トビ

動物編

小さい時はトビをトンビと呼んでいた。空をぐるっと回りながら殆ど羽ばたくことなく上昇気流に乗って飛びながら、ピイッと鳴いていたのをよく見かけたものである。勤め先の短大の入学試験が仙台であり、駅前のビルの何階かに上がって窓から外を見ていたら、トビがビルの谷間に吹いている上昇気流を捉まえて上昇していくのを見たことがある。風の強さもあるだろうが、上昇気流を捉まえるために何回も同じ高さを回っていたが、ある時にすーっと上昇していった。

トビが飛翔する

 天童周辺でもトビを見かけて写真を望遠で撮ろうとすると、カメラをトビに向けているにもかかわらず画面に入ってこない。眼をカメラから離してまた向けるのだが画面にトビを入れるのが難しい。入ったとしてもピントを合わせるのがまた難しい。そうしている間にどんどん上昇して小さくなってしまうのがいつものことだった。

 トビは猛禽類のワシやタカの仲間である。ハヤブサやチョウゲンボウ等のハヤブサの仲間よりは大きく姿は勇壮な感じがする。大きさは全長五八~六九センチ、翼開長は一五〇~一六〇センチで、チョウゲンボウの全長三三~三九センチ、翼開長六八~七六センチに較べると倍以上の大きさである。チョウゲンボウを初めて見た時思ったより小さいなと感じたのが第一印象だった。それに較べてトビはタカらしいなと昔から思っていた。食べ物は鳥、獣、魚の死体,カエル等だが、素早く行動し獲物を捕る感じは余りしない。小さいチョウゲンボウの方は小型哺乳類、小鳥、昆虫等で狩りが上手ではないかと思う。私はチョウゲンボウが巣穴にネズミを掴んで運ぶのを見たことがある。

 カラスに追いかけられる

 トビの姿から見ると猛禽類そのものだが、それに疑問を持つようになった。天童や山形市内の田んぼの上空をトビが飛んでいると、カラスが一羽でトビを攻撃しているのを何度も見かけた。また新庄の鮭川に鮭の写真を撮りに行った時にも、何羽かのカラスがトビを攻撃している。時期は十一月中旬だった。カラスは秋から春にかけて集団で行動する習性がある。春になって番いになって巣造りをしてヒナを育てる。その時には巣に近づくと人でもタカでも攻撃することはニュースで見たことがある。「タカの渡りを楽しむ本」(久野公啓 文一総合出版)を見ると、「タカの渡りを観察していると、しばしば目にするのがカラスにまとわりつかれ、迷惑そうな顔をして逃げていくタカの姿。強いはずのタカがどうしてカラスに追い回されるのかと、不思議に思う人も多いことだろう。これはモビングとよばれる行動で、鳥が自分の巣や家族を天敵から守るために、より大きな鳥やネコ、時には人に対し集団で攻撃をしかけることを指す場合が多い。」と記されている。

 私の知る限りカラスは冬には集団で行動するから縄張りはない筈だが、カラスが執拗な攻撃をトビに仕掛けているのは一年中ではないかと思う。場合によっては一羽のカラスが攻撃していると、他のカラスが助勢に来る光景にも出くわすことがある。私はこれを見るとナチスの爆撃機がイギリスの戦闘機に打ち落とされる情景を思い出す。ただただ爆弾を投下するために飛んでいる爆撃機に、敏捷な動きができる戦闘機が挑みかかっている様と、羽ばたきが大きく動きが鈍いトビに対して、細かい動きができるカラスが攻撃している情景が重なってしまう。その位カラスにトビはやられている。最近ではカラスが一番強い鳥ではないかとさえ思うようになった。ところが上述の本には「カラスが集団でオオタカを追いかける姿をよく見かけるのだが、実際、カラスにとってオオタカは天敵のひとつ。巣の中の雛や巣立ったばかりの幼鳥が、オオタカに襲われることも少なくない。みんなで力を合わせてオオタカにプレッシャーをかけておけば、自分たちをさけるようになるはず、というカラスたちの戦略だろう。」とも記されている。

