ライギョ

動物編

小さい時からライギョは馴染み深い魚である。自分で捕ったりしたことはないがそれでも身近でよく見かけたものである。ただナマズに較べると外来種という意識は強かったように思う。名古屋から蟹江の団地に引っ越してきた時、団地の周りは田んぼだった。この団地は関西線蟹江駅の北側で、住宅から歩いて一〇分程で駅に着く。他に近鉄蟹江駅が二キロ位南にあるが、そちらの方が電車の便数も多く便利である。蟹江の繁華街(本町)は近鉄蟹江寄りであるが、関西線蟹江駅周辺も大きなスーパーができて様変わりしてきている。

ライギョ

 蟹江は水郷地帯でいくつかの川が流れている。そこから引いた用水路も沢山あって海抜〇メートルの軟弱地盤なので、地震や津波が来ると大きな被害が出易い地域である。昔は何故父がここに家を求めたのか不思議に思っていた。中央線沿いの方が良かったのにといつも思っていたが、長い間家族が暮らしてきたから蟹江が故郷になってしまった。

 当時団地周辺は、田んぼや用水路がありフナ、モロコかモツゴ(クチボソ)等が沢山泳いでいた。また夏の夜になるとウシガエルのボーボーと鳴く声が団地の家まで聞こえてきた。用水路では大きなライギョも泳いでいた。私の印象では丸太ん坊のような感じである。クチボソやフナを釣りに行くと、川べりの草が生い茂った下からライギョが水面を渦巻くようにしながら、川底に泳ぎ去るのをよく見かけた。ライギョはカエルを食べるためウシガエルもその標的にされていたのではないかと思う。

 団地の中にも用水路が流れており、団地ができた時に植えられた桜が何本もあり、今では春になると提灯を飾りつけて、そぞろ歩きできる近くの桜の名所になっている。その用水路に大きな丸太ん坊のようなライギョが多数いたものである。印象に残っているのは春になってライギョの稚魚が群れて泳いでいるのを何度も見かけたが、その群れの下には必ず大きなライギョがゆったりと泳いでいた。ライギョは稚魚を守る習性があるようだ。調べてみたら親のライギョは稚魚が孵化すると稚魚たちを守る習性があると記されていた。私が観察してそうではないかと思っていた習性がやはりあったのである。

 このライギョはまだ蟹江周辺にはいて、団地近くの用水路ではカエルの疑似餌を使ってルアー・フィッシングをしているのを見かける。用水路はそれ程大きなものではないが、それでも用水路の鉄柵に寄りかかりながら釣りをしている人を何度も見かける。インターネットを見ていたら蟹江で釣ったライギョやナマズの釣果や写真を載せている人もいる程である。水郷地帯だからか釣り人にはライギョやナマズ釣りのメッカとなっているのかもしれない。

  沼で見かけたライギョと釣られたライギョ

 団地の西南には貯水池がありその脇に狭い用水路がある。浅いので雨が少ない夏場には水が少なくなって底が見えている。そこをトンボや植物の写真を撮ろうと歩いていたら、その浅い水の中にカメとライギョがいた。私が近づくとバシャッと音と立てて、道路の下を流れる深いトンネルの中に入り込んでいった。こんな団地の浅い用水路にもライギョがいるんだと吃驚した。団地周辺でもライギョは少なくなっているに違いないが、まだいるんだなと思った。

 私は釣りではなく魚捕りをしているが、六月末~七月初めになると魚の稚魚が捕れるようになる。色々な種類の川魚をとっているうちに、黄色く茶色の小魚がタモ網に入ることがあった。小さいので何という魚なんだろうと思っていたが、よく見てみるとライギョの稚魚だった。そのライギョの稚魚には、皮膚に寄生した小さなイソギンチャクのような寄生虫がついていた。その寄生虫は昔から馴染みがあって、フナの稚魚を捕るとその寄生虫が皮膚に食い込んでいるのを何度も見てきた。私はその寄生虫を引き抜いてライギョの稚魚を小さなガラス瓶の水槽にいれておいた。

