アケビ

植物編

アケビを初めて近くで見たのは天童市の原崎沼の遊歩道だった。果実が真ん中で縦に裂けて落ちていた。中身は白っぽいゼリー状の片栗粉を湯で溶いたような感じで、ゼリーの中に黒い粒がたくさん入っていた。そのゼリーにアリが何匹も取りついていたのだった。

アケビの実

 秋に奥羽山脈の山沿いの道を歩くと、木々に絡みついたアケビの果実を見かける。時々道の傍に生っている実を採って食べてみたことがある。甘いというよりは甘みをほのかに感じる程度で、今のようなサトウキビから取る砂糖や蜂蜜の甘さからすると、甘さが足りないと思える程のものである。でも昔にそうした甘いものがなかった時代には、それでも甘いものの部類に入っていたのだろう。

仙台の知人宅の敷地にもアケビが生えていた。今住んでいる蟹江の隣家の庭にもなっている。主人が植えたと思われないので、鳥が食べたアケビの種が鳥の糞として運ばれて、散らばったのだと思われる。日光川や宝川の土手下の樹木にもアケビが生っているのを見かけるので、日本中に生えているのだろう。

 東北で見かけるアケビは葉が三出複葉で、それがアケビの葉だと思っていた。ところが山中を歩き回っていると三枚ではなく掌状複葉のものがあるようなのだ。アケビにも葉の数が違うものがあるらしい。どちらの方が多いのかは不明なままである。

 ある時アケビの苗を山に採りに入ったことがあった。アケビだと思って採取してみたらムベ(郁子)だった。このアケビだと思っていたムベは、掌状複葉でアケビの掌状複葉のものと区別できないままだった。とにかく似ていて区別できないのである。

 アケビの花

 でもムベは果実が割れず、しかも果実がやや赤っぽい感じがする。特に心に残ったのは「郁子(ムベ)」という言葉である。人名の「いくこ」によく使われていて、何度もこの名前の人を見かけたことがあった。何となくよく聞く「馥郁(ふくいく)たる香り」などで知っていたのだった。「郁(いく)」は「香気の盛んな様子、芳しい」とか「文化水準が高い」という意味のようで、そう名付ける親の知性を感じてしまう。

 ミツバアケビの花

 まだ山の中で出会ったものが、アケビかムベかを間違えずに区別できないと思う。こうした特徴だからアケビとかムベという前に、直感的にアケビとムベが区別できるようになりたいものである。これまでの経験から、アカトンボでも最初は細かい違いをいちいち確認しながら区別していたが、時間経過の後に、見た瞬間にコノシメトンボ、ナツアカネ、アキアカネの区別ができるようになってきた。しかもオスとメスの違いも分かるようになってきた。それぞれの特徴を区別しながら最初は同定できるようにしていたが、実際に見かけるアカトンボが、その特徴があるのかどうかさえ曖昧になってきてしまうのである。ある時間経過に伴って違いを直感的に理解できるようになると、その時にそれぞれのトンボの区別する特徴が鮮明に見えてくるのである。こう考えると、それぞれのトンボの違いの特徴を理解してから、実際のアカトンボの判定を行って正解にいたるプロセスではなく、大体の特徴の理解でアカトンボを同定しようと試行錯誤しながら時間が経過すると、全体的にそれぞれのトンボが直感的に分かるようになってくるのだ。そしてそれぞれのトンボの特徴の理解も以前よりよく分かってきたのだった。このように私たちの認識は論理の積み上げではなく、半分かりの理解というような特徴と同定作業の時間をかけての相互作用によっているのではないかと思うのである。「漬け込み」という概念に該当するものかも知れない。

 アケビはゼリー状の中身を食べる他に、東北では主に皮を季節料理の材料として使っている。ホテルでも料理として出される。

そこで農産市場のチラシに載っていた料理を紹介しておこう。①詰め物料理(皮に挽肉と玉ねぎのみじん切りを詰めてカンピョウで結び、フライパンで油をひいて焼く) ②味噌の詰め焼(味噌と砂糖と小麦粉を詰めてフライパンで焼く) ③果皮肉の味噌炒め(皮を短冊状に切り、油を引いたフライパンで炒め、砂糖と味噌で好みの味にする)④果皮肉の天ぷら ⑤果皮肉のベーコン巻 ⑥果皮肉のじんたん(皮を軽く塩茹でし、一センチくらいの短冊状に切り、青豆をつぶしたヌタなどで和える)などである。

 私も油炒めにして食べてみたが、やはり灰汁(あく)の苦みがあった。私たちが食べる野菜は品種改良によって、こうした灰汁を取り去っているが、野生植物にはどれにも灰汁があり、これらは外敵から身を守る防御システムではないかと思う。

