イタドリ

植物編

タデ科のイタドリは三月を過ぎる頃川の土手で芽を出し始める。蟹江周辺では緑色のものよりは赤茶色のものが多い。その時期はいたるところで群生して芽をだすので、春が来たと感じさせる風情がある。目が出る時期から始まって、九月過ぎには白い花が咲き出し、藻ができる十一月頃まで、姿形を少しずつ変えながら一年間見かけているような錯覚に陥るほどである。土手のいたる所で咲いているのを見ると、イタドリの繁殖力の強さを感じざるを得ないのである。

芽吹きだしたイタドリ

 こうしたイタドリの繁殖力は、イギリスで大きな被害を与えていると聞いたことがある。「日本と世界のカルチャーCOREDAKE」の「海外で『侵略的外来種』とされる日本産生物二十八種」には「イタドリ」について「被害が出ている地域:ヨーロッパ、北アメリカ。北海道西部以南の日本、台湾、朝鮮半島、中国に分布する東アジア原産種。世界の侵略的外来種ワースト百選定種のひとつ。十九世紀に観賞用としてイギリスに輸出され、旺盛な繁殖力から在来種の植生を脅かす外来種となり、コンクリートやアスファルトを突き破るなどの被害が出ている。」と記されている。土手に生えているイタドリの様子を見ると、外来種としての外国での被害について、さもありなんと納得してしまうのである。

 日本に生えているイタドリは、昔から古人は工夫しながら食べてきた歴史があり、灰汁抜きして料理に使ってきたのである。高知県や山形県では郷土料理としてイタドリの茎を食材とした今でも料理の食材として使用しているのである。

テレビ番組で「イタドリは鳥の仲間かどうか」を尋ねていた番組があった。多くの人は鳥の仲間だと応えていたが、高知県から都会に出た人にとっては懐かしい郷土料理の食材で、また食べたいと話していた。確かに若い茎を肉と一緒に炒めたら、さぞかし美味しいだろうと思わせる雰囲気がイタドリの茎にはある。芽が出たての時は灰汁が少ないか、灰汁を簡単に取り除けるのかも知れない。

 「四季の山野草」(畠山陽一 三興出版)のイタドリでは「日本各地の野山に大群落を作り、すごいジャングルをつくる多年草で、戦時中、代用たばこの原料にした葉がイタドリである。食べ方は春早く伸びだすタケノコ状の若芽を摘む。これをゆでてよく水にさらしてから酢みそやごまなどであえる。酢の物、汁の実、煮物、油炒めなども良く用いられる料理だ。また天ぷら、即席漬物、単に塩をふりかけ生食してもうまい。ある程度成長し茎の伸びたものは皮をむき塩漬けにして、みそ汁の具や煮物にすると、しゃきしゃきした歯ざわりでおいしい。」と記されている。

 スイバの花

 ところで前著「私の植物体験記」で、イタドリとスイバでどちらがスカンポかはっきりしなかったものの、イタドリがスカンポと考えることにして書いてしまった。その後もどちらが正しいのかと疑問に思っていたのだった。スイバもイタドリもどちらもタデ科で酸っぱいことから、地方によってどちらもスカンポと呼ばれているらしいことが分かってきた。春にイタドリの茎を齧ってみたら酸味が強く、スイバの方はイタドリ程酸っぱくなかったように思った。

私はイタドリというと、スカンポを媒介にしてスイバも思い浮かべるようになっている。対連合しているのだ。スイバも食材として利用されている。前述の本にはスイバは「若芽の伸び始めた茎を摘み、ゆでて水にさらしてから調理する。おひたし、煮物、煮びたしなど。塩をふって一晩漬けた即席漬けも良い。また伸びだした若い茎の皮をむき、生食する。多量のシュウ酸が含まれているので、過食は慎みたい。」と記されている。シュウ酸はガンになるといわれていて、ワラビも同様である。

 ところでイタドリは三月から十一月頃まで見かけるが、スイバは五月から八月頃によく見かける植物である。スイバは茎が細く花茎も細く、目立たない花が沢山くっついている。それに比べるとイタドリは太く、花は白く小さな花が沢山花茎につく。

  イタドリの花

 スイバといえば、シジミチョウのベニシジミの食草(産卵と幼虫の餌)なので、この時期に沢山のベニシジミが見られる。スイバの花の吸蜜をしていると思われる場面も見かけたことがある。またイタドリは海津市ハリヨ公園で、ヒメウラナミジャノメが吸蜜していた。余り華やかな花ではないので、チョウが集まることに驚いたのである。なぜ驚いたのかと考えてみたら、自分の中に「花とはハナビラがあるもの」という規則の残渣が残っているからかも知れないと気がついたのだった。

 海屋の土手のイタドリの多くは芽が出だした頃には、茎や葉が赤茶色だが、少し経つと茎は緑色になってくるものの、葉は赤いままになっている。芽が緑色のものも少数あるものの、赤いものが圧倒的に多いのだ。東北で見かけたイタドリは、殆どの茎や葉は緑色だった。地方で同じイタドリでも種類が違うのか、それとも気候の違いも関係しているのかも知れない。