 また関西線永和駅の北側の用水路でメダカやタナゴを掬っていたらまたライギョの稚魚が捕れた。それを先日捕った小さなライギョと共に二匹を纏めて飼っていた。まだ稚魚なので、肉食でもメダカの餌で大丈夫だろうと踏んでいたが、そのうち寄生虫がとりついていた一匹が死んでしまった。残ったライギョの稚魚を大きくしたいと五〇×四〇×五〇センチ程のプラスチック容器を買って来てカダヤシ、フナ、モツゴ、エビと一緒に入れておいた。それらが餌になるだろうと考えていた。ライギョもナマズも肉食性だから動く動物しか食べない。以前ナマズ飼育で失敗した経験から、そのライギョを入れた容器の上に三センチ四方の格子状の鉄製の網を置いていたが、容器の水が上まで来てしまったからかある朝にその容器から飛び出して死んでいた。見つけた時はまだ飛び出して間もなかったようだったが死んでいた。ある大きさまで育てようと思っていたのでとても残念だった。ある大きさまでに育てたら、写真を撮って川に逃がそうと考えていたのである。飼育管理の仕方を反省して来年に再挑戦する積もりでいた。

 インターネット販売で四手網を購入した。小中学生の頃は釣り道具屋に四手網を売っていた。竹でできた四本の同じ長さの竹を網の上方で、交差させる短い竹の穴に通して四手網を作る。網の三辺には袖があり一方だけがないのでそこに魚を追い込んで掬い上げる構造になっている。魚を捕るにはタモ網より断然沢山捕れる。この四手網を売っていないか蟹江周辺で探したがどこにも売っていない。インターネーットで探したら埼玉県の鴻巣市の漁具店で売っていた。それを取り寄せた。昔は竹でできていた部分はグラスファイバーになっていて曲がり易く丈夫で、四つに組む部分は塩化ビニールでできていた。永和駅近くの用水路で、前日にタモ網でスジエビが大量に捕れたので、そこに網を張って竹を使って追い込んだら偶然にライギョが捕れた。割りと大きく二六センチあり、今年生まれたライギョではなさそうだった。前年の稚魚が大きくなったものではないかと思った。

 ライギョの幼体

 捕ったライギョを飼育するとなると、生餌であるカエルやフナの準備が大変である。それで数日飼ってから元いた用水路に帰すことにした。返す前にプラスチック水槽に水を張りその写真を撮った。顔をよく見ると目が可愛らしい。体つきや模様はエイリアンのような外来生物だとしか考えていなかったが、ライギョそのものに罪はないことは言うまでもない。そのライギョを水槽からポリバケツに移して、水系のやや大きな用水路に放しに行った。水面にバケツを沈めながらライギョが水中に泳ぎ出るようにさせると、始めはバケツから出ようとはしなかった。それでもバケツをそのままにしておいたらゆっくりとバケツの外に出て下の方にゆっくりと泳いでいった。用心深く慎重な行動に思われた。新しい環境に対する行動なのだろうか。

 ライギョについてウイキペディアで調べてみたら、「スズキ目タイワンドジョウ科に分類される淡水魚でカムルチーとも言われ、全長は三〇センチ~八〇センチほどで、アムール川などのロシア沿海地方から朝鮮半島、中国までに分布している。一九二三~一九二四年頃に、朝鮮半島から奈良県に持ち込まれた。池、湖沼、川の流れがゆるい中下流域など水草が多い止水域に生息する。空気呼吸ができるため、溶存酸素量が少ない劣悪な水環境でも生存できる。食性は肉食性で、昆虫類、甲殻類、小魚、カエルなどの水生動物のほか、時には水鳥のヒナやネズミなどの小動物を捕食する。繁殖期の夏には、オスとメスが水面に水草を集めてドーナツ状の巣を作る。産卵後はオスメスは巣の下に留まり、卵と稚魚を保護する。分布域各地では食用にされ各地で養殖されている。移入当時は淡白な白身魚で小骨も少なく日本人には食べやすかったが、寄生虫の有棘顎口虫(ゆうきょくがっこうちゅう)の中間宿主なので、生食すると危険であるという。」と記されている。

 その当時ライギョを日本に移入すればタンパク質の補給に役立つと考えたのだろう。蟹江周辺ではナマズもライギョも捕れるが、それまでのナマズのいた生態系にライギョが進出してきたのではないかと思う。コンクリートの用水路になってライギョも産卵する条件が満たされなくなって少なくなってきたようだ。私の感覚ではライギョのいる場所にはナマズはおらず、ナマズのいる場所にはライギョはいないような気がしている。共存している場所があるか知りたいところである。(スズキ目 タイワンドジョウ科)

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