 清州の萱津(かやつ)神社近くの橋から一つ北側の橋の五条川の堤防沿いで、トビが何羽か群れて飛んでいた。その近くの電線や堤防内の木々、野原には何十羽というカラスが止まっていた。トビが一羽だけ離れるとカラスが攻撃を仕掛けるが、まとまって飛んでいる時は攻撃を仕掛けることはなかった。蟹江に戻ってから、田んぼや善太川沿いではトビを殆ど見かけなかった。山形や天童では割と飛んでいるのを見かけていたので、こちらでは餌になる動物が多い筈なのにと不思議に思っていたのだった。この五条川ではトビが七~八羽纏まっているのを見て、やはりいるのだと認識を改めた。カラスの方もトビが群がっている時には攻撃できないらしい。この五条川の脇には、膠(にかわ)や骨粉を作る工場があり、その原料や製品を作った後の廃棄物が五条川に流れ出ている。カラスとトビにとって大事な餌場だと思われ、それが追いつ追われつの攻防の原因かも知れない。

 水面の魚を捕る

 トビと言うとすぐにトンビ凧を思い出す。小学生になった頃、名古屋市西区の押切町に凧専門店があって、父がそれを買ってきて畑や野原で揚げてくれた。その凧屋は色々な種類の手作り凧を売っていた。トンビ凧、福助凧、扇子凧等である。その凧は和紙の手作りで彩色されていて高価だった。トンビ凧の背に髭クジラの髭で作った「うなり」をつけ、凧の下には細い縄の下がりをつけて姿勢が安定するようにし、凧糸を使って揚げた。父はとても器用で何でも自分で作ってしまう人だった。竹ひごを使った模型飛行機、庄内川の堤防で滑る木橇、腰掛や台等を木を採寸して、釘を口に入れて手際よく作っていた。凧揚げでも職人のように上手く揚げていた印象がある。高く遠くに上がると「うなり」のブーンという音が聞こえる。それが何故か誇らしかった。というのもそんな立派な凧を揚げている子は他にはいなかったからである。

  田んぼ後で餌を啄む

 子供たちは駄菓子屋で売っている絵が印刷してある扇子凧を買って揚げていた。凧糸は強いが遠くまで揚がってくると、凧糸の重さでだらりと下がってくる。凧糸は値段が高いこともあって、安い扇子凧には裁縫に使う木綿糸を使っていた。これは風が強いと切れてしまって、遠くに飛んでいってしまうことが度々あった。ある時工務店の息子の下級生が、家にある細いエナメル線だと切れないと言って、その銅線を木綿糸代わりに使って凧を揚げたことがあった。その扇子凧はどんどん遠くまで揚がって行ったが、電柱の電線の上を通り越して行った。風が弱くなった時、そのエナメル線が電線に触れた。その瞬間下級生はギャーッと言いながら野原を転げ回った。そのエナメル線が細かったので瞬時に焼き切れたから助かったものの、太かったら命に関わっていたかも知れない。今でもその時の情景がありありと浮かんでくる。そんな無謀なことを小さい頃はやっていた。今となっては笑い話だがトンビ凧のことを思い出す度に、その時の子どもの頃の事件もまた思い出すのである。

 「日本の野鳥」(叶内拓哉 安部直哉 上田秀雄 山と渓谷社)のトビの項目では「留鳥。南西諸島ではまれな冬鳥。環境は海岸線から高山まで。行動は繁殖期はつがいで行動し、高木の枝上に巣を作る。非繁殖期は群れで行動し、朝方に集団ねぐらの林から飛び立って採食場へ向かい、屍肉やカエル、昆虫類、ミミズ、人間の捨てた残飯、水産加工場の廃棄物などを食べる。よく上空を輪を描きながら数羽から数十羽で飛び、地上の食べ物を探す。」と記されている。

 私が五条川で見かけているのはカモ撮りする冬の時期なので、トビが集団で過ごしているのだろう。そしてトビが屋根や電柱に止まっているのも余り見かけない。集団ねぐらは五条川の川沿いでないかも知れない。春から夏の季節にもトビの行動を観察したいと考えている。(タカ目 タカ科 トビ属 トビ)

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