イチモンジセセリ その2

動物編

秋口になるとイチモンジセセリの姿を見かけるようになる。自宅の狭い庭でも見かけるし、川の土手や桑名市長島の「なばなの里」の花壇でも花の蜜を吸っているのを見かけた。私が小さい頃にはそこら中でよく見かけたものだった。秋とイチモンジセセリは私の中では対連合している。その姿はモンシロチョウやアゲハチョウのようなフワフワした飛び方ではなく、真っ直ぐストレートに飛んでいく飛行機とか、更に言えば戦闘機やジェット機のような感じさえある。そして茶色の翅の白い斑点が印象的なチョウである。

 最近になってイチモンジセセリについて書かれた「蝶、海へ還る」(中筋房夫 石井実著 冬樹社)を読む機会があった。三〇年ほど前の著作なので、新たな知見が別にあるに違いないが、それでも色々を学ぶことができた。その一つはイチモンジセセリが渡りをするかどうかである。渡りという概念をどう考えるかという問題はあるが、日本国内でも秋になると、西や南西に向かって何百キロもの距離を渡ると述べられている。具体的な例として、関東や近畿地方の移動についての資料が載っていた。元々イチモンジセセリは東南アジア等、亜熱帯のチョウでそれが北上してきたと考えられている。しかし毎年それがくり返されているのではなく日本で幼虫のまま冬を越しているらしい。つまり冬を越す方法を見つけ出し適応的な行動を採れるようになったらしい。

 驚いたのは戦後のある時期にはこのイチモンジセセリの移動が、大集団で行われたということである。一九六七年八月二四日の毎日新聞夕刊に「大阪の東の空から現れ、地上数メートルから二十メートルほどの高さを時速六十キロ位で移動、同九時頃まで飛び続けて大阪湾方面に姿を消した」とか、一九五二年九月二日には神奈川県松田上空を通過したものでは「群の大きさは長さ十二キロメートル、幅五キロメートル、厚さ九・五メートルで、推定約十八億匹のイチモンジセセリが南方向に移動していった」とされている。また三河湾の海上では、イチモンジセセリが群れて飛んでいるのを漁師が見ているとも記されている。この情報を私が小さい時に見たり聞いたりしてのかも知れない。だから私のイチモンジセセリについての思い込みが生まれたのかもしれないなと今になって思う。

 イチモンジセセリの移動については、「観察例が多いのは、特に東京、三重、奈良、大阪の太平洋側の都府県で、日本海側では福井県三方地方で古い記録があるだけである。福島より北の東北、北海道、四国南半、九州、沖縄からの記録はまったくない。観察記録の南限は気象観測点TANGO(北緯二九度、東経一三五度)である。室戸岬の南方約四五〇キロメートルの同地点に浮かぶ気象観測船上で秋にイチモンジセセリが採れる。移動そのものが観察されたのではないが、周囲に発生源がないので、移動してきたと想像せざるを得ない。」と記されている。このイチモンジセセリは、とてつもない飛翔力と飛行距離をもっているチョウらしい。

 またこのような記述もある。「わたしたちの泊まった民宿(三重県鳥羽市沖の神島)の主人も漁師だった。彼の話では、『オドリチョウ(イチモンジセセリ)』は毎年九月になると伊良湖畔の方から海面すれすれに飛んでくるという。船上にとまることもあるし、やはり海面に降りることもあるという。その際には片側の翅を水面につけ、もう一方の翅を水面に垂直に立てて海上を漂うという。そういえば、木村喜七が三河湾沖で次のような観察をしている。『イチモンジセセリはこの海上を飛来するのに疲労するのだろうか。波の上に翅を休めて浮いていたり、波に揺られていたりする。泳いでいるとすぐ傍らで羽を休めてときどき口吻をだしているものもある。頭の上に止まっていることもある。羽音を立てて頭上を飛来することも珍しくないことである。』信じがたいことだが、イチモンジセセリは当たり前のように海を渡り、時には海面で休息したりするのだ。」このような観察からすると、どこにも止まらずに何百キロの距離を飛びすさるというよりは、途中で休み休みしながら飛行している可能性が示されていて、なぜか妙に納得してしまう。

 イチモンジセセリの生活史を見ると、この幼虫はイネツトムシと呼ばれる害虫として知られている。その生活史についても概略を引用してみよう。「関東から西日本の地域にかけて、イチモンジセセリは一年に三世代くり返す。幼虫で越冬し五月下旬頃に第一回目の成虫(越冬世代成虫)が出現する。第二回目の成虫(第一世代成虫)は七月中下旬頃出現し、広大な水田に植えられている稲に産卵するため次の世代(第二世代)は莫大に増える。この世代の成虫(第二世代成虫)は八月中下旬から九月中旬頃に出現する。西に向かって移動するのはまさにこの成虫なのである。移動を終えた成虫は、色々な雑草に卵を産みつけ、卵から孵化した幼虫(越冬世代)は休眠して冬を越す。」と述べられている。

