セリ

植物編

セリは春の七草に入っているし、私たちの食文化の中にも入り込んでいる。レストランのハンバーグやステーキなどに添えるツマやセリ鍋として利用されている。昔からセリの香りやシャキシャキ感が好きだったかというとそうではない。

  セリ1

 少年時代から青年期にかけて、セリに限らず香りが強い野菜は苦手だった。ニンジン、セロリ、ミツバ、ニラ、ニンニク、ピーマンなどは、今の子供たちも好きになれない野菜の部類に入っているのではなかろうか。ところが大人になると、こうした香りのする野菜が逆に美味しいと感じるようになるから不思議である。

 幼児教育の世界で保育者になる学生を教えていると、偏食は直すべきだとか、させるべきでないという思想が蔓延している。また保育現場でも学生の実習巡回に行くと、保育園ではお昼の給食を終えると、布団敷きなど午睡の準備に入るのだが、その中で一人だけ部屋の隅で、テーブルの給食のおかずを前に座っている幼児がいたものである。嫌いなおかずがあって食べない幼児に対して、食べるまでそのままにしておくのである。このように強制すると、そのうち食べるようになるのか分からないが、この仕打ちが食べたくなくなる思いを強くしてしまうのではないかと心配する。私の場合のように、食べ物の嗜好は環境や経験によって変化すると思うから、強制はしない方が良いと思うのだが。

 動物の食性を見ると、人間は動物の中では雑食の部類に入るが、他の動物は殆どが偏食である。トラやライオンは肉食だし、ヤギ、牛や馬などは草食だし、肉や野菜を万遍なく食べている動物は少ないのではないか。雑食の動物だって、いつもバランスよく食べている訳ではないから、雑食といえども時間的には偏食しているのではなかろうか。また、人間だって、生まれてから1年近く離乳時期までは、ミルクだけを飲んで育つわけである。ただミルクだけで1年くらい育つのだから、偏食そのものである。離乳食をとるようになって、栄養のバランス云々と言い出すのである。それよりも赤ん坊の時になぜミルクだけで生き延びられるのか、私にはとても不思議に思える。それなら人生をミルクだけ飲んで生きていけるのではなかろうか。成長過程で、消化酵素とかホルモンの分泌が変化するのだろうか。だからミルクだけでは育たないのだろうかと色々な疑問が湧いてくる。こう考えると動物は基本的には偏食ではないかと思うのである。

 仙台市の隣の名取市は、セリの栽培が盛んである。東北線に乗って外を見ると、冬の寒い時期でも、その水田では青々としたセリが生えている。他の植物は枯れている時期なのに、セリの水田だけが青々しているはとても不思議である。他の植物と生活環が違うのだろうか。冬のセリ鍋はとても美味しく、私の好きな食べ物である。

  セリ2

 春から夏にかけて田圃の畦に行くと、セリがそこらじゅうに生えている。ある時期には茎の上に広がる形(複散形花序)のセリの花も咲いている。セリ科かどうかを判断するには、この花の形を覚えておくと楽である。余りにたくさん生えているので、八百屋で売っているものとは違って毒ゼリではないかと心配してしまう。山元沼近くの田んぼの畦で生えているセリを根元から採って、家で水洗いして湯で数分茹でてお浸しにして食べてみた。少し灰汁があるようだが普通のセリの味だった。

宮城県で毒ゼリを食べて中毒を起こしたという話を聞いたことがある。セリと毒ゼリは似ていて間違いやすい。毒ゼリの根は外見がワサビの根に似ているから、それを擦って食べて中毒になったらしい。私も以前、その毒ゼリを採って根を割ってみたら根が空洞だった。もし食べたら大変なことになった筈である。今のところ、畦に生えているセリと毒ゼリは区別できると思っている。いつか野草のセリを採集して本格的なセリ鍋にして食べたいものである。

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