 出てきた若い赤茶色の茎と葉のイタドリは光合成できるのか疑問になる。光合成してデンプンを作り、そして生長していくからである。そのために葉緑体が必要で、赤茶色の茎や葉に葉緑体があるのかどうか疑問になってくる。

 子どもたちにイナゴが草を食べているかどうかを調べるために、糞をアルコールにつけて緑色になるかどうかで判断するように教えたことがある。葉緑体はアルコールに溶ける性質があり、イナゴの糞は緑色になるので草を食べていることが分かる。

 そこで葉が出始めた赤っぽいモミジの葉を見せて、「これをアルコールに浸けたら何色になると思うか?」と尋ねた。すると「赤くなる!」と全員が応えたのだった。そこで実際にアルコールにつけると、なんと緑色になったのである。赤いモミジの葉にも葉緑素(クロロフィル)が含まれていて光合成していることが分かる。

 その経験からイタドリの赤茶色の茎や葉にも葉緑素が含まれていると考えられ、アルコールにつけると緑色になると予想できる。ただ葉緑体の量は、緑の茎と葉のものと比べるとどうなのだろうか。少ないのではないかとも思われてならないのであるが。

 「花はふしぎ」(岩科司 講談社)には「植物に含まれているカロテノイドはカロテン類とキサントフィル類に大きく分けられる。前者はその化学構造が炭素と水素だけで構成されているが、キサントフィル類はこれに酸素が加わっている。カロテノイドは人体に入るとビタミンAに変換されることは先に述べたが、キサントフィル類は酸素が存在するためにビタミンAに変換されない。カロテン類がニンジン、トマト、スイカなどに存在している一方、キサントフィル類はほとんどすべての植物の緑葉にクロロフィル(葉緑素)と共に混在している。そのために、普通ではあまり色としては目立たないが、秋になってクロロフィルが分解を始めると共存しているキサントフィル類が色となって表に出てくる。これがイチョウに代表される秋の黄葉である。カロテノイドは花では重要な色素成分であるが、葉では色素としての働きよりもむしろクロロフィルとともに光合成に関与する重要な化合物としての役割がある。」と記されている。

 葉が出始めたモミジにはカロテン類が多く、それが赤っぽい色を生み出しているのではなかろうか。葉の中にはやはりキサントフィル類と混在しているクロロフィル類があり、これが光合成していると考えられる。夏になるとその部分が優勢になって、葉の色合いが緑色に変わっていく。そして秋になるとクロロフィル類が分解するので赤っぽくなったり、キサントフィル類の黄色になっていくと考えられる。

 それにしては秋になると、なぜクロロフィル類が分解するのか。その条件は何なのか。気温が低くなると木の本体を守るために葉を落とすといわれるが、その前兆として光合成の仕組みを辞めてしまうと思われる。気温が関係している可能性があるが、なかなか面白い問題だと思う。

 前述のように、長い間イタドリがスカンポだと思い込もうとしていた。童謡の「すかんぽの咲く頃」の中に、「土手のすかんぽ、ジャワさらさ 昼はほたるがねんねする~」(北原白秋作詞 山田耕筰作曲)でスカンポが歌われている。植物の本を書いた時にその歌詞と共にイタドリをスカンポと書いたのだった。正式名はイタドリで、地方名がスカンポだと思い込もうとしていた。

別にスカンポがスイバだということも聞いていた。童謡の「土手のすかんぽ」の風情からすると、私の中ではスイバの方がスカンポに相応しいように思えてならなかったのである。

インターネットでスカンポを検索してみたら、最初に出てきたのはイタドリだった。ずーっと下の方に、スイバもスカンポと記されていた。私がスカンポをイタドリと思い込んでいたのは間違ってはいなかったらしい。スイバもまたスカンポなのだろう。語源に戻るとスカンポは「酸模」と記され、広辞苑では①スイバの別称 ②イタドリの別称となっていて、酸っぱいものということらしい。

このスカンポの話で「ホトケノザ」のことを想い出した。春の七草に出てくる「ホトケノザ」の正式名は「コオニタビラコ」というキク科の植物である。正式名「ホトケノザ」はシソ科の仲間である。そのため最初は混乱してしまっていた。でも地方名の「ホトケノザ」はどちらも台座の上に乗っている仏さまを連想させる形なのである。コオニタビラコはロゼット状の葉の上に茎が出て花が咲く様子(タンポポみたいに)が、シソ科のホトケノザは花が乗る葉が丸く取り囲んでいて、それが台座に見えるのだ。二つとも同じ様子から「ホトケノザ」になったのではないかと思われのである。スカンポも酸っぱいことから同じように考えられるようになったのではないかと、妙に納得しているのである。

 これまでどちらが正しいのかとしか考えていなかったのだが、そうした発想そのものが間違っているのかも知れないと思うようになってきたのである。

  (タデ科 ソバカズラ属)

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