蟹江周辺で見られるサギには六種類いる。アオサギ、コサギ、ダイサギ、チュウサギ、ゴイサギとアマサギである。そのうち留鳥のアオサギ、コサギ、ダイサギとゴイサギを除くチュウサギとアマサギは夏にやってくる夏鳥である。
餌を探すアマサギ
この二種類のサギは南の地方から夏鳥としてやって来て、東名阪道(高速道路)蟹江インター内のコロニーで五月を過ぎると営巣・産卵・抱卵・育雛している。チュウサギの数は多いが、アマサギの数はかなり少ない。海を越えてやってくるのか、九州辺りからやって来るのかは今のところ分かっていない。
鳥の写真を撮り出した頃は、サギはみな同じに見えてシラサギと言っていた。それでも数年のうちに違いが少しずつ分かるようになってきたものの正確に区別できている訳ではない。中でもコサギ、チュウサギ、ダイサギの区別がなかなかつかない。形態的にそれぞれ特徴があって区別できそうなのに、一羽だけが田んぼの中にいると同定できなくなってしまうのだ。
アマサギがどんなサギか、ウィキペディアによる分布では「アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、ユーラシア大陸南部、インドネシア、オーストラリア、日本、ニュージーランド、フィリピン、マダガスカルに分布する。夏季にアメリカ合衆国や朝鮮半島で繁殖し、冬季になるとアフリカ大陸北部、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンなどへ南下し越冬する。多くの地域で周年生息する。日本では、亜種アマサギが夏季に本州の農地に繁殖のために飛来し(夏鳥)・(漂鳥)、九州など暖かい地域で越冬する留鳥。」と記されている。世界に広く分布し移動するもの、留鳥のものもいるようだ。蟹江周辺で見かけるアマサギは、九州辺りや朝鮮半島からの可能性が考えられると思う。
また生態では「草原、農耕地、湿原などに生息する。単独やペアで生活するが、小規模な群れを形成して生活することもある。食性は動物食で、主に昆虫、クモを食べるが、魚類、両生類、小型爬虫類、甲殻類なども食べる。大型の草食獣の背中に止まり、寄生虫を採ることもあるので、共生関係の例に挙げられることもある。」と記されている。
先日NHKの番組を見ていたら、沖縄県の八重山諸島でカンムリワシの写真を撮りに行った俳優が、そこで見かけた牛の背中に止まっているアマサギの写真が撮れたと話していた。
七月下旬に飛島村服岡の道路を走っていたら、コムギの刈り取りを終わった畑でトラクターが土起こしをしているのを見かけた。大々的な土起こしというより表面の土を軽く起こしている感じで、麦秋後の刈り取ったコムギの株は残ったままだった。そのトラクターの後を沢山のサギがついていく。見た瞬間アマサギだと思った。
種蒔きキの後を追いかけるアマサギの群れ
これまでもアマサギを見かけていたが、せいぜい数羽程度だったのに、二十羽以上の群れだった。トラクターで土起こしすると餌になる昆虫や幼虫そしてミミズが出てくることを知っているのだ。普通はカラスも来るが今回はいなかった。群れの中にチュウサギだと思われるサギは二羽混ざっていたが、アマサギと同じようにトラクターを追いかけてはいなかった。
アマサギたちはトラクターについていく。飛んでトラクターの傍に降りるものあり、その餌を採っている姿を見ると、ひょうきんな感じを受けてしまう。なぜひょうきんに思うのか自分でも不思議である。立っている姿、餌を採るために動いている姿が、なぜか他のサギに較べて愉快な感じなのだ。コサギ、チュウサギやダイサギをひょうきんと感じたことはないので、なぜなのか、自分でも分からない。
アマサギの歩き方やその仕草がとても面白いのだ。何か人間臭さを感じてしまう。アメリカの鳥のキャラクターにロードランナーがいるが、あんな感じなのである。この仕草や行動を見ると、アマサギはサギの中でも知能が高いサギではないかと思っている。
飛島村の畑では秋からコムギを育て、麦秋の六~七月に刈り取りしてから、次にダイズなどを育てている。大型化農業が行われ、計画的な作付けが行われている地域である。近くの田んぼではイネを育てている区画もある。全て田んぼだけならアマサギたちの餌の調達は難しい筈だが、昆虫やミミズなどがいる畑もあるので生息環境としては好ましい環境だろう。
