アズキ

植物編

蟹江に帰ってからも、近くの川の堤防や田圃(たんぼ)の畦などで植物の写真を撮っている。私の感想から言えば、天童周辺の方が野草の種類は多い気がしている。また野草を撮りに山に入ると、誰一人として人に会わないことも多く、秋田では何人もの山菜やキノコ採りに入った人が熊に襲われて死んだというニュースが、新聞やテレビで報告されていた。熊は普通人を襲うことはなく、熊の方から逃げていくという。子熊を連れた母熊が、子熊を守るために襲うことはあると思うが、秋田の熊は偶然に人を襲うことを学習してしまったのかも知れない。野生動物にとって、一番怖い動物は人間なのだから、そう簡単には襲わないと言われている。私は山に入る時は、百均で買った鈴を紐で何個も結んだものを腰にぶら下げたり、場合によっては持って鳴らしながら歩いている。鈴を忘れてしまったときは、時々口笛を吹いたり、大声を上げたり、木の棒で大木の幹を打って、音を出すようにしてきた。山に入る時は、常にそんな危機感を持ちながら、写真を撮りに入るのである。

アズキの花

 先日、愛西市の関西線の永和駅の北側の田んぼの畦道を歩きながら、色々な植物の写真を撮っていたら、黄色いマメ科の花を咲かせている植物を見かけた。田んぼとコンクリート道路の間に、一列に20本位植えてあった。カラスノエンドウ、エンドウマメ、ダイズ(エダマメ)などの花は知っていたが、初めて見る花だった。私は、そこで名前も同定できないままに、何だろうと思いながらも写真を撮った。

 それから1ヶ月位して、その近辺の写真を撮りに行ったら、黄色い花のマメ科の植物はまだ植えられていたが、葉が白くなり穴が空いてボロボロになっていた。そんな中でも細長い枯れた茶色の鞘(さや)状のものがいくつかぶら下がっていた。それを見た時、農家の人は、この豆の収穫は諦めているのだと直感した。その豆の鞘の数は多くはなく、収穫に値しないのだろう。そこで、私はその一つをとって、鞘をひねってみたら、簡単に上と下の鞘の端の重なった部分が外れて豆が出てきた。それは濃い赤茶色の豆だった。私はすぐにアズキだと直感した。そのアズキの豆は鞘の中に8個くらい入っていたが、小粒すぎて売れない代物だろうなと感じた。しかしこんな所でアズキの花と豆を見たことに驚いたのである。

 また、この葉がボロボロになっている原因が、病害なのか芋虫なのか疑問に思って、何枚かの葉の裏を見てみたら、ある葉の裏に芋虫がついていた。季節的に殆どの芋虫たちは羽化しているだろうから、その生き残りではないかと思われた。自宅の庭のプランターの中で野菜を育てているが、農薬などは一切使用しておらず、箸などで一匹ずつ取っているが、結局は葉がボロボロになる。その状態をこのアズキの葉でも見たのである。その撮った芋虫の写真を調べてみたら、多分フキメイガの幼虫ではないかと思われた。とにかくその被害は凄まじく、葉が白くなってしまって葉らしい雰囲気ではなくなっている。これでは鞘の豆の実入りも少なくなるだろうと思ったものである。豆の大きさも小さい感じだった。

 平成27年度のアズキの県別の生産高を調べてみたら、予想通り北海道が圧倒的で59500t(93.4%で1位)だった。というのは、先物取引でアズキ相場は北海道のアズキの出来不出来に左右されると聞いていたからである。次に兵庫県534t(0.8%で2位)、京都府417t(0.7%で3位)となっている。私の身近な山形県は72t(0.1%で21位)、愛知県は27t(0.0%で31位)となっている。北海道がアズキ生産では圧倒的なことが分かる。兵庫県や京都府は、丹波大納言という品種が有名なところで、昔から藩主がその生産を奨励し、幕府や皇室に献納したという。アズキは煮ると背が割れて崩れてしまう(これを切腹という)のだが、この大納言はそうならないらしい。そんな歴史的な経緯も、現在のアズキ生産に影響しているのである。

 小豆のサヤと種

 アズキを使った食べ物と言えば、まず饅頭やお汁粉などに使う餡(あん)を思い浮かべるが、それと同時に、私は赤飯を思い浮かべる。小さい時から、アズキを入れたもち米を蒸したものが赤飯だと思い込んでいたのだが、仙台に住むようになって、そうしたものとは違う赤飯を見かけて吃驚した経験がある。アズキでなく、ササゲ豆の赤飯である。

 小さい頃から、はっきりした理由は何もないが、赤飯は好きな食べ物でなかったので、積極的に食べたいと思っていなかった。しかし、大学院の学生の頃、指導教官の細谷純さん達と、東日本大震災で被害に遭った志津川(現南三陸町)の神割崎の民宿に泊まって、読書会を行ったことがある。その時、民宿のおじさんが、赤飯を差し入れてくれたのである。私は「何で赤飯なの?」という感じだったが、細谷さんはとても喜んで、美味しそうにパクパク食べていたのを今でも思い出す。その時、赤飯を美味しいと思う人がいるのだと、ちょっとした衝撃を受けたのである。

 私は、赤飯に入れる豆はアズキだと思い込んでいたが、地方ごとで随分違うようである。一般的にはやはりアズキが多いようだが、北海道や青森では甘納豆を、長野では花豆を、関東ではササゲを、千葉では名産の落花生を入れるなど多様である。その地方で手に入りやすい素材を使っているのだろう。

 これらの赤飯の色が赤く、ハレの日に食べるという風習はどこから来たのだろう。これは私の推論に過ぎないのだが、神に供える神饌(しんせん 飲食物)が始まりではないかと考えている。ニニギノミコトの子孫が、伊勢に天照大御神(アマテラスオオミノカミ)を祀ることになって、その神饌を扱う神としてトヨウケノオオカミ(豊受大神)にその役を任せるようになった。天照大御神(アマテラスオオミノカミ)を祀っているのが内宮で、トヨウケノオオカミ(豊受大神)を祀っているのが外宮という訳である。その当時は、インディカ米に該当する赤米や黒米があった。その中で、赤米が神饌に利用されたのではないかと思う。というのは、赤は邪気を払う力があると考えられてきたからである。

 神饌を扱うトヨウケノオオカミ(豊受大神)の思想が、庶民の中に広がったのではないか。そして赤飯の赤の色は、邪気を払う信仰と結びついて、ハレを祝う食べ物へと変化してきたのではないかと考えるのである。

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