ハギ

ハギは秋の七草の一つだが、私は名古屋にいたときには見たり聞いたことさえなかった。仙台の大学に来てからハギの花を知るようになり、宮城県の県花がハギであり東北大学の校章がハギであることから知るようになった。

ハギの花 その1

 今でも細かくマメ科のハギの種類を区別できないが、ハギという名前の植物ではミゾハギ、ヌスビトハギ等は区別できる。ミゾハギは沼やため池などの土手や水辺近くに咲いている。天童辺りでは7月頃から山元沼の水辺に咲いているし、水晶山の入り口近くのため池の土手にもたくさん咲いているピンクの可憐な花である。でもこのミゾハギはマメ科でなくミゾハギ科の五弁の花びらを持つ植物である。何故ミゾハギと言われるかは色々説があるようだが、お盆に添える花として使ったとか、禊ぎ(みそぎ)に使ったとかの言い伝えがあるが、夏のこの季節が花の最盛期である。

 外来種のアレチヌスビトハギ

 またヌスビトハギは最近になって気になった植物である。というのは、秋に郊外の道路脇に入り込むと、小さい時に名古屋近辺でズボンについてきたアメリカセンダングサやイノコズチとは違った、やや三角形の形をした緑色の実が、たくさんくっつくのである。それが何かはその時は分からなかったが、翌年の夏になってようやくマメ科の植物であることが分かってきた。でもミヤギノハギのように枝が並んでしかも葉が密集しておらず、枝もパラパラとして花も先端にパラパラ咲く感じの咲き方である。花の形と色からマメ科だということはすぐに分かったが、それがあのくっついた実の元のヌスビトハギだったのである。その名前の由来はズボンなどにくっつく実の形が盗人の足型に似ているからだと言われている。

 ミゾソバ

ところでミヤギノハギで思い出されるのは、やっぱり「先代萩」という歌舞伎の出しものではないだろうか。伊達騒動に関わるものだが、こうした名前がつくほど仙台はハギが一般的に見られる秋の植物なのだろう。

この物語は、3代藩主の伊達綱宗が花魁の高尾太夫に入れあげて、結果的に隠居することになる。そうした中でお家乗っ取りを企むのが原田甲斐たちである。綱宗の後を継いだ4代藩主の綱村の毒殺を計るが、お家を守ろうとする伊達安芸たちが防ぎ、その実情を幕府に訴えて裁断を仰ぐことになる。幕府の老中である酒井雅楽頭は原田甲斐や伊達行部らに懐柔され、原田甲斐たちに有利の裁断をしようとする。しかし老中の板倉内膳正によって阻止され、伊達安芸たちに有利な裁定が下り伊達家に平和が戻るという物語である。この物語は映画とかドラマでも見たような気がする。あるドラマでは幕府が伊達家の内紛にかこつけてお家取潰しの経緯にする展開になっていた。この歌舞伎では、乳母の子どもが若君に先立って毒入りの飯を食べ苦しむが、我が子を犠牲にして若君を守るという場面も出てくる。こうした場面では、観客は涙したのではなかろうか。

  ハギの花 その2

この件に関して、原田甲斐を主人公にした山本周五郎の「籾の木は残った」を思い出す。樅の木は日本海側の北限が秋田県で太平洋側では宮城県辺りで、東北大学付属植物園内には大きな樅の木があった。今は温暖化の影響でもっと北上しているのではないかと思われる。

この「籾の木は残った」では、歌舞伎の先代萩のように原田甲斐が悪人ではなく、お家のためにどうしたら良いか、自分が悪人になるように振る舞うことで伊達家を守ろうとしたという設定だったように思う。何十年も昔のことだから、記憶が定かでなく間違っているかもしれない。また鮮明に覚えているのが、伊達安芸(宮城県桃生郡に居城があった)が、「死ぬ間際に、私が言うことは本当の気持ではない。正常のときに話したことが本心であり、死ぬ間際に話したことを聴いてはいけない」と話す場面があった。死を前にすると、人間は公平で冷静な判断ができなくなることを、この場面は教えてくれたように思う。これは山本周五郎の考えそのものなのだろう。

実際の原田甲斐という人物がどんな人物だったかは、色々な資料によって検証されているに違いないが、その当時の忠孝の思想から考えると、伊達家の存続について、善人と悪人が二つに完全に分かれるようなことではなく、視点の違いによるお家騒動だったのではないかとも思うのである。

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