ムラサキツユクサとの出会いは、高等学校の生物の時間に遡る(さかのぼる)。中学校ではゾウリムシやミジンコなどの微生物やアオミドロの植物繊維を顕微鏡で見たことを鮮明に覚えている。池や田圃の淀んだ水をとりに行き、それをスポイトでスライドガラスに乗せ、カバーガラスを被せて顕微鏡で覗いたのである。
ムラサキツユクサ
覗いた時には、それまでの知っている世界とは全く異なる別世界を発見したように感じた。そんなことを経験してからか、微生物の世界に関心をもつようになった。例えば台所の三角のゴミ捨て用のプラスチック容器をゴミを入れたままにしておくと、臭くなってだんだん分解されてくる。臭いは夏だとかなり酷くなるが、分解の速さは速くなる。容器の裏は分解された汚泥のような橙色のものがべっとりとついている。こんな光景を見ると、私はなんだか微生物の働きに感激してしまう。日本人思想に、水に流して全てをなしにする思想があるが、全てのものが微生物によって分解されてなしになるという意味も含まれている筈である。
元々だらしがない性格なので、捨てないままの結果がこうなる。普通の人の感覚なら汚いという理由で早く始末するだろうが、放置したままが結果的に新たな世界を知るきっかけになる。容器が臭くなってくると、小さい蝿(多分ショウジョウバエ)が飛んできて、その周りに止まるようになる。どこから飛んでくるかわからないが、その数がだんだん増えてくる。私たちにくさい臭いが蝿たちには誘引物質なのだろう。良い香りなのだろうか、とても不思議な気がする。その臭いに寄ってくる理由は食べ物だったり産卵場所だったりするのだろう。こうした管理しないまま放っておくと、フレミングの青カビの発見のように新たな結果を得ることに繋がる場合があるから、単なる不衛生だとか不潔だという人間の価値観からだけ断罪するのは如何なものだろう。こうした理屈は強引に自分の考えを正当化しようとしているとは思ってはいるのだが。
高校に入って顕微鏡で視たのは、玉ねぎの裏側の薄皮を剥いでそれを顕微鏡で見ると、個々の細胞壁が見えて、タマネギは細胞でできているのだなと実感できたことである。またツバキの葉の裏を剥ぎ取って、気孔を見るために孔辺細胞を探したことも思い出す。
またムラサキツユクサの雄しべを採って顕微鏡で見ると、細胞分裂をしているのが見られる。核の中の染色体が2つに分かれて、その間に仕切りができて、それぞれが半分の遺伝子を作って、同じ体細胞を再生させるのである。確か青色か赤色で染色をしたと思うが、今となっては定かでない。この一連の動きは顕微鏡で視ていると起こるのではなく、他の細胞と比べながら細胞分裂の一連の流れを想像するだけである。
白いムラサキツユクサ
銀河系や各星が生まれるとても長い時間経過も、同様に色々の事実を繋ぎあわせて、その変化を予想している。最近になって、私自身は植物の世界についても動物ほどではないが、動きを感じ取れるようになってきた。
昔はムラサキツユクサが家々の庭に咲いていたのを覚えているが、最近ではあまり見かけなくなった。天童のアパート近くの家の庭や果樹園近くの畑の隅に、このムラサキツユクサが咲いているのを見つけて写真を撮った。また以前ムラサキツユクサと思われる花にかなりピンク色が強いものも見かけるようになった。
ムラサキツユクサはツユクサと同じツユクサ科だが、もともとアメリカが原産地らしい。他にオオムラサキツユクサというのがあって、私が見たピンク色が強いものは、もしかしたらそれかもしれない。いつか詳しく調べてみたいと考えている。
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