イノシシ

動物編

イノシシは西日本に多く、六甲山にいるイノシシの子どものウリ坊がテレビ放映されているのを見たことがある。また夜行性のイノシシが関西の都市の街中を徘徊してごみを漁っている様子や、住宅地の両側がコンクリートになっている川の岸辺を逃げ回っている様子も見たことがある。最近では彦根城にある遊歩道で、観光客四人が噛みつかれ怪我をしたと報じられていた。

東日本ではイノシシを見たという話を一〇年位前までは聞いたことはなかった。東日本大震災の東京電力第一原子力発電所の放射能漏れで、避難地域に指定された浪江町や双葉町が無人になった結果、畑や田んぼが荒れてセイタカアワダチソウが繁茂するようになった。その場所にイノシシが多数現れ、動き回っている場面をテレビで放映していた。私はいわき市にある短大に勤務し、辞めてからも仙台から福島工業高等専門学校や松村看護学院に教えに通っていたので、気分転換のために阿武隈山地のあちこちの道路を車で走ったものだが、キツネやタヌキは見たことがあるがついぞイノシシは見たことはなかった。

東日本大震災後の太平洋側にイノシシが現れたと聞いて吃驚した。それと同時に確実に北上しているのだなぁと感じたのである。というのも一五年程前には、イノシシがどんどん北上してきて、いつ阿武隈川を渡るのかという話を聞いたことがあったからである。最近ではこうしたイノシシの存在を裏付ける事実を見聞きするようになった。宮城県の村田から岩沼まで抜ける県道二五号線の右側に、雷・馬場線林道(一六七九メートル)がある。その林道の途中に横道に入る山道があり、私は昔からよくその山道に入り探索したり写真撮りをしていた。しかし数年前台風に見舞われて、倒木や谷川が氾濫して入ることができなくなっていた。その山道の先の村田町側には開墾畑があった。昔はコンニャクや小麦を植えてあったが、家を継ぐ若い人たちがいなくなったからか放棄地になってしまい、今や雑草に被われて廃れてしまっていた。この畑の脇には五月の連休頃には、何株ものムラサキ科のホタルカズラの花が咲くので、例年写真を撮りに入っていたのである。

倒木が片付けられたので久し振りにその山道に入って、その荒れた畑まで歩いて行ったら、畦のいたる所で土が掘り起こされていた。人工の掘り起こし方ではなくイノシシが鼻を使って掘り起し、虫や植物の根を食べた後ではないかと思われる跡だった。周りを見たが動物の足跡は分からなかった。

この山道は柴田町の林道側の入り口から村田町の出口まで距離にすると四~五キロといったところだろうか。山道を歩いていて人に会うことは殆どないが、反対方向からモトクロス用のバイクに乗った人と初めて出会った。その人は私の来た方向に行くのだが、どう行けば抜けられるかと尋ねてきた。スマホの地図をナビゲーションにしていたが、山道の道路は地図に載っていないので、私に尋ねてきたのだろう。

私はこの畑まで来ると今までは引き返していた。ある時どこまで行けるか確かめようとどんどん歩いていってみた。二五分位歩くと山道は村田町の農家の裏手の畑に繋がっていた。畑にいた人が「どこから来たのか。」と尋ねてきたので、「山道の反対側の柴田町の林道から入ってきた。」と応えると、「途中でイノシシに会わなかったか。」と尋ねられた。

山道ではそこかしこからボウボウという音が聞こえてきた。咄嗟にイノシシの鳴き声に違いないと判断していたが、必ず川辺近くから聞こえるからカエルの鳴き声かも知れない。村田町の農家の人がイノシシに会ったかどうかと尋ねてくることからすると、イノシシの被害があるのかも知れない。イノシシは夜行性だから簡単には見かけることはないだろうが、宮城県南部の柴田町や村田町まで阿武隈川を越えてイノシシが北上してきていることは間違いないと思った。

