ウチワヤンマ

動物編

小学生の時、なかなか捕れなかったウチワヤンマを名古屋の上小田井のミツカン酢工場前の沼でタモ網を使って一度だけ捕ったことがあった。私のトンボ捕りの想い出の中の大きな事件の一つだった。

ウチワヤンマ(獲物を狩る)

その捕ったウチワヤンマを木の菓子箱に細い板を二つ並べて作った展翅台に、翅を開いて細長く切った硫酸紙を当ててピンでとめて保存していた。子ども心に腹の腐敗を避けるためにホルマリンを注射すると良いと聞いていたが、手に入れることができなかったのでナフタリンを小さく砕いて、ウチワヤンマの腹に押し込んで防腐剤とした。

ところがナフタリンは日が経つと空気中の湿気を吸って溶け出して、トンボの腹が茶色のまだらも模様になってしまう。それが欠点なのだ。

この展翅台にとめていたウチワヤンマを母が何十年も押入れの天袋で保存してくれていた。ある年に実家に戻ってその展翅台のウチワヤンマを見た時、少年時代のそんな事件が確かにあったことを確認したのだった。

 その当時はギンヤンマに比べてウチワヤンマの数は少なく、希少なトンボだった。蟹江に戻ってからウチワヤンマを見かけなかったが、岐阜県海津市早瀬に出かけた時、ある沼でウチワヤンマを初めて見かけた。ウチワヤンマがいるんだと思って嬉しくなった。何匹も沼の枯れ茎にとまっていて、時々飛び立っては元の場所に戻ってくるを繰り返していた。昔捕ったウチワヤンマが止まっていたのは偶然だと思っていたが、実はウチワヤンマといいながらギンヤンマとは科が違っていて、サナエトンボ科なのである。

 よく知っているギンヤンマは、オスはいつも飛翔していて殆ど止まらない。夕方になると止まるが、その時は植物の葉や茎にぶら下がって止まる。これがギンヤンマなどのヤンマ科の止まり方の習性である。こんなことも蟹江に戻ってから知ったことだった。

 ウチワヤンマの初めて見かけた交尾態と産卵風景

ところがウチワヤンマはヤンマと名前がつきながらヤンマ科ではなく、サナエトンボ科なのである。ギンヤンマは顔にある複眼がくっついているが、ウチワヤンマはサナエトンボ科の特徴である複眼が離れている。止まる時はシオカラトンボやコフキトンボのトンボ科のトンボのように水平に止まる習性を持っている。縄張りもギンヤンマに較べると狭く、いつもは植物の枯茎の先などに止まっていて、他のオスが来ると飛び立って追い立て行動をする。その点ではシオカラトンボなどの縄張りの守り方と同じなのだ。

 そんなことが分かってくると、ウチワヤンマが止まっていたのは習性そのものだったと後年になって納得したものである。

ギンヤンマのオスはが殆どとまらずに縄張りを飛翔し続けている。トンボ全体の縄張りを守る行動からすると、例外ではないかと最近になって思うようになった。

 人間は知らず知らずに事物事象の共通性(法則性)を作り出してしまうらしい。最初よく見かけたギンヤンマの習性を一般化して、ウチワヤンマにも適用していたらしい。だからウチワヤンマはいつも飛翔していて、たまに止まることがあると考えていたのだった。

 その後何年も蟹江周辺を歩き回っているうちに、色々なところでウチワヤンマを見かけるようになってきた。永和の沼、飛島村三福の金魚養殖池、日光川ウォーターパーク、蟹江町立図書館近くの佐屋川などで見かけるようになった。昔よりは数が多くなっているかも知れない。

 子供の頃はただヤンマを捕ることだけに関心があったが、年齢を重ねるうちに、それぞれのトンボの習性や生き様に関心を持つようになった。

 ウチワヤンマのオスはいつも水辺の枯れた茎や杭にとまっていて、メスが来るのを待ち続けている。今のところメスと交尾態になったり、連結態になっている場面を見かけていない。ウチワヤンマそのものは毎年見かけているので、近くの池や沼で産卵している筈だが、そんな場面に出会っていない。いつか出会うことを期待しているのである。

 数年前の夏に琵琶湖西岸の滋賀県高島市の「乙女が池」にオオヤマトンボの写真撮りに出かけた。蟹江に戻って知り合いになったトンボ好きの中学校教員だったSさんから、ここにはオオヤマトンボがいると聞いて出かけて行ったのだった。その池にはオオヤマトンボだけでなくウチワヤンマも飛んでいて、池のそこかしこの枝の先にとまっていた。中には交尾態で飛翔しているらしいものもあったが、オオヤマトンボなのかウチワヤンマなのか定かでなかった。でもここにもウチワヤンマがいることに吃驚したのだった。

 最近になってウチワヤンマなのに少し雰囲気が違ウチワヤンマを見かけるようになった。

 永和の沼と雑木林に出かけ時、雑木林の端の枝の先に見慣れないトンボがとまっていた。尻尾がウチワになっているかいないかよく分からなかった。ウチワヤンマでなければオオヤマトンボではないかと思ったものの、それにしては尻尾が細いのである。また頭の大きさが小さい感じなのでサナエトンボの仲間かも知れないとも思った。

 駐車している車の方に戻ってくる途中で、沼の中の枯れ木が水面上に出ている枝にウチワヤンマらしいものがとまっていた。例年、この季節にはウチワヤンマが止まっていることがある。今年も止まっていないかなぁと思っていた矢先だった。そのウチワヤンマらしいトンボの体長はウチワヤンマより小振りの感じで、尻尾のウチワもウチワらしく見えない程小さかった。いつも見ているウチワヤンマではないと直感した。

 ウチワヤンマには本来のウチワヤンマの他に、タイワンウチワヤンマもいることを本などで知っていた。温暖化が進んで、台湾からタイワンタケクマバチが日本に入り込んで勢いを持ってきていることも知っていた。独自に台湾から飛翔してきたのでなく竹材に紛れて入り込んできたらしい。

 タイワンウチワヤンマがどのようにして日本に入り込んできたのか分からないものの、「日本のトンボ」(尾園暁 川島逸郎 二橋亮 文一総合出版)の分布図によると、九州・西日本から伊豆半島までの主に平野部に進出しているらしい。上述の本には「平地~丘陵地の抽水植物の繁茂する水面の開けた池沼。卵期間一~二週間程度。幼虫期間一~二年程度(一~二年一世代)。幼虫で越冬する。大型のサナエトンボで、オスメスともに腹部第八節の側縁がウチワ状に広がる。ウチワヤンマに似るが、腹部第八節のウチワ状の広がりが小さく、全体が黒いことで区別できる。メスは一見オナガサナエにも似るが、尾毛が黒い。~中略~ 国内の種では、ウチワヤンマと近縁である。近年、温暖化の影響からか、生息域が東進、北上している。」と記されている。また体長はウチワヤンマ(オス)が七七~八七ミリなのに、タイワンウチワヤンマ(オス)は七〇~八一ミリで小振りのようなのだ。

 これまでパソコンに取り込んでいたウチワヤンマの写真を見てみたら、タイワンウチワヤンマとウチワヤンマが混在していた。これまでタイワンウチワヤンマをウチワヤンマだと思い込んでいたようなのだ。今回は違和感を持ったことで両者の違いを区別できるようになった。

 あることをきっかっけに新しい細かい認識の違いを学ぶことができるのも、動植物との出会いの醍醐味ではないかと思っている。

 (トンボ目 ヤンマ上科 サナエトンボ科)

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