タカ狩りの調教訓練

タカ狩りの調教訓練をするタカ匠は、タカにウサギ、カモやキジ等に獰猛に襲いかかる習性を温存させたまま、タカ匠の腕から飛び立ってその本能を十分発揮できるように訓練することが目指されている。タカの野生の習性を維持しながら、人間の意思に従って行動するという一見すると矛盾する行動形成が要求されている。

 こうした動物学習は心理学では条件づけ学習の範囲内と思われる。一つはパブロフに始まる古典的条件づけで、無条件反射と言われるものである。これは膝蓋反射のように本人の意思とは無関係に体が反応してしまうもので、ロシアのパブロフが見つけ出したものである。パブロフは消化腺の研究でノーベル医学生理学賞を受けている。その受賞講演で条件づけの話をしたとも伝えられている。意思とは無関係な中性的な刺激(条件刺激)を無条件刺激の前に置くことで、新しい学習を行わせるという古典的条件づけ学習を唱えた。

ハヤブサ

 もう一つはスキナーのオペラント条件づけである。この学習は動物の主体的意思を前提にして、動物のある行動に報酬を与えて強めたり(正の強化)罰を与えて抑制する(負の強化)ことで、行動をコントロールし目標である行動形成をさせるものである。こうした報酬や罰の与え方のスケージュールによって行動形成させることをプロがラム学習と呼んでいる。

 タカ狩りの調教訓練はいってみれば、オペラント条件づけに入る訓練方法である。ネズミの迷路実験やハトの弁別学習は、本来の動物の行動とは異なる人間が勝手に設定した課題を成し遂げさせるものである。その意味ではネズミにしろハトにしろ、本来自然の中で行っている行動とは異なっている。ところがタカ狩りの訓練では、本来獲物を狩るための行動を研ぎ澄まさせ、それを人間の管理下で行わせる課題と言える。その人間管理つまり人間に服従することを否定しないようにどのように手なずけるかが、タカの調教訓練では第一の目標になる。

 オオタカ

 「奥羽の鷹使い」(文化庁政策 一九八八年)は、こうしたタカ狩りの調教訓練の様子を放映していた。その中でタカ匠の松原英俊(ひでとし)さんがクマタカを調教していた。タカの調教訓練はタカ匠の間に、文化の伝承として長年受け継が継がれてきたものである。

 この松原さんは慶応大学の学生だった頃に、山形県の真室川町の沓沢朝治(くつざわあさじ)さんに師事してタカ匠の技術を学んだ。タカ狩りのタカを育てるには、生まれたヒナを育てる場合と成鳥のタカを育てる場合がある。それぞれ育て方や調教訓練方法は違うが、番組では成鳥になったクマタカを調教し育てるものだった。

 ハヤブサがハトを啄む

まずクマタカを暗い小部屋に入れて絶食させる。それを一週間に亘って行う。その途中で水だけは与える。タカは水を飲むことは普通しないがそれを飲むようになる。奥羽の山形県朝日村周辺の冬は、雪が深く寒い季節が続く。そんな中で囲炉裏等で室温が低くならないように調整しながら、高い梁(はり)にクマタカを繋いで絶食させる。そうした時期を過ごさせて、少しずつ腰につけた木箱から肉片を与え食べるように仕込んでいく。

その時期が過ぎると左手に暑い皮手袋をつけて、タカの足に紐をつけそれをタカ匠の親指にがっちりと巻きつけて、その上でタカとタカ匠がいつも一緒に行動できるように訓練する。時々はタカが羽ばたくが、それでも離さずにタカとタカ匠が一体化するように振舞う。この過程を通じてタカとタカ匠の気持ちが交互に交流して、お互いの気持ちが分かりあえるようになる。その頃からタカ匠はタカを腕に付けたまま、色々な所を一緒に歩き回る。これを「野据え(のずえ)」と言っていた。ある場合には、朝日村の人が沢山いる場所に腕に乗せて歩き回る。村人とタカを腕に乗せたまま話をする。そうした場の雰囲気でもタカが驚くことなく平気でいられるように慣れさせていく。これを「娑婆仕込み(しゃばじこみ)」と言っていた。

