イラクサ

植物編

ちょっとした山道や少し草深くなっている植物が生い茂るところに、イラクサが群生して生えていることが多い。しかし、イラクサを手や足で触れるとそこがちくちく痛くなる。昔は、そんなことも知らずに植物が生えているところに分け入っていた。イバラなどは棘があることが分かるので少し避けて行動するのだが、イラクサにはそんな特徴があることを知らなかったので、ちくちく痛くなる経験を何度かした。その経験があってからは、イラクサがあるときは軍手をしたり避けて他の場所から中に入るようにしている。

 イラクサ

 昔、BBC放送が作ったドキュメンタリーで、ベトナム戦争後にPTSD(心的外傷後ストレス障害 Posttraumatic Stress Disorder)で人間社会に復帰できない人たちがアメリカの兵隊の中に何万人かいて、彼らは人の住まないアラスカの森やシアトル近郊の半島に一人で生活しているという番組を視たことがある。彼らは単なるPTSDになって人を避けるというよりは、ベトナムに行って人間性を欠いて単なる武器そのものになってしまった自分をコントロールできなくなっている。そのため他人に被害を与えないように、森で生活しているのである。そのドキュメンタリーに登場した人物の中に、高校卒業後すぐに入隊してベトナムに行った人の話があった。高校のとき自宅で寝ていると、昔から母親が彼を起こすときに足首を掴んで揺すって起こしていた。除隊後、その揺すった刺激でガバッと起きて母親の服を捩じって首を絞めたのである。それを何分間続けていれば母親は死んでしまう。数分のうちにはっと我に帰った。それがあって家を飛び出して森で生活するようになったという。また別の登場人物は、森の中の家で一人で住んでおり材木を売って生活している。業者以外は敷地に入れず、しかも何種類かのライフルや銃を友として生きている。銃以外に信頼するものを持てないというのである。そして彼は「私の精神は病んでいる」と話していた。

 こうした森で生活している人がどう生きているかというと、森の木陰に眠れる空間を作って、その表には大きなシダを覆って分からないようにしていた。彼は森は食べ物の宝庫だという。ぜんまいやイラクサの新芽などは食用になるし、アメリカインディアンのように、長い行軍をするときにはイラクサの葉の棘を足に叩きつけると、だんだんと足が麻痺して痛みを感じなくなり、長い間歩くことができると話していた。イラクサの使い方にそんなことがあったのかと吃驚した。こうした人たちは、その当時流行っていた映画のランボーと同じような生活だったと思われる。

 面白い話に、奈良公園にあるイラクサは、他の場所よりたくさんの棘があるように変化してきている。鹿から食べられないようにする防衛策であるらしい。どの位の年月で、こうした分布が起こってきたのか知りたいものである。

  イラクサの仲間 ヤブマオ

 イラクサの仲間にカラムシがある。高さは1.5~2メートルほどで青苧(あおそ)と呼ばれている。その皮を使って衣類、紙や漁網などを作ってきた。昔からカラムシは作られていて、上杉謙信は作ったカラムシ織をを京で売って、藩の財政を潤わせていた。上杉藩はその後、会津、米沢と転封されていくが、そこでも作っていたからか、山形県にもその生産地があった。私自身は会津の昭和村のカラムシ織を見に行ったことがあるが、希少価値だからか、その反物の値段が目が飛び出るほど高かったことを今でも鮮明に覚えている。

 

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