメスのヒョウの間のレオポン、オスのロバとメスのウマの間のラバ、オスライオンとメスタイガーの間のライガー、シマウマとウマの間のゼブロイド等は、子どもはできるがその次の子どもができないので同じ種だとは言えないということになる。
動物行動学では同じようなチョウであっても交雑が起こらないのは何故なのか。交尾に至るまでの儀式(行動系列)異なるからだと言われている。モンシロチョウやモンキチョウは同じ場所にいながら、交雑が起こらないのもそうしたことによると考えられている。ハイイロジャノメチョウの交尾行動をティンバーゲンの紹介例で示してみると、「オスは、地上や木の幹にとまっており、他のチョウが通り過ぎると舞い上がって追いかける。相手が成熟したメスだと地上に降りる。オスはメスの後方に降りてから歩いてメスの正面へまわり向き合う。メスが拒否的行動をとらなければ、オスは求愛行動にとりかかる。翅を上下に数回急速に動かし、体を持ち上げ前翅にある蛇の目の紋がメスに見える位置で羽をリズミカルに開閉し、触覚を波うたせる。それから前翅を広げて体を持ち上げる。続いてオスは広げた前翅を閉じるが、メスの触覚はオスの前翅の間にしっかりとはさまれる。一秒ほどでオスはメスの触覚をはなして翅をたたみ、足早にメスの後方へまわり、腹端をメスの交尾器に接して交尾する。オスがメスの触覚を翅の間にはさみこんだとき、このチョウに特有のにおいをメスがかぐのである」という行動系列となっている。このオスとメスの行動系列は他のチョウでは異なるので、交雑は起こらないと考えられる。
数年前からカモの写真を撮るようになって、越冬するカモたちは色々な種類が混在しながら川や湖沼で過ごしている。カルガモは殆ど渡りをしないので、北からやって来るカモたちはその群れの中に入って過ごしている。カルガモは警戒心が薄いので安心できるのではなかろうか。蟹江周辺ではコガモ、マガモ、オカヨシガモ、ヨシガモ、ミコアイサ、ヒドリガモ、キンクロハジロなどが群れている。種別に異なる場所にいる場合もあるが、混在している場合が殆どである。「日本のカモ 識別図鑑」(誠文堂)を見ていて、カモの雑種が多いのに吃驚した。
マガモとの雑種
ヒドリガモとの雑種
全てではないが子孫を作っていく能力がある場合も見られるようだ。動物行動学の昆虫のような厳密な行動系列というよりは、学習能力が高いカモでは、集団で混在しながら生活していくうちに、同種であるとの刷り込み現象に近い学習が、幼鳥の時期に起こるのかも入れない。
以上述べてきた種の定義は有性生殖する生物に限られている。生物全体に対しては適用できる定義かといえばそうではない。無性生殖する細菌やウィルスでは、こうした定義は当てはまらない。宇宙全体の全てに適用できる定義は、新たな生物が見つけられればより困難となるのだろう。そのことによって種の定義も変えられていくことになる筈である。
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