 小型のタカ チョウゲンボウ

 その後に狩りの訓練を始める。広場に杭を打ち横木を作って、そこから飛び立って獲物を狩る練習である。その時にはタカが逃げ出さないように、横木に長い紐をつけてタカの足に結んでおく。そしてタカ匠は、紐で繋いだ死んだウサギを全速力で引っ張って走る。すると野生の習性からタカは飛び立って、そのウサギの上に覆い被さり、羽を広げて地面に舞い降りる。それをタカ匠が近寄って、獲物のウサギをタカの足から引き離して、木箱の餌を与える。こうしたことを何回も繰り返しながら、次の段階でつけていた紐を取り外し、今度は生きたニワトリを実際に放して狩りの練習をさせる。その後はタカ匠の腕の中にいるタカが、獲物を見つけた瞬間にタカ匠が阿吽(あうん)の呼吸で、タカ匠の腕に巻いている紐を外して飛び立たたせ、獲物を狩る訓練を行う。こうした調教訓練を通して、タカ匠とタカとの心の繋がりができてくる。タカ匠とタカの相互の行動調整がなければ、良い狩りができるようにはならない。

 昔からクマタカよりは小さいオオタカやハヤブサもタカ狩りに使われていた。クマタカよりはこれらのタカの方が一般的だった。これらの調教訓練の仕方については、インターネットからの孫引きになるが、「旅と鳥」(黒田長禮 法政大学出版会)にはオオタカとハヤブサの調教の違いが次のように紹介されている。「オオタカを調教するには若鷹(メス)の爪嘴(つめはし)の鋭利な部分を削り取り、両脚に足皮(柔皮製)合せ、大緒(おおお 絹糸製朱総付)通して結ぶ。鷹部屋には光線が入らぬようにして暗黒を保ち、タカを部屋に入れると、まず初めに『喰い付かせ』という方法をとって、一定期間餌を与えずにおく、これを『詰め』という。詰めを終えると『夜据(よずえ)』に移り、夜明けを超えるために東北の白む頃まで『明け』と称して『町据(まちづえ)』という訓練をする。それから『昼出(ひるだし)』となり、これで『据上(すえあげ)』となり六〇日かかる。加えて『初めて野に放って捕鳥させることを初鳥飼い(しょとりかい)という』 換羽期に入ると『塒入(とやいり)』と称して、特別の手当てをして順調に換羽を終わらせる」と記述がありますが、「ハヤブサの調教もオオタカと同じように若隼(メス)を訓練するが、一度放鷹すると『塒入』しないで毎年更新する。(塒入してまた使用することも可能である)」と示されている。

 オオタカの調教訓練は、松原さんのクマタカの訓練方法とほぼ同じである。ハヤブサについては換羽の対応の違いだけのようである。とにかく一週間程絶食させて、水や肉を欲するように仕向ける段階が始めにあって、次に人間と一体化しながら人間社会の有り様に恐怖心を持たせない段階が来る。最後には、タカ匠とタカとの信頼関係の構築が続いていく。これらの段階を経て、タカの獲物を狩る本能を生かすようにしながら、上手くできた時には報酬である餌を与えることを繰り返す。そしてその信頼関係を密にしていくのである。こうした大まかなプログラム構成を通して学習させていくようなっている。それこそスキナーのプログラム学習そのものである。ネズミやハトのオペラント条件付けでは、動物の側の意思をそれ程大きな条件とは考えていないのに、タカ狩りの調教訓練ではタカの意思はそれよりは重要な条件となっているのではなかろうか。

 ロシアのボリショイサーカスでクマの玉乗り芸を形成させようとする時には、タカよりは更にクマの意思という内的条件を加味しながらプログラムを考えなければならないだろう。スキナーの細かい単線型のプログラムにすれば動物の意思を考えなくても済むようなプログラムの構成が本当に可能かどうか、やっぱり疑問になってしまう。

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