 ではなぜ秋になってイチモンジセセリは南西に移動するのか。これについては食べのものが関連するとの仮説がある。というのは亜熱帯のチョウであるイチモンジセセリは国内で餌となる植物を見出した。夏にはイネ科のチガヤ、ススキ、エノコログサ、イヌビエ、セイタカヨシ、イネ、ミヤマシラスゲである。その中でも第二世代にとっての主食は何といっても湿地性のイネである。しかし、秋になって稲がなくなると、乾燥性のイネ科植物であるチガヤ、ススキ、ホリムギ、オオウシノケグサ等に産卵する。この乾燥性のイネ科の植物は茎が硬くて一世代、二世代の幼虫では餌としては食うことができないらしい。二世代の終わり頃の移動し始めたイチモンジセセリの卵である第三越冬世代では、それまでの卵と較べて大きく、孵った幼虫はチガヤ、ススキ等の硬い茎を食べて栄養とすることができる。そしてその幼虫が越冬するのだという。このようにイチモンジセセリの移動は、世代を繋ぐため餌のイネ科植物が生えている場所を求めて何百キロも移動するという仮説である。そうすると、海を何百キロも飛んで移動するイチモンジセセリは誤った方向に出て行ってしまったことになる。

 また移動する高さについては、葛城山(九六〇メートル)を越えていく様子が、「海を渡る蝶」(日浦勇著 講談社学術文庫)に載っているという。山裾を段々と上がりながら、高度を上げていくと思われるが、約一〇〇〇メートルの高さにまで飛べる可能性があることを示している。

 「イチモンジセセリ その1」でも述べたように、安西冬衛の「春」と題する「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」を考える際に問題とした、イチモンジセセリと同じ種類の「カラフトタカネキマダセセリ」はモンゴルにもいる。また樺太の南にある北海道の道東(北海道のみに棲息)にもいて、山地の林道脇の日当たりの良い草地などに生息し、割りと多く見られるチョウである。このチョウはイチモンジセセリと同じような姿をしていて、きっと習性も似ている可能性がある。但し、亜熱帯性のチョウであるかについては少し疑問になる。というのは、イチモンジセセリでは東北南部以南に生息していると述べられているからである。私はここ数年間に山形県天童周辺でも秋口にイチモンジセセリを何度も見かけたことがある。温暖化などによって「蝶、海へ還る」の著作時期よりは北上している可能性があるのではなかろうか。

 このイチモンジセセリの習性を基にして、安西冬衛の詩をもう一度考えてみよう。一つ目は、シベリアと樺太間の一五〇キロの距離を飛んで越えられるかという問題である。これについては四五〇キロも離れた所まで飛んでいった可能性があることから、それ程の遠い距離とは言えず、渡ることは容易だったのではないかと推測できる。また、カラフトタカネキマダセセリも途中で海面に降りて、翅を休めることが可能だろう。一気に一五〇キロを飛ぶことはできないにしても、日本の内陸にいる場合に一日に三〇キロ位は移動するようなので、数日かけて渡っていくことは可能ではないかと思われる。

 二つ目は、シベリアから樺太まで飛んでいったのか、それとも逆なのかという問題である。カラフトタカネキマダセセリがイチモンジセセリと同じ能力があるとすれば、どちらでも可能性があり得る。というのはイチモンジセセリが集団で移動する際には、地上数メートルの高さで移動していくことを考えると、カラフトタカネキマダセセリが海面上すれすれを渡って行ったとすると、偏西風の影響は考えなくても済むことになる。また逆に、イチモンジセセリが葛城山(九六〇メートル)を越えていったことも記されている。一〇〇〇メートルを超えると偏西風の影響を受ける可能性が高い。こう考えると、シベリアから樺太の方向なのか、それとも逆の方向なのかについてはどちらとも言えないことになってしまう。但しこの詩が作られた時には、「安西冬衛は病に伏せて大陸に留まり、樺太(当時は日本領)に帰ることは叶わなかったらしい」と加藤麗己が述べているので、シベリアから樺太へと考えるのが妥当であろう。また韃靼海峡を渡っていく情景は、チョウが海面すれすれに飛んでいくというよりは、高く舞い上がって行った方が詩情を感じさせるように思う。実際にも舞上がって渡っていったのではないかと思えてならない。

 三つ目は、渡っていった季節である。イチモンジセセリは集団では秋になって、南や南西に移動する。その目的は子孫のための乾燥性のイネ科の植物がある場所めがけていくのではないかという仮説に基づいている。カラフトタカネキマダセセリの食性がはっきり分からないから、イチモンジセセリと同様にその時期については予想できない。また同じカラフトタカネキマダセセリの生活史が、どのような植物と連携して一年間に何回発生するかも分かっていないことから、残念ながらこの問題については答えることができない。ただ大量発生した時期に、集団で移動する以外の迷いチョウも必ずいるだろうから、「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」というその一匹は、迷いチョウだった可能性もないことはない。そうした状況が起こるのは、きっと台風や低気圧が通った後の気象変化によることも考えられるのではなかろうか。

 

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