ホテイアオイ

植物編

ホテイアオイは今でも世話になっている植物である。中断があるものの中学生の頃から何十年とメダカを飼っていて、必要だったからである。今も天童のアパートに沢山のバケツや発泡スチロールの箱を置いてメダカを飼っており、その水槽の水面にたくさんのホテイアオイが浮かんでいる。

 発泡スチロールのメダカとホテイアオイ

私が飼っているのは、野生のメダカである。昔は名古屋の東芝社宅から少し離れると田んぼがあり、そこを流れる畦の小川にたくさん野生のメダカがいた。わざわざ捕って育てることは意味がなかった。そこで店でヒメダカ(赤いメダカ)を買ってきて飼って増やしていた。水槽の環境をよくするために水草と産卵させて増やすためのホテイアオイを用意した。

 最近では野生のメダカが少なくなって、レッドブックの絶滅危惧種になってしまった一方で、光るメダカ、青や白色のメダカ、だるま型のメダカなど新しい品種が出てきて金魚同様の観賞魚として売られるようになった。

何十年前には名取市の閖上大橋(ゆりあげ 東日本大震災で甚大な被害があった)付近でも、畦の小川にメダカ、ムツゴ、フナやザリガニがたくさんいて、よく採集しに行ったものである。絶滅危惧種になった経緯もあって野生のメダカを飼いたいと思うようになった。昔採集した所にはほとんど見かけられず、宮城県の槻木、柴田や村田周辺の田んぼに遠征して探したが見つからなかった。タモ網を持って探している時に、農家の人に「この辺りにメダカはいないか」と尋ねたら、「数年前まではいたけれど」との答えが返ってきた。私が野生メダカにこだわるのは、メダカが日本の稲作と関わりがあるからである。春になって田植えをし、それが実って収穫される稲作の循環に合わせて生活する魚だからである。野生のメダカがいなくなることは、日本の農業が大型化や用水路が変化して農業の形態が変わってきたとことを意味している。農業生産の効率化のために大型化し生産性を高める意味では必要だろうが、結果的にこれまでの生態を破壊し、動植物が絶滅してしまう現状をどう考えたら良いのだろう。私の危惧感は、地球は人間だけのものではないという思いに近いだろうか。

 採取地別に育てているメダカ

色々な経緯で太平洋産のメダカの2種類(いわき産、愛知県愛西市産)と2種類の日本海産(鶴岡の羽黒産と、三川産)を別々に飼っている。メダカは地域に密着して生活しているので遺伝子が異なってきているから、交雑しないように分離している。

ホテイアオイを水面に浮かばせておくと、メダカは朝方産卵して尻に卵をつけているが、午前中にホテイアオイの根にくっつけるのである。産卵した卵のつけ易さを水草や棕櫚(しゅろ)の網状の皮などで試してきたが、やはりホテイアオイの根が一番良いと思う。メダカは孵った稚魚を餌だと思って食べてしまうので、根についた卵を別の水槽に移すのにホテイアオイを取り上げて、採卵するにも便利なことも長所である。

ホテイアオイは春先の連休明けにホームセンターで売りだすので、それを購入している。山形では野外では冬は越せない。元来は熱帯性の植物なので和歌山以南なら可能だと読んだことがある。研究室の水槽では、越冬させることも何とか可能である。冬は日が低く気温が零度以下になるので、窓ガラスから離して寒さが直接当る熱放射を避け、日中の太陽の光が当るようにしておくと、冬を越すホテイアオイもある。何とか冬を越して春を過ぎて野外の出すと、今度は太陽の光が強すぎて葉が枯れて萎んで(しぼんで)しまう。このように野外に出す時期が難しいのである。

 ホテイアオイの花

ホテイアオイは日が短くなる9月頃になると、花芽を出してヒヤシンスのような水色の花を咲かす。花はとても可憐でその色も綺麗であるが、一日のうちに萎んでしまう。どの株も同じ時期に咲き出すから、元々は同じ株だったのかもしれない。ホテイアオイはランナーを出して小さな株をつけ大きくなって分かれていく。私が買ったホテイアオイはもともとは同じ株かも知れないが、たくさんのホテイアオイが同じ時期に日の長さを感じとって花を咲かせるのを見ると、花を咲かせる時期を感じ取る体内時計の精巧さの凄さと不思議さを感じてしまう。

ホテイアオイに毎年アブラムシがつくようになってきた。羽のあるアブラムシがどこからか飛んできてとりついて、それが無性生殖でどんどん増えていく。特に若い葉元が柔らかく葉液が吸いやすいからか、べったりとくっついている。そこで、指で潰すようにしているが、水槽に浮かんでいるホテイアオイの数も多く、完全に取り除くことはできない。数日経つとまた増えてきている。ホテイアオイの葉が黄色くなりフニャフニャしてきて結果的に枯れてしまう。ホテイアオイを通して、自然のせめぎ合いも学ぶことができる。

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