勤務先の短大に非常勤で来ていた山形大学名誉教授の伊藤健夫先生は、動物学の専門家でクマ等の動物生態に詳しく、県内の鳥獣保護や被害対策に関わっていた人である。十年位前にある会合の懇親会で隣り合わせになり、シカやイノシシは山形県内にいるのかと尋ねたら、シカは昔はいたようだが長く見かけていない。最近は県内にも入ってきているようだと話された。その後雪の中のシカの写真が山形新聞に載っていたのを見かけた。イノシシは山形の冬は雪が深いことから、足が短いイノシシは冬を越せない可能性があり定住するのは難しいのではないかとの話だった。

そんな話を聞いてから東日本大震災の年(二〇一一年)の六月に川崎町から笹谷トンネルを抜けて山形に帰るために国道二八三号線を走っていたら、右側の路肩に大きなイノシシが死んでいた。死骸をレッカー車に積み込もうとしている作業中だった。一度通り過ぎたが車をバックさせて停めて降り、イノシシの死骸の写真を撮った。その体重は一〇〇キロはあると思う程の大きさだった。男性二人がレッカー車に乗せていた。私が「このイノシシをどうするのか。」と尋ねたら、「大河原町まで運んで処分する。」という。ここまでイノシシが来ていることから数キロ先の笹谷トンネルのある奥羽山脈を越えて、山形県に入ってくるのは、もうすぐだろうなと思った。

二〇一五年の四~五月にかけて東根市の白水川ダム近くにカタクリとヒメギフチョウの写真を撮るために入った。白水川ダムの奥には東郷林道とムクロ沢林道がある。当時ヒメギフチョウの写真を撮りたいと歩き回っていた。短大の森谷事務局長が東根市の乱川上流にはヒメギフチョウがいると話してくれたことがあって、それを頼りに黒伏高原や白水川ダム周辺を車で走り歩き回っていたのである。

ムクロ沢林道は東根市泉郷の頭出山に位置し、東根市から尾花沢市へ抜ける林道である。私は時々その林道に入るが、その入り口の掲示板には「国有林につき無断で入ることを禁じる。事故などにあってもその責任は負わない。」と書かれている。山に入ると人に会うことは殆どなく、会うとすればクマしかいない場所である。それでも山菜の季節には人々が入ってくる。その掲示板があるまでの途中に、山あいの中の田んぼが三~四か所ある。こんな場所の田んぼなので気温が低くて収量も少ないだろうと心配してしまう。五月中旬に田植えが終わって苗が活着した頃になったら、田んぼの周りをネットで囲うようにしていた。クマから田んぼを守るのかと考えたが、そうではなくイノシシではないかと考えるようになった。田んぼの稲被害ばかりでなく、ぬた場としてイノシシが体を地面にこすりつけて体をノミやシラミから守るために使われるからだろう。天童高原に入る横道の浅い湿地帯ではぬた場だと思われるものがあった。山形県側のムクロ沢も天童高原も奥羽山系の稜線の西側だから、イノシシたちにとって夏場は自分たちの行動範囲のうちに入るのではないかと思う。

夏の頃このムクロ沢林道に入って戻ろうとしたら、遠くで猟銃のような音が聞こえた。リンゴ等をクマなどの被害から守るのに、プロパンガスを使った爆音機で大きな音を出し追い払う音のようにも聞こえたが、ムクロ沢林道周辺には果樹畑はないから、イノシシ除けかイノシシを射殺するための猟銃の音ではないかと推測している。

イノシシは確実に山形県内に入り込んできている。伊藤健夫先生の言われるように、冬もこの地域で定住しているかは疑問なので、その期間中は宮城県側の雪の少ない地域に避難しているのではなかろうか。クマばかりでなくイノシシも生活範囲を拡大してきていることが予想されるのである。(鯨偶蹄目 イノシシ科 イノシシ属 イノシシ)

                        

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