高校時代に学んだ多くものは記憶から消え去っているが、それでも何かしら覚えているものもある。その一つに「もじずり」がある。なぜか「陸奥(みちのく)のしのぶもじずり誰ゆゑに、乱れそめにしわれならなくに」という物悲しい歌を覚えている。これは在原業平の伊勢物語の中にも出てくるもので、百人一首の源融(みなもとのとおる)の歌だと言われている。
ネジバナ その1
高校を卒業して仙台に来る途中で福島駅を東北線で通った時、信夫山の名前を見て「しのぶもじずり染め」をこの辺りで作っていたのだろうかと思った。その名前のついたピンク色の「もじずり(ネジバナ)」を芝生の中で見た時は、とても嬉しかったことを覚えている。名古屋からわざわざ陸奥(みちのく)の仙台にきた自分の中に、武田鉄矢の「思えば遠くに来たもんだ」同様に、遠くに来てしまった(その当時は電車で13時間位かかった)という想いとその寂しさ、そして歌に詠まれた「もじずり」を実際に見た嬉しさが混在した複雑な感情だったのではないかと、今になってみると思う。
ネジバナを調べてみると、ラン科の植物で春から夏にかけて咲き、10~40センチほどの茎の先に花が咲くが、小さい花が螺旋状(らせんじょう)に並んでいる。江戸時代にはモジズリの名前で呼ばれて栽培されていた。モジズリの名前は、忍捩摺り(しのぶもじずり)に因んでいて、忍捩摺りのかすれた細かいもじり模様とネジバナの花のねじれが同じと連想されたからである。ネジバナがねじれるのは、つぼみが後ろ側に反転するからで、左巻きと右巻きがあるという。モジズリは福島県の信夫地方で作られていて乱れ模様の摺り衣(すりごろも)と記されている。
ネジバナ その2
また生育条件を見ると、湿っているが日当たりの良い背の低い草地に良く生育するとあり、公園の芝生や中央分離帯の芝が植えてあるところでよく見かけたように感じている。花色は桃色が多く白や緑のものがあるらしい。またねじれ方が右巻と左巻きの両方があり、中には花序がねじれない個体や、途中でねじれ方が変わる個体もあるとのことである。右巻と左巻きの比率は大体1対1であり、コハナバチのような小形のハナバチが花粉を運んで他家受粉すると考えられるが、それが上手くいかない場合は自家受粉をする。ここでも他家受粉を目指しながらそれが駄目なら自家受粉をする戦略が見られる。
咲く季節については私自身の経験と一致しているが、大きさは15センチ位のものしか見たことはない。40センチというのは相当背の高いもので、私の思い描くネジバナのイメージを超えている。また、右巻と左巻きがあるとのことであるが、私はいつもこうした巻き方について混乱してしまう。というのは、朝顔でもそうであるが、植物が育っていく成長していく方向で巻き方を見るのか、上からみてどちら向きかという初歩的なところで悩んでしまうのである。これについては、ある本で茎を五本指で掴んで、左手の親指と同じ巻き方の方向だと左巻き、右手で掴んで親指と同じ巻き方の方向だと右巻きということが分かった。私以外でも誰しも迷っているのだと分かって少し安心したものである。
これまで随分とネジバナをみているが、実際に白花や緑色のものは見たことはない。西洋タンポポ、日本タンポポやシロバナタンポポと同様で、そうしたものがあるかもしれないと思ってみていないからだろう。今後はそうした目で見たいと思っている。
被子植物は有性生殖だから、環境への適応を考えると、他家受粉が本来望ましい受粉方法である。林檎では近くに「紅玉」などの他品種が植えてある。サクランボでは、佐藤錦の植えてある果樹園内に「紅さやか」などの早生種のサクランボの木が植えてある。
こうしたネジバナの生き様を見ると、植物が何とかして子孫を残す戦略と共に、人間が歴史的にそうした植物との関係を作り出してきた、文化という重さを感じるのである。
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