 春には蟹江周辺でも春になるとアケビの花が咲いている。東北で見かけたものの多くは黒紫色のものが多かった記憶があるが、蟹江周辺で見かけるアケビは淡紫色のものが多い。雑木林でぶら下がっている淡紫色のアケビの花を見て美しさも感じるようになってきた。花が咲いていた場所では必ずしも実がぶら下がらないのだが、その理由は何故なのか今のところ理解できていないままである。

 上述のように長い間アケビの葉は三出複葉だと思い込んでいた。初めて確認したアケビが三枚だったからである。歩き回っているうちに掌状複葉で小葉が五枚のものも見かけるようになった。どちらのアケビが多いのかと思っているが、蟹江周辺では小葉が五枚のものが多いように思っている

 「日本の樹木」(林弥栄編 山と溪谷社)にはアケビとミツバアケビと区別して掲載されていた。アケビは「山野に生える。葉は掌状複葉。小葉は五個あり、長さ約六センチの狭長楕円形で全縁。四~五月、葉の間から総状花序をだし、淡紫色の花を開く。花には花弁はなく、三個の萼片がある。雌雄同株。雄花は花序の先に数個つき、直径約一センチで雌花は雄花の下に一~三個つき、雄花より大きくて柄も長く、雌しべは三~九個。」と記されている。ミツバアケビは「山野に生え、つるはほかの木などに巻きつく。葉は三出複葉で長い柄がある。小葉は長さ四~六センチの卵形または広卵形で、ふちに波状の大きな鋸葉がある。四~五月、葉の間から総状花序をだし、黒紫色の花を開く。雄花は花序の先の方に多数つき、直径四~五ミリと小形。雌花は雄花の下に一~三個つき、雄花より大きい。」と記されている。

 私はアケビの花は、それぞれの個体によって色合いが違っていると思い込んでいたのだが、アケビは薄紫色、ミツバアケビは黒紫色と異なる色の花を咲かせているらしい。

そこで「薄紫色ならアケビ、そして掌状複葉で小葉は五枚、黒紫色ならミツバアケビ、三出複葉」と規則化できそうである。これからは花の色合いを見て、本当かどうか確かめてみたい。

 2023年の春、天童に住む知人からミツバアケビの新芽を沢山送ってもらった。昔からアケビの芽は山菜として食べてきたことは知っていて、春の野草を子どもたちとテンプラにする活動をした時、アケビの花も食べたことがあった。タンポポとその花やヨモギに比べて美味しかったという印象はなかった。

 ミツバアケビ

 天童の知人はミツバアケビを貰って、熱湯で灰汁抜きして食べたようだが、お茶の葉を食べたような感じだったと話していた。多分灰汁が残っていたからだと思われるので、水に晒す時間を多くすれば、渋みも取れるのではないかと思ったのだった。私も届いたミツバアケビの葉を齧ってみたら、少し苦味を感じいつまでも舌に残っていた。

 知人から送ったと連絡があった時、送られてくるアケビはミツバアケビだろうなと予想していた。「四季の山野草」(畠山陽一 三興出版)にはミツバアケビの料理が載っていたからだった。なぜアケビでないのか不思議に思っているのだが、送られてきたのも予想通りミツバアケビだったのだった。アケビとミツバアケビの分布図を調べてみても、分布図では同じになっているものの、私の経験からすると東北ではミツバアケビが多いのかも知れないと思った。

  アケビを茹でて、水に浸し、ポン酢と酢味噌和えで食べる

この本にはミツバアケビの食べ方として「木の芽と呼ばれる新芽を摘み、塩一つまみを入れてゆでて水にさらして苦味を抜いてから調理する。おひたし、あえ物、煮びたし、油炒め。」となっている。そこで次のような手順で調理した。

  • ミツバアケビを水洗いし網のザルで水を切ってから、塩を入れた煮たぎった熱湯の鍋で茹でる。一度煮たぎった状態がなくなり、もう一度煮たぎったら火を止める。その時間は一~二分位だった。ワラビを茹でるのと同じ要領でやってみた。
  • 茹で上がったミツバアケビを水道を出しっぱなしにして晒してから、水を張った鍋に入れて置いた。ときどき水を入れ替えた。水に晒した時間はほぼ二十四時間程だった。
  • その後、食べる際に一つはお浸しにした。上に鰹節を乗せポン酢をかけた。もう一つは市販の味噌和え用の八丁味噌で和えたものにした。

食べる段になって、葉がしなっとなって茎がたくさん並んだ状態になったが、お浸しの味は苦味はなく美味しく食べられた。八丁味噌の和え物もそれなりの美味しさになっていた。どちらも美味しかったが、鰹節を乗せたお浸しの方が山菜を食べたという意味合いからは美味しいと思ったのだった。良い経験ができたと喜んでいる。

(キンポウゲ目 アケビ科 アケビ属)

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