バッタやミミズを探すアマサギ
今度は猛暑の八月七日、用水路のフェンスに沢山のアマサギがとまっていた。不思議に思っていると、その近くでコムギ刈り後の畑でトラクターが土を耕しながら畝を作り、ダイズの豆を蒔いていた。彼らはその時土中から出てくるミミズや昆虫を狙っているのだ。
運転手が運転をやめて何か書類を読んでいる時も、いつ作業が始まるかと、畑まで飛んで行って前方でじっと待っていた。その夏の暑さでアマサギたちは口を開けて息をしている。作業が再開すると、トラクターについて歩き回りながら餌を探していた。その光景を見て、やっぱり笑ってしまった。アマサギの餌採りの仕方だけでなく、トラクターが土起こしする手順の予測能力にも感心してしまったのだった。
アマサギは主に昆虫やカエルなどを主に食べるのに、他のサギは魚などを中心に食べる。同じサギといっても餌を採る場所が違っている。最初はサギの仲間は魚を捕るとばかり思い込んでいたので、アマサギが田んぼの真ん中でなく、畔などの縁を移動しながら餌を探しているのを奇異に感じていた。田んぼにいることに違いないので、その時は縁にいるのは偶然だと思っていたのだった。
でも食べるものが違っていることが分かってくると、その行動がやっと理解できるようになった。アマサギは田んぼの真ん中で魚やドジョウなどを捕るよりはバッタやカエルを捕っていることが多いので、畔の方が餌を捕りやすいのである。
営巣するアマサギ
十一月の末に弥富市海屋の畑で一羽のアマサギを見かけた。この時期には普通アマサギは南に帰ってしまって見かけない時期である。そんな時期に見かけたのだ。数日後の十二月五日にも隣の畑でトラクターが土起こしをしている場面で、一羽のアマサギがその後を追いかけているではないか。数日前のアマサギだろうかと思ったが、やはりそのアマサギだった。この周辺で生活しているらしい。
乗っている車近くに来た時に、そのアマサギを見ると、首周辺の羽が一部ハネ上がっている。そして黒くなった皮膚だろうと思う部分も見えた。顔立ちがいつも見るアマサギとは違い、色が薄い感じだった。季節による羽や姿の変化かも知れない。
この傷口の様子から生死をさまよう大怪我をしたと思われた。オオタカやハヤブサに襲われたのか、それともトラクターの後を追いかけて機械に挟まれたのかは分からない。アマサギはとてもひょうきん者で人を恐れない感じさえするので、トラクターのすぐ傍まで近寄って、怪我をした可能性が大きいようだと感じている。
大怪我をしたので十一月初旬に群れと一緒に南に帰れなかったのだろう。怪我が回復した時には既に群れはおらず、来年に仲間のアマサギの群れが戻ってくるまで生き延びなければならない。でも冬が終わる三月にはこのアマサギを見かけなくなった。どこかで野垂れ死にしたのかも知れないと思う。
日本に渡ってくる鳥たちには夏鳥、冬鳥などがいるが、渡ってくるのは生得的に仕組まれたプログラムによると思われ、種全体として渡りをしているのは確かなのだが、渡りができなくなった(しなくなった)個体が、ある数いる。
羽や骨を傷めて帰れなくなった善太川のミコアイサ、雑種で帰る故郷が分からないように見える飛島村のマガモ、理由不明だが夏を単独で過ごしている日光川のハジロカイツブリ、意識的に帰らないように見えるマガモの番いなどを見かけている。
群れと一緒に帰らない(帰れない)個体がたまたまいるが、半年をここで過ごすと鳥生(人生?)は変わってしまうではないかと考えてしまう。その個体が所属していた群れが翌年戻ってきても、昔の群れに戻れるかどうかは定かでない。新しいヒナが育って、新しい家族の群れになっている可能性があるからである。
こんな例を沢山見かけると、自然はその種が生き残り継続できれば良いのであって、種内の個体の生き死については、無頓着のように思えてならない。これはヘラブナの時にも同様だった。個性やその存在の重要性を尊重する人間社会と、野生動物の世界の実態との乖離をどう整合的に考えたら良いのか、考え込んでしまったのだった。
(ペリカン目 サギ科)
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